古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その38

 

 梅雨も明け、八月。

一年で一番暑い時期を、皆様如何お過ごしでしょうか?

約一ヶ月のごぶさたでした、酒丸です。

夏になると海に行きたくなるのは、昭和世代のサガなんでしょうか?

ウチの実家、千葉県館山市の北条海岸からの夕陽。

もう、ほとんどカリフォルニア。

ああ、海で泳ぎたい(でも仕事がね…汗)

 

 

 と言う訳で、

今回は「真夏に最適なチェックのシャツ」をいくつかご紹介。

 

今年はチェックが流行だそうで、店でもよく動いてる。

清涼感のある配色、

レトロでクラシックな柄、

アイビーテイストな伝統的チェック、

他の人と被らないようなちょっと変わったチェック、

などがドライボーンズでも大人気。

 

そして共通して言えているのは「オープンカラーシャツが人気!」と言う事。

やっぱりこれくらい暑いと

首回りがすっきりしていた方が着易い様だ。

 

まずは「清涼感のあるチェック」

白地にネイビーが基調となった、清涼感たっぷりなチェック。

手前はトーン・オン・トーンと呼ばれるチェックで、

同じ色相(ここで言うとネイビーとサックス)で構成されたチェック。

奥はいわゆるオンブレ・チェック、

1950年代好きに好まれている伝統的なチェック。

どちらもコットン素材、

洗いをかけて若干シワ加工みたいになっているので肌にサラサラ。

かなり大人気。

 

続いて「レトロでクラシックなチェック」

ヴィンテージで出て来そうなクラシック感たっぷりなチェック。

手前がワイン系、奥がグリーン系。

アメカジの代名詞であるデニムやチノパンとも相性抜群な配色。

糸にハリがあるので結構しっかりしている割に、涼しい。

個人的にもお気に入りで、

私はワインを購入。

この夏のヘビーローテーションになっております。

 

お気に入りの理由はもう一つあって…

ワタクシ、夏場はバッグをほとんど持たないので、

ポケットが両胸に付いていると重宝するんです。

スマホとタバコは絶えず持ち歩きたいので、

ポケットが二つあると便利。

しかもバイアスどり(斜め45度)になっているので、

シャツに表情が出てくる。

 

そしてお次は「アイビーテイストな伝統的チェック」

コテコテなアイビー調チェック。

素材もオックスフォードなので、

本来ならボタンダウンが王道なんだろうけれど…

今年は敢えて、オープンカラーにしてみた。

これが大正解。

トラッドほど硬くならず、

むしろ1950年代末期のカリフォルニアっぽい。

アメリカングラフィティやグリースの映画などで、

ちょい役で出てきそうなファッション。

これもデニムやチノパンはもちろん、

配色が綺麗なのでブラックタイトなボトムや、

カジュアルダウンされたショーツなどにも合わせられる。

コーディネイトをあまり選ばない、万能型チェック。

 

そして最後に「他の人とあまり被らない、ちょっと変わったチェック」

柄としては「オーバーチェック」と言われる、

チェックの上からチェックが乗っているようにみえる柄なんだけど…

これが変わり種なのは、

先染めではなく「プリント」だと言うこと。

1950年代に流行した「なんでもプリントしてしまおう」的な発想の元、

セーターの編み地柄であるアーガイルや雷鳥をプリントで表現したように、

チェックも数多くプリントされた。

今回のこの柄は、

オーバーチェックの中にさらにドミノ柄のようなドットも表現されていて、

かなりフィフティーズっぽい。

残りわずか、オススメです。

 

 

 

 実は先日、ちょっと面白い雑誌を古道具屋さんでゲット。

それがコレ。

「女性のくらしを新しく美しくする」と言うキャッチコピー、

中原淳一氏発行「それいゆ」、なんと1958年8月号。

 

そんな中にこんな記事が。

当時大流行していたラビットスクーターに乗ってポーズをとる、

凛々しい青年。

なんと!菅原文太兄さん!!!

コットンのダーク系チノクロスパンツに、

チェックのオープンカラーシャツ!

向かいのページにはモデルとして「菅原文太さん」と言う名前(一番左上)とともに、

富士重工のラビットスクーターの広告が!

タイアップ企画だったんですね~!

 

古い雑誌を見ていると、たまにこういった発見があって、嬉しい。

 

そして「それいゆ」で思い出しましたが…(わざとらしい)

21世紀の「SOLEIL(それいゆ)」と言えばこの人!

2017年に結成された、酒丸イチ押しのバンド!

なんと!

9月16日のドライボーンズ30周年アニバーサリーイベントに出演が決定!

ものすごくものすごくものすごく楽しみ!!!

(チケットの購入は、お早めに!)

 

 

 ちなみに…雑誌「それいゆ」を出版していた人物は、中原淳一氏。

彼が晩年こよなく愛した地が千葉県館山市の塩見という地域。

ここに、彼の碑が建てられている。

冒頭の夕陽を見に館山に行ってみたいな、と思ったあなた!

もし時間が許されれば、塩見の碑も観に行ってみて下さい。

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その37

 

 

 約一ヶ月のごぶさたでした、酒丸です。

先ずは…六月に開催した「野晒展」に、

たくさんのご来場ありがとうございました。

 

ドライボーンズ創立三十周年の一環として行った今回の展覧会、

実は当日までバタバタだったのですが…(汗)

 

結果的に多くの人に喜んで貰えて、本当に良かったと思います。

開催中に会場でも説明していましたが、目下鋭意目録を製作中です。

来週には出来上がりそうなので、

再来週あたりから随時発送していく予定です。

また、展覧会に来られなかった方々にもコレクションを観てもらうべく、BANDWAGON臨時増刊号として発行し、

店頭でも販売していくこととなりました。

もうしばらくお待ちくださいまし。

 

 

では、観に来られなかった方々にちょっとだけ展覧会の雰囲気を。

まずは会場となった原宿キット・ギャラリーの入り口。

チャーべ君、お世話になりました!

