古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その37

 

 

 約一ヶ月のごぶさたでした、酒丸です。

先ずは…六月に開催した「野晒展」に、

たくさんのご来場ありがとうございました。

 

ドライボーンズ創立三十周年の一環として行った今回の展覧会、

実は当日までバタバタだったのですが…(汗)

 

結果的に多くの人に喜んで貰えて、本当に良かったと思います。

開催中に会場でも説明していましたが、目下鋭意目録を製作中です。

来週には出来上がりそうなので、

再来週あたりから随時発送していく予定です。

また、展覧会に来られなかった方々にもコレクションを観てもらうべく、BANDWAGON臨時増刊号として発行し、

店頭でも販売していくこととなりました。

もうしばらくお待ちくださいまし。

 

 

では、観に来られなかった方々にちょっとだけ展覧会の雰囲気を。

まずは会場となった原宿キット・ギャラリーの入り口。

チャーべ君、お世話になりました!

ありがとうね~!

 

中の雰囲気は、こんな感じ。

明治時代末期から大正、昭和初期頃までの髑髏柄着物がズラリ。

 

中央には「インスタ映え用」に卒塔婆を用意。

(金光寺、極楽寺の住職、ありがとう!)

ちなみにこの写真の中で卒塔婆を持っているのは、

モデルでありDJでありシンガーであり、カレー屋でもある「坂田かよ」ちゃん。

今回は無理を言って、

野晒展の書生(アルバイト的な)も務めていただきました。

 

今回のこのイベントで見ていただいた人には分かると思うんですが…

やはり当時の着物は、手の掛かり方が尋常じゃ無い。

素材はシルク、つまり絹で、今では工芸品扱いの素材。

その素材に対して抜染捺染はもちろんのこと、

手仕事での絞り染めだったり、

ろうけつ染めだったり、

手描きだってあったりする!

今の時代から見れば、

この上なく贅沢で丁寧な仕事を淡々と熟しているんです。

 

例えば現場でも展示していたこの「鹿の子絞り染め髑髏」。

柄のアップ。

よく見てもらえるば分かるように、

シルクの生地を摘んで糸でぐるぐるっと巻き、

その後に染めて糸をほどき一つ一つの紋を出しているんです。

こう言った鹿の子絞りは基本的に一人の熟練した職人さんが括ります。

そうしないと絞りの柄の出方が変わってしまうので、

複数の人が行うことは出来ないのです。

熟練の職人さんであっても、

1日に括れるのは数百から千個くらいだと言われています。

つまり、この柄のアップ部分だけで1週間以上。

1着の長襦袢に3箇所の髑髏が配置されているので、

おそらく1着分を括るだけで1ヶ月以上。

今の工賃に換算すると、数十万~数百万円くらいの値段なのです。

 

そんな時代の服を参考にしつつ、

今年のドライボーンズはこの髑髏柄を元に浴衣を製作。

基本的に同じモティーフです。

ただし、鹿の子絞りとかは全く無理なので、インクジェットでプリント。

素材もシルクは全く不可能なので、

東レが開発した新素材「セオアルファ」で生産。

自宅の洗濯機で丸洗いできる、とってもリーズナブルな浴衣が完成。

ちなみにこの柄は、

数年前にロイヤルプッシーとのダブルネームで生産した柄。

当時はあっという間に完売してしまったので…

前回買い逃したという方も、お早めに。

あ、そうそう、ネット上でこんな写真を入手しました。

「男物の浴衣をカッコよく着こなす女性」!

女性ならではの「お端折り」もせず、ラフにシャツやワンピース感覚で羽織っていてカッコいい!

 

また、こんな羽織も展示してみました。

髑髏が相撲を取っている図が、羽裏にドーンと描かれた遊び心たっぷりな羽織。

羽裏のアップ。

 

こんな図案を是非シャツにしてみたかったので…

バックプリントで生産。

いわゆる、ヴィンテージハワイアンシャツで言うところの、

キラウエアやダイバーなどの「バックパネル」スタイル。

なのでフロントには色を反転させたポケットをつけてみました。

こんな遊び心たっぷりな

「1920年代(大正時代)が1950年代に出逢ってしまった」様なシャツ

好みです。

 

 

さて。

ここで一つ、考えてみたいと思います。

ヨーロッパやアメリカで「髑髏柄の服」を一般人が着るようになったのは、

1950年代後期。

簡単にプリントT-Sなどで着るようになったのはもっともっと遅く、

1970年代頃でしょう。

が、日本では1920年代にはかなりの種類が作られており、

古いものだと1800年代頃からあると思われます。

 

この差は一体何故なのか?

一つの理由としては「髑髏」という図案に関する認識の違いだと思います。

西洋の髑髏とは、死から連想する悪魔(デーモン)やゾンビなど。

が、東洋的思想の髑髏とは自分の祖先であり自分の前世であり。

 

この差は、医学の違いにも表れていると感じます。

外科的処置、対処療法の西洋に対し、

医食同源、漢方薬等の内的アプローチが主だった東洋。

つまり髑髏とは西洋では忌み嫌われる対象だった事に対し、

東洋では

「不気味だけど身近で、内なる自分を表現した滑稽なアイテム」

だったから、古くからテキスタイルの対象になったのであろうと。

 

また、西洋は1700年代後半から民主主義が根付き始め、

国民が権利を履行してきました。

ところが東洋、とりわけ日本では300年間もの長い鎖国の後、

突如1867年になって開国、王政復古、富国強兵、

大東亜共栄圏と明治政府や日本帝国軍が実権を握ってしまい、

国民が蔑ろ(ないがしろ)になってきました。

だからこそ、羽裏や長襦袢という

「外(特高や憲兵)からは見えない部分に纏う反骨精神」という形で、

髑髏柄が着られたのだと思います。

 

第二次世界大戦が終わった後、

アメリカ占領下を経て民主主義になった様に見せかけて…

この令和に、急激に軍国化する可能性を持ち始めてきました。

大正時代の髑髏柄着物を着ていた市井の人達に

「真に日本人は自由を手に入れたのだ」

と気概を見せるのは、7月の参院選かもしれません。

先ずは投票率(70%以上!)を上げて、

民意を国政に反映させていきたいですよね。

そう出来なければ、当時の人たちに申し訳ない。

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