2021年2月、節分明けの酒丸です。
2021年の節分は2月2日。
私も例年通り、豆撒きをして…
それを拾って自分の歳の数だけ食べる、という行為をしました。
が、もう55歳。
豆を55個食べるだけで1食分くらいありますね…。
本来節分は2月3日だったはず。
というか、そう覚えていました。
ところが今年は久しぶり(実に124年ぶり!)の2月2日だそうで…。
なぜそうなるのか?調べてみました。
本来「節分」とは「季節を分ける」という言葉。
つまり、冬と春の境目の事を節分といい、
その境目を見計らって鬼が悪さをするといけないから豆撒きをする、
という風習になったそうな。
この季節の境目とは、すなわち春分・夏至・秋分・冬至の4つ。
そのうち春分の前日が節分で、それだけが残ったらしい。
この紫色とピンク色の境目が、節分。
節分が2月3日ではなく2月2日になったのは、なんと明治30年。
2月4日になったのは昭和59年、1984年。
ああ、私が東京に出て来た年だ…。
そしてワタクシ酒丸の近況報告。
2月4日が節分だった1984年まで住んでいた千葉県館山市に移住することになり、
このところ毎週の様に帰省してはリフォーム。
そして館山でリモートワークをする為にインターネットのプロバイダー契約をしていたら…
なんと実家の土地にWIFIが引けない事が判明!
なんでも特殊な土地の形状の所為で電線が誰かしらの家に抵触するらしく、
このままではどうにも出来ないとの事。
よって「電柱を立てる」というところからやらなきゃいけなくなった。
12月から契約やら書面での確認などをしていたんですが…
やっと電柱が建立。
一生モノのレンタルですが…私個人の為の電柱。
なんとなくコレクションが増えた様な気がするwww
さて。
季節の分け目という事で、冬物も夏物も紹介しづらい今の季節。
それならばやはり紹介すべきは「デニム」でしょう!
という事で、今回の酒丸ブログは新作デニムパンツの「フリスコ・ジーンズ」について。
実は一昨年辺りから、
ワークウエアからファッションへと移り変わっていったデニムの歴史を勉強し直している。
すると、
1849年のゴールドラッシュから始まったオーバーオールズを始祖とするデニムパンツには、
いくつかの亜流が発生して来ていた事がわかって来た。
当然、本流はリベットを駆使したリーバイス。
それ以外にもレザーの補強を用いたグリーンバウム・ブラザーズ、
後のボス・オブザ・ロードになるノイシュッター・ブラザーズ、
更には後々リーに吸収されるハイネマン&カンパニーなどがあった。
このハイネマン&カンパニーが起こしたブランドこそ
「キャントバステム(CAN’T BUST’EM)」であり、
このブランドこそ、
後の「フリスコ・ジーンズ(FRISCO JEENS)」の元祖になっていくのだ。
キャントバステムとは…
正確にはCAN NOT BUST THEMと書き、
「絶対に破れない」という意味の英語。
これを省略して表現した言葉が「CAN’T BUST’EM(キャントバステム)」になる。
1890年代頃には存在しており、
デニムをはじめダックやツイルで様々なワークウエアを生産していた様だ。
その中には、
フリスコ・ジーンズの原型となる様なデザインのワークウエアも作られ始めていた。
微妙にカーヴしたL形フロントポケット、
ヨークの無い後ろ身頃、
股上が深くてゆったりとしたシルエット、等々。
それらは1920年代には登場し、
1946年まで継続して生産されていった。
1946年にはリーがハイネマン&カンパニーを買収し、
このフリスコ・ジーンズのブランド名もそのまま引き継ぐ事になった。
1920年代の当初ではデニム素材もあったのだが、いつも間にか終了。
その後は主にツイル素材でのみ生産される様になり、
リーに移管してからは完全にデニム素材では作られなくなった。
この一連の流れと…
フリスコ・ジーンズというネーミングが関係していると思うのは私だけでは無いと思う。
フリスコ・ジーンズとはFRISKO JEENSというスペル。
FRISKOとはおそらくSAN FRANCISCOという地名から取った造語であろう。
更には「FRISK(フリスク:飛びはねる)」とも引っ掛けて、
活発な感じをアピールしたかったのだと思う。
JEENSも、恐らくデニムのリーバイスJEANSに対抗して作った造語だ。
ハイネマン&カンパニーはサンフランシスコに本社を構えていたが、
リーバイスの本社屋の道をはさんで隣。
「ウチもサンフランシスコ所縁(ゆかり)の会社なんだ!」という自負と、
「ウチもリーバイス同様、ワークウエアをジーンズと呼んでいるんだ!
でもライバル社と同じ言葉は使いたくないからスペルを変えてやれ!」という対抗意識から生まれたワークウエアなのだと推測。
リーがキャントバステムを買収したのが1946年、第二次世界大戦終了直後。
リーはユ二オンメイド(組合生産)を旗印にモノ作りを続け、
戦争を乗り越えた。
リーバイスは頑なにユニオンメイドを拒否し、
戦後数年経てワークウエアから「別の形態」に移行していく事になる。
この続きはまたどこかで(ここからが面白いので)。
そんなお勉強を積み重ねて生産した第一弾がコレ!
コットンツイルのフリスコジーンズ、サンドベージュとブラックの2色。
カーヴしたL形ポケットやバックの箱ポケ、ヨークの無い後ろ身頃を再現、
バックストラップとサスペンダーボタンを併記した1930年代スタイル。
ジッパーフライなので、非常に穿き易い!
そしてこの春、満を持して登場したのは、待望のデニム 素材!
ベルト裏やポケットスレキはカーキ色のコットンヘリンボーン 。
ヨークの無い後ろ身頃にはバックストラップとサスペンダーボタンが併記。
特徴的なカーヴしたL型ポケット。
そして何より際立ったデザインとしては、フリスコジーンズなのにアウトポケットなのだ!
敢えて全てのステッチをレモンイエローに統一、
戦前のサンフランシスコデニム対決に一石を投じてみた。
これからの季節に打って付けな、軽めの10オンスデニム。
デニムのコーディネイトが広がる逸品です!
そして恒例となっているコロナ禍について。
今回も最新のデータを貼り付けておきます。
やはり相変わらず日本のコロナ陽性者数はほぼ横這い。
「地を這う様な折れ線グラフ」です。
そんな中、日本では人口が多い県を中心に緊急事態宣言発令中。
本来ならば2/7で終了だったはずが、3月まで延長らしい。
上記のグラフを見てみれば、
12月後半から若干感染者が増えた感もある日本(それでもほぼ地を這う感じだけど)。
そして今回は、飲食店が20時まで!
全く意味がわからない!
日本のコロナ陽性者数はほぼ横這い。
この表を見て貰えればわかる様に、飲食関連は全体のたった19%。
感染者を多く出しているのは医療・福祉施設なのに。
多くの人が利用する飲食店を人身御供にする事で、
大衆にネガティヴを振り撒いている。
そうする事で視聴者は受動ストレスを受け、
メディアからの情報を鵜呑みにしてしまう。
すると広告の効果が大きく出る様になり、
マーケティングにハマってしまう。
コロナ禍を殊更大きく見せているのはマスコミであり、
そのマスコミを動かしているのは広告主であるクライアント。
クライアントが多数所属しているのが経団連で、政治献金も莫大。
ではまた来月!