ありがとうね~!

 

中の雰囲気は、こんな感じ。

明治時代末期から大正、昭和初期頃までの髑髏柄着物がズラリ。

 

中央には「インスタ映え用」に卒塔婆を用意。

(金光寺、極楽寺の住職、ありがとう!)

ちなみにこの写真の中で卒塔婆を持っているのは、

モデルでありDJでありシンガーであり、カレー屋でもある「坂田かよ」ちゃん。

今回は無理を言って、

野晒展の書生(アルバイト的な)も務めていただきました。

 

今回のこのイベントで見ていただいた人には分かると思うんですが…

やはり当時の着物は、手の掛かり方が尋常じゃ無い。

素材はシルク、つまり絹で、今では工芸品扱いの素材。

その素材に対して抜染捺染はもちろんのこと、

手仕事での絞り染めだったり、

ろうけつ染めだったり、

手描きだってあったりする!

今の時代から見れば、

この上なく贅沢で丁寧な仕事を淡々と熟しているんです。

 

例えば現場でも展示していたこの「鹿の子絞り染め髑髏」。

柄のアップ。

よく見てもらえるば分かるように、

シルクの生地を摘んで糸でぐるぐるっと巻き、

その後に染めて糸をほどき一つ一つの紋を出しているんです。

こう言った鹿の子絞りは基本的に一人の熟練した職人さんが括ります。

そうしないと絞りの柄の出方が変わってしまうので、

複数の人が行うことは出来ないのです。

熟練の職人さんであっても、

1日に括れるのは数百から千個くらいだと言われています。

つまり、この柄のアップ部分だけで1週間以上。

1着の長襦袢に3箇所の髑髏が配置されているので、

おそらく1着分を括るだけで1ヶ月以上。

今の工賃に換算すると、数十万~数百万円くらいの値段なのです。

 

そんな時代の服を参考にしつつ、

今年のドライボーンズはこの髑髏柄を元に浴衣を製作。

基本的に同じモティーフです。

ただし、鹿の子絞りとかは全く無理なので、インクジェットでプリント。

素材もシルクは全く不可能なので、

東レが開発した新素材「セオアルファ」で生産。

自宅の洗濯機で丸洗いできる、とってもリーズナブルな浴衣が完成。

ちなみにこの柄は、

数年前にロイヤルプッシーとのダブルネームで生産した柄。

当時はあっという間に完売してしまったので…

前回買い逃したという方も、お早めに。

あ、そうそう、ネット上でこんな写真を入手しました。

「男物の浴衣をカッコよく着こなす女性」!

女性ならではの「お端折り」もせず、ラフにシャツやワンピース感覚で羽織っていてカッコいい!

 

また、こんな羽織も展示してみました。

髑髏が相撲を取っている図が、羽裏にドーンと描かれた遊び心たっぷりな羽織。

羽裏のアップ。

 

こんな図案を是非シャツにしてみたかったので…

バックプリントで生産。

いわゆる、ヴィンテージハワイアンシャツで言うところの、

キラウエアやダイバーなどの「バックパネル」スタイル。

なのでフロントには色を反転させたポケットをつけてみました。

こんな遊び心たっぷりな

「1920年代(大正時代)が1950年代に出逢ってしまった」様なシャツ

好みです。

 

 

さて。

ここで一つ、考えてみたいと思います。

ヨーロッパやアメリカで「髑髏柄の服」を一般人が着るようになったのは、

1950年代後期。

簡単にプリントT-Sなどで着るようになったのはもっともっと遅く、

1970年代頃でしょう。

が、日本では1920年代にはかなりの種類が作られており、

古いものだと1800年代頃からあると思われます。

 

この差は一体何故なのか?

一つの理由としては「髑髏」という図案に関する認識の違いだと思います。

西洋の髑髏とは、死から連想する悪魔(デーモン)やゾンビなど。

が、東洋的思想の髑髏とは自分の祖先であり自分の前世であり。

 

この差は、医学の違いにも表れていると感じます。

外科的処置、対処療法の西洋に対し、

医食同源、漢方薬等の内的アプローチが主だった東洋。

つまり髑髏とは西洋では忌み嫌われる対象だった事に対し、

東洋では

「不気味だけど身近で、内なる自分を表現した滑稽なアイテム」

だったから、古くからテキスタイルの対象になったのであろうと。

 

また、西洋は1700年代後半から民主主義が根付き始め、

国民が権利を履行してきました。

ところが東洋、とりわけ日本では300年間もの長い鎖国の後、

突如1867年になって開国、王政復古、富国強兵、

大東亜共栄圏と明治政府や日本帝国軍が実権を握ってしまい、

国民が蔑ろ(ないがしろ)になってきました。

だからこそ、羽裏や長襦袢という

「外(特高や憲兵)からは見えない部分に纏う反骨精神」という形で、

髑髏柄が着られたのだと思います。

 

第二次世界大戦が終わった後、

アメリカ占領下を経て民主主義になった様に見せかけて…

この令和に、急激に軍国化する可能性を持ち始めてきました。

大正時代の髑髏柄着物を着ていた市井の人達に

「真に日本人は自由を手に入れたのだ」

と気概を見せるのは、7月の参院選かもしれません。

先ずは投票率(70%以上!)を上げて、

民意を国政に反映させていきたいですよね。

そう出来なければ、当時の人たちに申し訳ない。

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その36

 

 関東地方の本日は朝から雨模様。

近所の紫陽花が綺麗に咲き揃ってきた。

 

紫陽花の花そのものもいいんだけど、

葉のグリーンの鮮やかさに生命の強さを感じて、すごく好き。

 

 そして先日の日曜日は、名古屋店にて14周年振る舞い酒に参加。

ここに写っていない方も含め、

たくさんのご来店本当にありがとうございました。

実はこの写真の中には、15歳の女の子も写っていまして…

名古屋店開店当初から来店、共に歳を重ねているというレアケースも。

継続は力なり。

そして文化も、継承する事で価値が高まっていくのだと実感。

 

 

 そんな切り口から、今月のブログはイベントの告知。

来週から始まる「野晒展」。

皆様、日程の段取りは組めましたか?

