ドライボーンズ直営店舗でのイベント「ガラガラポン!」、
楽しんでもらえているでしょうか?
酒丸でございます。
この週末&3連休で、
ついにファイナルを迎えてしまいます!
皆さん、大アタリを引いて下さいね!
そしてこの最終に、やっと冬物がちょっと入荷したので紹介。
昨日の大阪店からのブログでもアップされたジャケット、
ワタクシなりのこだわりを書いておこうかな、と。
これ。
ツイード・ウィンドブレイカージャケット!
いわゆる「A-1タイプ」と言われるこのジャケット。
ちょこっとお浚い。
まずはA-1ジャケットについて。
A-1とは、
アメリカ陸軍エアコーズが結成された1926年に、
夏用フライトジャケットとして正式採用された。
元々イギリスからの移民(フリーメイソンメンバーも数多く存在した)から
成り立ったアメリカという国家は、
20世紀に入って2度の大きな大戦を「経験」した。
第一次世界大戦ではヨーロッパが戦場となり、
自分達の祖国が壊滅的な打撃を受けた。
それまでの戦争とは馬に乗っての個人戦だったのが、
この大戦は産業革命以降初めての大きな戦争であり、
武器や戦艦、飛行機や蒸気機関等を駆使しての戦争となった。
この大戦で自国の土地を守ったアメリカは…
次の大戦に向けて2つの大きな変革に向き合った。
そのうちのひとつが「制空権」、
つまり航空部隊の充実だった。
A-1ジャケットを着るイーカー大尉(1929年)。
(写真:青田さんの「FULL GEAR」から拝借:お世話様です!)
1929年、アメリカ国内ではボルステッド法まっただ中。
この前年である1928年、
アメリカではとある「大きな発明」があった。
セパレートタイプジッパーの登場である。
ジッパーそのものは、1893年には発表されていた。
が、あくまでそれはストップエンドタイプであり、
それから35年かかってやっと、
「前開きになるタイプ」が出来上がったのだ。
そのジッパーがアメリカ陸軍航空部隊に正式採用になるのは、
1931年。つまりそれがA-2ジャケットの誕生なのだ。
1920年代、アメリカは制空権を得たいのだが、
飛行機に乗るパイロットの装備には、
着脱に時間が掛かるボタン式にせざるを得なかったのだ。
が、そのジャケットのデザインは…
“ROARING TWENTIES(狂騒の1920年代)”の中流家庭にも
じわりと染み渡っていった。
この資料は、1921年のシアーズローバック。
A-1タイプの形は、
ウィンドブレイカージャケットとか
ランバージャックジャケットという名前で、
ワークウエア兼スポーツウエアとして様々な素材で作られた。
1930年代に入ってやっと、
前開きジッパー仕立てのジャケットが世の中に登場するので、
1920年代はボタンフライジャケットが大半。
(極少量、ストップエンドジッパーを用いたアウターも存在する)
さて、その1920年代の資料を元に、
できるだけ「当時の人の気持ちになって製作」したジャケットがこれ。
襟リブは小さくショールカラーになる。
名前の通り「ウインドブレイク=風を遮るジャケット」。
リブの上にもドット釦。
このドット釦の柄はわざと軍物っぽさを採用。
ココを留める事で、内部に風が入ってくる事を遮る。
ポケットは敢えて、後発のA-2を踏襲。
フラップに隠しドット釦を付ける。
あ、ちなみにこの「ドットボタン」という名前は…
ボタンメーカーであるDOT社の名前が由来。
袖口リブには、その後のM-422Aで採用される段付き一枚リブを採用。
A-1、A-2にはないディテールを入れて、民間仕様。
フロントボタンはクラフトワークの入ったナットボタン。
こういった「地味な手仕事」が残る1920年代を再現。
元ネタはコレ。
民間ゴートスキンの、
ボタンフライのA-2タイプジャケット。
ワタクシのお宝ジャケットでございます(自慢)。
さて、アメリカは次の大戦(つまり第二次世界大戦)にむけて
向かい合ったもう1つの課題とは…
「諜報活動」だった。
自国民の兵士や機材の損傷を極力抑えて戦争に勝つ為には、
情報操作が不可欠になっていったのだ。
折しも1920年代には、ベルが開発した「電話」が普及、
遠方の者ともコミュニケーションが容易になった。
また、第二次世界大戦でアメリカの強敵となったドイツでは、
ヒトラーがナチスを諜報部隊としても暗躍させていた事も
歴史的事実として判明している。
第二次世界大戦で「制空権」と「諜報活動」を駆使して勝利したアメリカ。
そして敗戦国である日本には、
占領という名の下に諜報機関が暗躍し、
裏側から日本を統治していった。
占領下の日本では、
アメリカの諜報機関がいくつか存在していたのだが…
悪名高いのは「キャノン機関」。
GHQの情報機関を統括する将校、キャノン少佐。
彼がトップであるキャノン機関は、
都内某所に居を構えた。
初代三菱財閥の岩崎弥太郎の邸宅である旧岩崎邸を本部にして、
多くの日本人工作員を使って裏工作をした。
(この「旧岩崎邸」は、1896年にジョサイア・コンドルが設計した。
コンドルとは…私が尊敬する歌川国芳の末弟子である
河鍋暁斎の弟子だった人物。
大戦後、この邸宅はGHQにより接収された。
日本政府に返還されるのは1953年。)
この「キャノン機関」は…
戦後の大きな疑惑事件である下山事件などにも関わっている可能性が大。
また「M資金」にも関与している可能性もあり、
その後のロッキード事件等にも大きな影響を与える事になる。
1952年、スパイ活動で大きなミスを犯したキャノン少佐は帰国。
そしてこの機関に入るのだ。
セントラル・インテリジェンス・エージェンシー、
略して”CIA”である。
(キャノン本人はその後、CIA内の教官にまで上り詰めた。
CIAを退職後、弾薬等を作る武器商人に転身。
1981年、何者かに暗殺された。未だ未解決。)
CIAは、1947年にアメリカ合衆国中央情報局として創設。
つまり第二次世界大戦後の「世界新秩序」の為の、
情報機関として作られたのだ。
この機関については…また近々。
ただ、言えている事は…
インターネットというシステムそのものを作った組織でもあるのだ。
個人的にお知らせ!
そのインターネットという現代のツールを上手に利用して、
友人がアルバムを製作発表!
The HOT SHOTSというバンドのアルバム、
ドライボーンズ各店舗で先行発売中!
(他のCDショップに並ぶのは、11月中旬の予定)
インターネットが発達したアメリカでは今、
キックスターターという個人投資システムが流行中。
ある人が「こんなことをしたい!」と発表すると、
「投資してもいいよ!」という人が集まる。
見合った金額になったら進められるという画期的なシステム。
友人である千枝ちゃんは英語も堪能で、
私も面白そうだったので話に乗ってみた。
そしてようやく、完成!
メロウで陽気なカントリー調楽曲が詰まったこのアルバム、
ちょっと聞いただけでは日本人とは思えない!
千枝ちゃん、さすが!!
今度から「姫!」と呼ばせていただきます(笑)!
ではまた来週!
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