約ひと月のご無沙汰。酒丸です。
早いものでもう九月の後半、2018年もあと3ヶ月ちょっととなってきた。
そして日曜日は秋分、もうすっかり秋。
なので今日は、
本格的なファッションシーズンを迎える秋に
「ヴィンテージファッション」の起源となったジャケットの話を、
書いてみたいと思う。
その「起源」を書こうと思ったのは、
随分昔に買ったこの本を再読したから。
イギリス「族」物語。
この本は、イギリスのユースカルチャーについて書かれており、
こんな目次内容。
年代を追って古い順に、
「テディボーイ」「ロッカーズ」「モッズ」…と紹介されていく。
今の日本で言えば「族」とはもっぱら「暴走族」なんだろうけれど…
実はそれ以前にも「太陽族」や「みゆき族」、
「カミナリ族」などが存在していたのだ。
そういった「戦後のサブカルチャーを体現していて
社会的にも影響を及ぼす部族(トライブ)」を「族」と括った時代があった。
今ならさしずめ「~系(渋谷系とか)」に当たるのだろうか(ちょっと弱いけど)。
そしてその「イギリスの族」の9番目に、
ちょっと異質な「古着ファッション」という項目が163ページから書かれていた。
その最初のページの一部を紹介してみたい。
小さすぎて読みづらくて申し訳ない…(汗)
『戦前は、(そして今日でも)古着は貧困のしるしだった。
教会の慈善バザーやチャリティ・ストアでしか着るものを買えない人々のものだった。
しかし、第二次世界大戦後、トラッド・ジャズのファンが、
軍の余剰物資のダッフルコートを着始めて以来、
それはポップカルチャーの中でクリエイティヴな発想から古着ファッションになった。』
と書かれている。
ちょっとここで歴史の勉強。
イギリスは…
第二次世界大戦でナチスドイツと睨み合い。
ドイツはポーランド侵攻をはじめ、デンマーク、ノルウェーにも侵攻。
その後オランダ、ベルギーにも侵攻し、フランスを降伏させた。
ドイツ軍としてはフランスを手に入れた事でイギリス本土への空爆が可能になった。
この時の他のヨーロッパ諸国、
スイスやスウェーデン、スペイン、ポルトガルは中立の立場をとっており、
イタリアに至っては勝ち馬に乗ろうとドイツと同盟を組んだ。
イギリスは孤立無援状態。
ここで当時のイギリス首相チャーチルは一計を案じた。
ドイツ・イタリアと共同戦線を張っていた日本にアメリカを攻撃させ、
アメリカをイギリス側につけようと。
参戦したかったが国内世論で中立の立場を取らざるを得なかったアメリカ大統領ルーズベルトは、
チャーチルとこっそり作戦を練って日本にちょっとだけアメリカを攻撃させる企みを思いついた。
まんまとその手に乗った日本はハワイの真珠湾を攻撃。
アメリカ国民は自国を攻撃されて一気にヒートアップ、
日本はおろか、ドイツ・イタリアもぶっ潰す!となった。
結果として…日本は負けた。
沖縄に上陸を許し、多くの市民が巻き込まれた。
東京をはじめとした大都市にも絨毯爆撃され、
挙げ句の果てに広島と長崎に当時最先端だった原子爆弾を投下された。
日本はアメリカをはじめとしたイギリス・フランス等の連合軍に無条件降伏した。
ドイツもソ連との戦いに敗れフランスノルマンディーから100万もの連合軍に上陸され、
フランスを解放。
イタリアでもアメリカ・イギリス連合軍が上陸し、どちらも降伏。
まぁ、こういった内容はある程度歴史の勉強で習うこと。
ではちょっと視点を変えてみたい。
アメリカはハワイの基地を攻められたものの、本国は全くの無傷。
日本は本土に絨毯爆撃、沖縄には上陸され、原爆を落とされて惨敗。
ドイツも各占領地域に連合軍が入ってきて、ソ連にも蹂躙され、壊滅。
ここでイギリスの立場が微妙なのだ。
アメリカが参戦してくれたからなんとか戦勝国側に立っていられるが、
孤立無援状態がありその後もアメリカと一緒にヨーロッパや自国植民地奪還を行ったので、
猛烈に疲弊していた。
つまり、第二次世界大戦とは「アメリカ一強」を作った戦争であり、
他の参戦国は勝っても負けても大打撃だった。
アメリカ以外の国の人たちは、その後貧困に苦しんだ(だからこそ、
アメリカンフィフティーズをゴールデンエイジという)。
日本人は滞りがちな配給や闇市などで糊口をしのいだ。
同様にヨーロッパ各国も、経済的になんとか復興するのに10年近くを費やしたのだ。
その時の一般市民の服は、もっぱら古着だった。
オシャレとかファッションとかかっこいいとかではなく、
寒さをしのぎ暑さから身を守るための服。
慈善団体や教会が古着を集めて配給したり、
軍の余剰物資を売ったりする会社も出来始めた。(蛇足だが…
軍の放出品である発電機のモーター部分だけを取り出して自転車につけたのが、
本田宗一郎である)
イギリスでは第二次世界大戦中の防寒衣料として、
北欧の漁師たちが着ていたワークウエアをベースにダッフルコートを作っていた。
戦争が終わった1950年代、
そういったイギリス軍の余剰物資や兵隊の古着が、市場に出始めたのだ。
こういったダッフルジャケットも、そのひとつ。
染められていない、生成色のウールを使った簡素なアウター。
これは1940年代の、ロイヤルネイビー(イギリス海軍)のダッフルジャケット。
内側のタグには、イギリス官有物のマークである「ブロードアロー」がある。

この年代のダッフルジャケットは様々な色も存在している。
生成色が一番多いが、
野戦を想定したカーキ色、
最後尾を歩いてわざと目立つようにしたレッドなどもある。
特に珍しいのがレッド。
また、戦時中に作られていたということもあり、作りがかなり簡素。
基本的に単(ひとえ)であり、裏地などはつかない。
ポケット部分の補強としてコットンテープが裏から叩きつけてある。

その補強テープにもブロードアローがある場合がある。
前振りが長くなった。
このように1950年代、
やっと戦後復興をしてきたイギリスに「貧困のための古着」から
「ポップカルチャーの中から生まれたクリエイティヴなファッション」として
初めてクローズアップされたのが、
イギリス軍放出のダッフルジャケットだったのだ。
期しくもそれは、
イギリスでデディボーイやロッカーズ、
モッズ等の「族」達が出現し始めた時期とも重なってくる。
つまり「ファッションが流行音楽と連動し始める時期」でもあったのだ。
(日本ではこの時期が「族」の最初である「太陽族」となり、1970年代後半からのロックンロールリバイバルによって「ローラー族」、そしてその後の「チーマー」を代表するヴィンテージブームにつながっていく)
その頃のレアな赤いダッフルジャケットを再現。
着丈はコートというよりジャケット。
真っ赤なアウター、
戦時中に最後尾を歩いて目立つようにし、敵から自軍を守るため。
当然、一番戦闘能力が高い兵隊が着る色だった。
ヴィンテージはメルトン単なのだが、
それだと着辛くチクチクするので、
キュプラの裏地をつけて快適に着られるようにした。
ポケット付けに注目。
裏地で隠れてしまってはいるけれど、
ロイヤルネイビー精神を受け継ぐテープの叩きつけは見えないところで頑張ってる。
秋の夜長。
たまには読書も良いのでは?
昔買った本を再読してみたら、
こんな発見があって面白かったのでブログに書いてみた。
この赤いダッフルジャケット、残りわずか。
お早めに。
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