 

このフライヤー(本当は藁半紙で作って大正時代のフォントを使いたかったんだけど、共に出来ず断念:涙)に書かれている通り…

 

会期は2019年6月10日から23日まで

1週間で中身(展示物)を総入れ替え。

 

昼12時開場、夕方18時閉場。

実質6時間しか開いてません

 

場所は原宿キットギャラリー。

 

入場料は1000円。

これは後日発送する目録代込みの値段。

 

 

と、まぁここまでの説明は前回と同じ。

 

ここからは「野晒展に行ってみたくなる内容」を書いておこうかと。

 

展示物は基本的に大正時代を中心とした、約100年前の着物達。

中には、江戸末期の錦絵も。

歌川国芳の名作「相馬の古内裏」。

 

私がこの絵を古書店で見つけたのは、もう25年以上前。

その後、原宿の太田美術館の学芸員の方とも話をさせてもらい、

版権がないことを確認してハワイアンシャツの原画として利用させてもらった。

そのハワイアンシャツは未だに大切に着てもらえているようで、

某オークションでも、出れば当時の数倍でやり取りされている模様。

 

その後、浮世絵師の歌川国芳のバリューが一気に伸びて、

全国で個展が開かれるようになった。

多少は文化継承の一端を担った自負あり。

 

着物の一部も紹介。

手描きの羽裏にダンシングスケルトン。

もう、どんな人が着ていたのか想像できないパンクな着物

 

こんな端裂も。

雪の結晶柄がジャカードで施されたシルク生地に、スカルのプリント。

100年くらい前の物。

スーパーかっこいい生地。

 

こんな感じの物を、毎週30種類づつ、2週間に分けて展示します。

お楽しみに。

 

そして会場でお買い物もできるよう、仕込んでます。

例えば…

 

京友禅のドクロプリントハワイアンシャツ

もちろんシルク。

10年以上前に作った生地が発掘されたので、超限定生産。

 

そして他にも…

 

同じく京友禅のドクロプリント、ボーダー柄

これも10年くらい前に作った生地、

当時はプリントミスがあって生産しなかったいわゆる「B反物」なのだが、

シルクで勿体無いし文化継承のためにも形にした方が良いと思い、

再生産。

これも超限定数。

 

また、毎年恒例の浴衣も。

 

これは数年前にロイヤルプッシーとダブルネームで生産した柄を、

色違いで復刻。

いろんな意味で文化継承。

 

さらに会場で楽しんでもらえるように、いろんな仕込みも考えており。

例えばポップ。

こんな「髑髏小話」を随所に貼り出す予定。

全部で10話あるので、見つけ出してみてください。

 

更に、インスタ映えを狙って…

 

手で持って撮影できる「卒塔婆」も用意

これもポップとして使っているので、手に取ってみてくださいまし。

 

 

そしてなんと、やっとバンドワゴンのVol.16も入荷!

当日は現場でも購入できるようにしておこうと思います。

 

では皆様、来週以降原宿キットギャラリーにてお会いしましょう。

 

基本的に私は毎日会場にいる予定ですが…

でも昼飯だったり昼寝だったりでちょくちょく抜ける可能性もあるので、

あしからずご了承くださいまし。

 

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その35

 

 関東地方は、本日5月10日で、

急に気温が上がった。

もうすっかり夏!

今年はゴールデンウィークも愚図ついた日が多かっただけに、

ちょっと嬉しいような。

 

皆さんのゴールデンウィークは、

どうだったのでしょうか?

私はいつも通り淡々と仕事をしていまして…

世間的には十連休だというのに、

普通に2日の公休があっただけ。

 

まぁ、全然それで構わないんですが…

「ゴールデンウィークって何?美味しいの?」的なレベルでした。

そうは言いながら、

道路がスカスカになる時期でもあるんで…

ひとっ走り実家がある千葉県館山市に弾丸帰省し、

実家の世話を焼いてきました。

 

実家には桜の木があるんですが、

このシーズンはちょうどサクランボが成る時期。

ハードな庭仕事をこなしつつ…

小鳥のようにサクランボを啄んでおりました。

 

 

さて。

これだけ暑くなってくると、そろそろ半袖シャツの時期!

今週、たくさんの新作が入荷してきたので、

まずはそれをご紹介。

折り鶴柄のオープンカラーシャツ!

 

歌麿調のプリントが入ったシャツ!

 

フィフティーズな幾何学チェックプリントのシャツ!

 

前身頃にダイヤ柄が刺繍されたシャツ!

 

前身頃にアーガイルが刺繍されたシャツ!

(ネットショップへのアップは、もうちょっとお待ちくださいまし)

 

他にもたくさんの半袖がラインナップされました!

そして何より…

私の様に

「ゴールデンウィークに大して休む事が出来なかった人達の為の」

ガラガラポン!は、5月12日まで開催中!

ギャンブル性の高いこのイベント、

残り物には「福がある」と言います!

是非是非、大当たりを当ててやってくださいまし!

 

 

 

 

 

 ここからが本題。

このブログのタイトルにもある様に、

ドライボーンズというブランドの使命は

「古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ」事だと考え、

日々精進しております。

 

そして今年、ドライボーンズはめでたく30周年を迎えます。

 

この30年間の間にあった「細かい出来事」は、

バンドワゴン誌内の

「ミクロ・コスモス」

という自叙伝のページで書き連ねているので読んでみてください。

 

ドライボーンズは30年前、

ヴィンテージの古着や家具を扱う店として開店しました

 

が、その後色々な事があってアパレルブランドとして成長していきます。

店のガラスを割られてヴィンテージを根こそぎ盗まれたり…

服作りの勉強のために店を経営しながら夜間の専門学校に通ったり。

 

多くのお客様に指示され、

多くの友人に支えられ、

多くのスタッフと苦楽を共にしての、

30年間だったわけです。

 

ところが、30年経って

「古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ」

という理念が揺らぎ始めてきてしまいました。

 

それはなぜか?

「古きを訪ねて~」の、

「古き」の部分を知らない世代が、

増えてきてしまっているのです。

「古き」を知らないから「新しき」もわからない。

当然、繋がっていかないのです。

 

これはいかん。

なんとかせねば。

 

そこで…販売とかではなく、

私の持っている「古くて物凄いもの」を、

まずは見てもらって、

興味を持ってもらいたい、

と考えました。

 

なので、こんな展覧会を催す事にしてみました。

「野晒展」。

 

え、何を言っているのかわからないって?(汗)

 

まぁ、この展覧会を見にきてもらえれば…

私が言いたい事が「かなりわかる」と、思います。

 

このチラシの内容を軽く説明しておきます。

 

まず、展示品は

「明治末期~大正~昭和初期頃までの、髑髏柄の着物」

のみです。

 

ドライボーンズだから髑髏、というわけではなく…

「なぜ、今から100年くらい前の日本で、

ファッションとしての髑髏が流行したのか?」を、

見て考えてほしいのです。

 

入場料は1000円。

ただし、この1000円は入場料というよりは、

「目録代」だと思ってください。

入場時に住所を書いてもらうので、後日目録を発送します。

 

そして期日は6月10日~23日までの2週間。

この間、1週間で展示物を全て入れ替えます。

なにせコレクションが膨大なので、

2週に分けないと展示しきれない。

全部見たい人は、毎週来てください。

それでも入場料は1000円ぽっきり。

なぜならば「古きを訪ねる事」が、目的だからです。

 

場所は原宿キットギャラリー。

ラーナーズのバンマスでもお馴染み、

チャーべ君が営むギャラリーです。

 

そして協賛には、中目黒の赤丸という居酒屋の他に…

真言宗智山派の、金光寺と極楽寺という二つのお寺さんが絡みます。

これも、当日のお楽しみとしておいてください。

おそらく、全世界初の試みです。

 

当日展示するアイテムの一つを、こっそり見せびらかしておきます。

これは、1930年代(昭和初期)の、髑髏柄の帯。

しかも、髑髏が色々なスポーツに興じている絵。

これはおそらく、

幻のオリンピックと言われた1940年の東京オリンピックに、

かこつけて作られた帯。

当時、満州進出で世界的に批判を浴びていた日本は、

結果としてオリンピックを返上することになりました。

こういった柄も、古きを訪ねていかないと見る事ができない。

また、この柄が持つ精神的な意味歴史的事実を理解していきたいのです。

 

 

6月に、多くの人と「野晒展」でお会いできることを、

楽しみにしております。

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その34

 

 四月に入っての、この寒波襲来…。

もう、地球規模で「小氷期」になり始めてますな。

1400年代から1800年代にかけて断続的に起こったと言われている小氷期。

これが原因で日本やアイルランドでは飢饉が起きて、

それが時の政府の瓦解にも繋がったらしい。

「地球温暖化」なんて話も聞かれているが、それはおそらく陰謀。

だって世界中に200基も海水を温める機械があり(54基は日本に存在)、

絶えず海水温を上げて暖流の行方を狂わせているのだ。

人口密度が高い地域ほど「夏場だけ異常に気温が高くなる」のは必然。

 

 

 

 

 さて。

私は寒い日や雨の日は、家に閉じこもって古い映画を見るのが好き。

基本的に毎月10本以上の映画を見ているが…

昔見た古い映画を改めて見直すと、全く新しい発見があったりするから面白い。

 

 

なので紹介。

1975年公開、私が小学生の頃に地元の映画館で見た「ジョーズ」。

当時もこの映画、怖かった…。

しばらく海で泳ぐのに、背ビレを探した遠い記憶が蘇ってくる。

 

ところで。

今になってこのポスターを改めて見てみると、ちょっとびっくり。

登場人物に「リチャード・ドレイファス」の名前がある!

なんと映画「アメリカン・グラフィティ」の主人公カートではないか。

この人は「ちょっとアツくて賢い役」にはうってつけだったんだろう。

ジョーズ内では、アツい海洋学者として登場。

 

そしてホオジロザメのジョーズを追い詰める漁船に名前に、

またしてもショック。

なんと漁船の名前は「オルカ」だった!

オルカとは本来「シャチ」の学名で、

ジョーズの2年後に公開された海洋動物パニック映画の第2弾「オルカ」と同名。

本来、サメ獲り漁船にはサメの天敵であるシャチの名前を付ける事も多かったらしい。

こんな一致が、意外と楽しい。

 

そしてジョーズを追う保安官の奥さんが出てくるのだが…

こんなシーンが!

なんと奥さんが頭に巻いているバンダナ、クロス柄じゃないか!

ちゃんと継続して生産し続けている、クロス柄バンダナ

映画に出ているネイビー地。

レッド地もあり。

そんなこんなな発見があり…。

 

 

 

 

 

 逆に「今年ラインナップした商品が、映画の中で効果的に使われる場面」も、

探してみようと思った。

 

探し出そうと思ったアイテムは、こちら!

カラー・クルーネック・Tシャツ!

ずっと前から作りたかった、

アンダーシャツとしての「普通の丸首カラーバージョン」。

写真に撮ったクリームグリーンの他、

サックスピンクネイビーブラウンと色も豊富。

 

一応アンダーシャツとしての展開なので、

ドライボーンズ謹製アンダーシャツ用パッケージに入れてみた。

(ちなみに蛇足ですが…このパッケージデザイン、評判が良いので缶バッヂでも登場しました。)

 

 

個人的な企画意図としては…

 

プリント物のシャツが増える夏に、

シャツのアンダーウェアとしてコーディネイト出来ればいいなぁ、

という感じ。

 

例えばクリーム色のTシャツならば…

こんな風にハワイアンシャツ「土偶」のプリント色で使われている、

クリーム色に合わせてアンダーシャツをクリーム色にしてみたり。

 

例えばグリーン色のTシャツならば…

ハワイアンシャツ「TIKI BABY」のモティーフに描かれている、

松の葉に合わせたグリーンのTシャツだったり。

 

例えばサックス色のTシャツならば…

ハワイアンシャツ「マーメイド」の人魚の鰭部分のサックスに合わせて、

Tシャツをサックスにしてみたり。

 

例えばピンク色のTシャツならば…

ハワイアンシャツ「スペースカウボーイ」のロケットのピンクに合わせて、

ピンクのTシャツがかっこいい。

 

例えばネイビー色のTシャツならば…

プリントオープンシャツ「バブル」のサックス色のインナーに、

グラデーションでネイビーのTシャツにしてみたり。

 

例えばブラウン色のTシャツならば…

和柄ハワイアンシャツ「モンキー」での、

猿の体色のグラデーションとしてブラウンのTシャツをコーディネイトしてみたり。

 

 

 

なので、古い映画の中でカラーのクルーネックTシャツを探してみた。

まずは古典的映画「ウエストサイドストーリー」。

 

シャーク団と対立するジェッツのリーダー、リフ。

彼はマスタードカラーのジャケットに、

サックスブルーのカラーTシャツ。

この配色は、おそらくブルージーンズとのコーディネイト。

 

 

そしてお次は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」。

 

もちろん主人公のマーティ。

ワイン色のダウンベストにコーディネイトされた、ワイン色のクルーネックTシャツ。

 

カラーTシャツだと、単品でも個性が光る。

 

 

そして最後は「スタンド・バイ・ミー」から。

 

最初のアジトでは、レーヨン素材のハワイアンシャツを羽織るテディ。

 

死体を探して線路沿いを歩くシーンでは、グリーンのクルーネックT。

 

このグリーンのTシャツ、別のシーンではドッグタグと共にオリーヴ色に変身。

第二次世界大戦で軍人だった父親を尊敬している、という設定の彼は、

オリーヴのTシャツとドッグタグという組み合わせがキャラクター設定上、

重要だったのだ(その父親にキレられて耳を焼かれちゃうんだけど:汗)。

 

 

 いや~、古い映画って、本当に色んなことを教えてくれる。

役柄設定上の衣装が重要な様に…

我々の普段のコーディネイトも、意外と重要。

色んな人に見られているからだ。

他の人より頭ひとつ「お、アイツかっこいいじゃん!」と思わせるコーディネイト、

当方ドライボーンズがお手伝いいたします。

 

 

 

そしてお知らせ!

今年もやってきました、このシーズン!

「春のガラガラポン祭り」!(ちょっとネーミングが違うかも:汗)

今年はドライボーンズ30周年という事もあり、

景品にひと工夫入ってます(景品はお皿じゃない)!

 

しかも!

今年のゴールデンウィークは日本史上初の10連休!

ところが、ドライボーンズのお客様は客商売の人も多いので、

連休が取れなくて働く人も多い!

 

そ・こ・で!

 

今年のガラガラポンはなんと「前後1週間づつ期間延長」!!

ゴールデンウィークの1週間前である4月20日、来週土曜日からスタート!

そして終了は、ゴールデンウィーク終了の翌週である5月12日まで延長!

 

ドライボーンズ史上初の、3週間ガラガラポン!

 

もう福引券を配り始めてます!

お待ちしてまーす!

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その33

 三月も半ばになって、かなり暖かくなってきた。

酒丸です。

こんにちは。

 そんな麗らかな今日は、「春のアウターと神事」について書いてみようと思う。

考え方に相違がある人もいると思うけれど、

「ひとつの意見」として知っておいてもらえれば。

 今年の春は、このコートがとても好感触!

デニム素材の、ワークコート

このコート、私も購入して愛用中。

ちょっとした作業の際に「パッと」羽織れるので、

オールインワンのように手間がいらない。

本来なら全身を覆いたい作業(バイクパーツの研磨で粉が沢山飛び散ったり)でも、

これさえ羽織れば大抵OK。

作業が終われば叩いて終わりだし、

結構汚れたらガンガン水洗いしてしまえば良い。

ジーンズと全く同じ使い方。

しかも比較的ロング丈なので、

ちょっとした旅行や出張でもオーバーアウターとして着られる。

先日の福岡出張では、このコート+ベスト&シャツで事足りてしまった。

万能。

(絶賛販売中ですが、かなり数が減ってきましたのでお早目に)

 これの元ネタは、ヨーロッパ(特にフランス)の戦前のワークコート。

アメリカのワークコートと比べると、かなり造形が違う。

戦前の作りということもあるが、

いちいち縫製やパーツが丁寧。

アメリカの様に「大量生産」っぽくない。

ポケットの造形であったり、

胸ポケットの二重具合とかボタン間とか…

本当にちょっとしたことなんだけど、

シックで小綺麗。

そしてこれらのコートの最大の特徴は、素材。

実はこういったユーロワークコートの大半は、

「素材が麻」なのだ。

この写真だと、麻っぽさがわかる(かなぁ:汗)

胸のあたりが若干透けて見えてる。

麻は素材として糸が均一ではないから、

どうしても織り上げたのちにムラができる。

それが吸水性や通風性となって、

年間の作業着などに数多く用いられたのだ。

 ところが、今の日本では…

麻という素材は「超」が付く高級素材

コートの様に用尺がかかるアイテムには、

金額が張ってしまうためちょっと不向き。

ならば、麻の様に自然な色落ちを楽しめる「デニム」で、

あえてユーロテイストなワークコートを作ってみよう、

と考えた次第。

 上記の写真の様な、かなり特殊な胸ポケットも、きっちり再現。

ポケットが二重になっており、

それぞれ入り口の角度が違うから使い易い

おそらく内側のポケットには鉛筆やペンを、

外側のポケットにはハンカチやタバコを入れていたのだと思う。

1箇所のポケットで内容物が分けられる、って、結構重要。

 同じ形で、ちょっとモダンなストライプ柄も作ってみた。

同じデニム素材ながら、

白地が多いストライプなのでより一層春っぽい。

こちらも残りわずか、お早目に

 ユーロワークでも戦前はよく使われていた「麻」という素材。

日本では古来から「神事」と密接に繋がっていた。

古来からある有名な「麻の葉柄」も、

日本の古典的なデザイン。

ちょっと六芒星っぽいデザイン。

このデザインはその名の通り、

麻の葉のデザインから来ている。

そう、いわゆる「大麻(おおあさ)の葉っぱ」のデザイン。

大麻とは古来から日本にあった植物で、

基本的に日本人は有史以来「服の素材といえば麻」だった。

特に神(天皇家)では高価な麻繊維が使われ、

神社の宮司や禰宜が着る服で作られていた。

市井の人たちは基本的に何度も何度も着て引き継がれたユーズドの麻素材を着ていた。

征夷大将軍や大奥はシルク製品も着ていたのだろうけど

基本的に日本人は麻。

染めやすい繊維なので、

最初は脱色して神に近い人達が白や生成を着用。

その後、何十人もの手に渡って、

最終的には藍(天然インディゴ)で「真っ紺」に染められた。

その後も色が褪せてくれば藍の甕の中に漬けられ、

何度も何度も紺に戻して服として着続けられた。

青森などで有名な「刺し子」、あれも素材は麻。

あれほど寒くなる地方でも、

麻のユーズドを何枚も重ね合わせて刺し子縫いをし、

分厚くして防寒着としたのだ。

綿という素材が中国やアジアから入ってくる様になったのは江戸時代。

その後の鎖国政策で素材が海外から入ってこなくなる様になって初めて、

国産の綿が栽培される様になっていった。

つまり、本来日本とは「麻という素材を身に纏って生きてきた国」なのだ。

 なので、今年のドライボーンズは「麻素材」にも注目

ナチュラルな麻素材のファーストタイプ、しかも大戦モデルバージョン

実はこれ、ヴィンテージで元ネタあり。

ポケットにリベットが無かったりするので、リーバイスでは無い。

無銘なブランドの、1930~40年代のもの。

ドライボーンズとしては、

敢えてリベットを打ってフラップ無しにして…

月桂樹ボタン、バックストラップと徹底して「大戦モデル」としてみた。

 先程も書いた様に、麻素材は日本古来から身に纏ってきた素材。

ところが、

今の日本では大麻(おおあさ)という素材を栽培する事すら禁じられている

これは第二次世界大戦で敗北し、

アメリカGHQが占領憲法として定めた事。

理由としては「幻覚症状が出る植物を育てる事は、戦争の元になる」という事だった。

しかし本当の意味は…

戦前まで「現人神」として日本国民の上に存在していた天皇を、

大麻(おおあさ)を禁じる事で「象徴」にまで格下げする事にあった。

「日本の現人神が着ている服すらも、アメリカGHQ占領の元では禁止される」

としたかった訳だ。

ところが、

今の全世界での流れを俯瞰して「大麻の栽培」を見てみると…

現人神の服すら禁止したアメリカは一部ながら「合法」、

他の国も犯罪ではなく寛容になってきている。

厳しいのは日本をはじめ、

米軍基地がある韓国や南アジア各国、

共産圏の中国とイスラム諸国、スカンジナビアくらい。

中国は1840年にアヘン戦争で敗北し香港を割譲されているから、

非常に大麻を嫌っていることは分かる。

が、アヘン戦争以前の中国(清)は、

大麻について寛容すぎていたからこそイギリスにつけ込まれた。

カンボジアやマレーシア・タイランドなどは、

逆に大麻の精製が裏社会の資金源になっている為に取り締まっているのが現状。

しかも今はもうその地域すらゴムの栽培の方が儲かるので、

切り替えはじめている。

 私は日本が大麻解禁になれば良い、と考えているわけではない

ただ…

大戦後のアメリカ占領軍の指導が未だに残っていて、

麻の栽培すら許されていない事が、不思議。

麻は作るな、

兵器は買え、

基地はたくさん作るぞ、

横須賀上空は飛行機飛ばしちゃダメ…等々。

本当にアメリカが強硬に指導しているからなのか?

日本の中に

「アメリカのせいにしていれば、自分たちががっぽり儲かる仕組み」

を作り上げた奴が存在してるんじゃないか?

象徴を祭り上げておいて皇紀2679年だの万世一代だの言っている輩達の中に、

その仕組みを作り上げて国民からの血税を貪り食ってる人たちがいるはず。

皇紀が紀元前660年だと明文化したのは、明治5年

初代神武天皇が紀元前660年に大和国を作ったらしい

徳川幕府から政権を奪った長州藩が中心となって、

革命を起こした明治政府の時代に決めた事。

ちなみに考古学的な観点(放射性炭素年代測定など)から紀元前660年を調べると、

縄文時代晩期から弥生時代初期に当たる。

今回の麻素材のファーストモデルは、42サイズまで生産。

ガタイの良い人にお待たせしちゃってましたが、もう大丈夫。

そしてこのネームが付く。

このネームは通称「ボルステッドネーム」、

アメリカ禁酒法時代(1919~1933)にドライボーンズが存在していたらこんな感じのものを作るだろう、

というSF的な発想の元に作られた商品群。

「麻」と「大戦」が結びついたこのジャケット、

「平成最後の春」という神事に生産してみた。

意味深ながら、デニムとの相性も良くトラウザーズとも合わせやすい。

意外と万能なジャケット。

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その32

 

 二月も半ばになりました。

二月は別名「如月(きさらぎ)」。

如月の意味は「衣更着(きさらぎ)」で、

「寒さが厳しくて、重ね着をする時期」というような意味らしい。

また別には「生更木(きさらぎ)」と書いて、

「春に向かって草木が生え始める」というような意味もあるらしい。

どちらししても「もう寒さはそろそろ終わり」、

これから暖かくなっていくというお知らせのような名前。

 

 なので、春物の紹介でも…と思っていたのだが、

せっかくなのでそれは他のスタッフにお任せして…

 

今回は久しぶりに新作として制作した靴(ブーツ)について。

 

 

今回ちゃんと紹介したい靴とは、これ!

ジーン・ブーツ!

このブーツは1950年代中期頃に当時の不良の間で流行した。

 

エンジニアブーツの短いバージョン…

という訳ではなく、あくまで「街で履く用のイカしたブーツ」として流行。

 

ちなみにサンプルとしたのは、私のコレクションの1950年代のブーツ。

なんと2トーン、しかもブラック&ピンク!

 

そしてエンジニアブーツとの決定的な違いは、

ソールが「ただの合成皮革ソール」なのだ。

つまり、油で滑りやすい場所での使用とか、

バイクに乗ってとか、あまり考えていない作り。

 

そこで私としては、

このブーツでバイクも乗れるように作りたかったので…

ウラノソールにはビブラムのオイルレジストソールを採用。

「バイクにも乗れる街履き用ブーツ」として蘇らせてみたのだ。

 

更にオシャレ度をアップさせる方法として…

外側両脇にドレッシーなチェーンを装着したバージョンもラインナップさせてみた。

 

このブーツの元ネタはこれ。

これは1955年のシアーズ・ローバックのカタログに掲載されていた、

その名も「DRESS BOOTS(ドレス・ブーツ)」。

文章内には「ゴールドカラーのチェーン付き」と丁寧に書かれている。

おそらく、当時の不良な若者はダンスパーティなどの夜遊びシーンで、

チェーンを装着して遊びにいったのだろう。

当時のチェーンには、中央部にパールの様な石の様なチャームが付いていたようだ。

 

 

このチャームに似たものを探す事、数ヶ月。

東急ハンズから始まり、

御徒町のパーツ問屋や横浜の輸入服飾パーツ展示会などをくまなく探したのだが、

いい感じのパーツが見つからず。

 

むしろ潔くチェーンだけにして、

購入者がナイスなパーツを見つけたらそれをつけてもらいたいな、と。

 

ちょっとしたディテールも、紹介。

よく見て欲しいのが、このウェルト部分。

ちゃんと「ダブル・コバ」を採用。

上の段を「黒が劣化してグリーンになってしまった糸」を表現し、

下の段はウェルトを強調するオフホワイトのステッチ。

 

その元ネタも、先ほどのブラック&ピンクのブーツ。

ああ、写真には色が写り込まないな~。

このウェルトステッチ、上の段は若干グリーンに経年劣化しているのだ。

ただし、ステッチが乗っている台座が生成色なので見え辛い。

ちなみに下の段のステッチは、

やはり経年劣化でもう白っぽくなっちゃってるグレー。

 

他にもドライボーンズでは、本格的なエンジニアブーツも展開中。

こちらはグッドイヤー・ウェルト製法、

極めてちゃんとしたエンジニアブーツ

 

ちなみに元ネタは…

こんな感じ。

この写真も、1955年のシアーズ・ローバックのカタログから。

このページは、本格的な機械工のためのページであった。

 

 

 

 そして先日(2/10)には、ドライボーンズ東京店の22周年振る舞い酒も無事に終了。

ご来店いただいたたくさんのお客様、本当にありがとうございました。

 

そして2019年はドライボーンズ30周年ということもあり、

この振舞い酒の時に初めて「酒丸私物オークション」なる出し物もやってみた。

これが意外と面白かった。

オークションに参加してくれた皆さまも…

かなり得をした人、

かなりくだらない物を買っちゃった人、

結構良い物を買い逃しちゃった人、

それぞれ色々いたような気がします!

 

ワタクシは…当日来てくれた「非常に若くて綺麗な女の子」から、

バレンタインデーのお菓子をいただいちゃいました。

今年の秋冬物のセーターの配色決めを行いながら、美味しくいただきました!

ありがとうね~!

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その31

 

 2019年最初の、酒丸ブログです。

 

 小寒が過ぎた。

これからもうすぐ大寒となる今が、一年の中で一番寒い。

が、例年通りご近所の梅が、今年も見事に咲き始めた。

大寒が過ぎれば、その次は2/4の立春。

春はもうすぐ。

 

と言う訳で…今回は「春」にまつわるちょっと不思議な話を一つ。

 

 

 2018年、インスタの流行も手伝って、古い古い友人とネット上で再会。

その人は、私がまだ二十歳そこそこくらいの頃(もう30年以上前!)にヴィンテージハワイアンシャツを通じて知り合った。

彼ら(夫婦)は群馬県高崎市に店舗を構え、

私からもヴィンテージを含めたくさんの仕入れをしてくれた。

よくロサンゼルスで合流して一緒にスワップミートに出かけたり、

お互いの自宅を訪ねあったりして親睦を深めていった。

当方はその後、ドライボーンズというオリジナルブランドを立ち上げた。

その頃から距離的なこともあってなんとなく疎遠になり…

お互いの現状は他人を通じてからしか聞かなくなってしまっていた。

 

ところがここ数年のソーシャルメディアの隆盛により再び接点ができた。

ダイレクトメッセージでやり取りをするようになり、

まずはお互いの無事を確認すべく会いに行くことになったのが昨年の5月。

私も秋冬物の仕込みがひと段落した頃だったので、観光がてら高崎へ。

昔と同じ調子で話してくれる、全く変わらない飄々とした雰囲気。

お互い、無事で何より。

その友人の会社は、こちら!

 

そしてせっかく高崎まで行くのなら、と事前に地図をチェックしてみたら…

ちょっと離れたところに「榛名神社」という名所が鎮座していることが分かった。

 

行ってみよう。

 そうしたら…思いの外「物凄いパワースポット」だった。

オーラを放っている神社。

そして何より…

ちょうど仕込みを終えたスカジャンのディテールが「これでもか!」というくらいに合致していた。

 

まずは先にスカジャンの紹介を。

エンブロイダードジャケット「タワー」。

A面は濃紺地にカーキ色のサテン、背刺繍はタワー、つまり五重塔。

 

B面は真紅にイエローでキルティング、背刺繍は双龍。

2匹の龍が絡み合っている様子が好きで、当方で龍の刺繍といえば、このデザイン。

 

 

榛名神社の「榛」と言う漢字は、乃木偏に「秦の始皇帝の秦」と書く

文字としては植物の「はしばみ」という意味だけれど、

秦の文字が出てくるあたり、渡来人の影響を色濃く受けた古刹という事だろう。

 

大きな敷地を擁する神社で、下の方には清冽な川が流れている。

少し上がっていくと、いきなり五重塔が。

正確に書けば三重塔だけれど、刺繍の方は四重塔だから気にしない。

この塔を見上げながら

「あ、今年作るスカジャン刺繍の柄だ。なんだか縁起が良いなぁ」

なんて思っていた。

 

そして一番上の門を見て、びっくり。

なんと、その名も「双龍門」!

見渡してみると、周囲一帯に龍の彫り物だらけ。

中でも圧巻なのが、社殿の軒から伸びる双龍。

2本の柱に、赤と白の龍がとぐろを巻いている。

大迫力!

なんだか、このスカジャンのために榛名神社に訪れたような感覚になってしまった。

 

今年の近所の梅を見て、ふとこの神社のことを思い出した。

その神社には、こんな柱もあったからだ。

網代編みの上に梅の彫り物。

しかも一枚物の彫り物。

素晴らしい。

この神社について詳しくは、こちらを。

 

考えてみれば…その高崎の取引先でアルバイトとして働いていた女の子は、

今やドライボーンズの重鎮として日々采配を振るっている。

そして苗字(旧姓)には「龍」が付く。

榛名神社からの使者かもしれない、不思議なご縁。

 

 さて、今年はドライボーンズ30周年、記念の年。

色々と仕掛けますので、お楽しみに。

1月から大阪店で初めて、よそのブランドの展開を始めた。

盟友川村カオリが立ち上げた、ロイヤルプッシーというブランド。

知っている人も多いと思うけれど…改めてお見知り置きを。

 

そして2/10日曜日は、東京店にて開店22周年振舞い酒。

皆様、色々と申し合わせの上、ご来店くださいまし。

もちろん私も、夕方くらいから参加する予定です。

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その30

 

 

師走ギリギリの酒丸でございます。

 

今年最後の「大きな骨董市」に行ってきた。

そうしたら…とんでもない逸品を発見!

何と歌川国芳画の「相馬の古内裏」を発見!

もちろん版画だし、

当時のものでは無いにしても複数枚数が過去に何度も作られてきたアイテムではある。

が、しかし、私がこの版画を骨董市で見つけたのは25年前の1回だけ、

つまり今までにたったの2回しか見たことがないのだ。

当然1回目に見つけた時も購入(その後、その絵を元に太田美術館に問い合わせて版権など法律的な問題が無いことを確認し、シャツやシルバーバングルを企画生産していった)、2回目の今回もゲット。

そして1回目の絵と比べてみた。

色彩が全く違う!

今回手に入れた絵の方が、断然「絵として美しい」

一応、ドライボーンズ東京店にて販売しております。

1月後半には、私の友人で昔からこの絵を探している人がいるので、

声を掛けようと思っております。

もし購入希望の方がいましたら、お早めに東京店まで。

 

そして各直営店での取り寄せも可能です。

 

 

そして前回は…

 

『このように、第二次世界大戦前までは「背中で男の職業や遊び具合がわかるくらいに」アウターデザインが細分化されていった。

また、学生たちの間ではもっとシンプルに、首や袖、裾からの冷たい空気の侵入を防ぐようなウール素材のアウターとして、こういったスポーツジャケットが一般的になっていった。

そして更に、こういったジャケットの胸や腕にクラブのシニールやナンバーを貼り付けたジャケットが、アワードジャケット、和製英語で「スタジャン」となっていったのある。

ああ、この続きが面白いんでもうちょっと書きたいなぁ。

来週か再来週、どこかのタイミングでこの続きを書きたいと思います!

乞うご期待!』

 

なんて文章で、最後を締めくくった。

なので年末の本日は続きを急遽、書いてみようと思う。

 

 

さて、では前回からの続き。

 

1950年代になると、スポーツジャケットを取り巻く環境の方が大きく変わり始めた。

1920年代にWASPの学生から派生してきたスポーツジャケット、

当時はほんの一部の人達だけの特権階級のアイテムだった。

 

その後、1930年代に背面の切り替えがアクションプリーツ等に変化していき、

1940年代にはそういった造形が第二次世界大戦でも有効利用されていった。

 

そして戦後の1950年代を迎える。

学生たちの間では首や袖口・裾からの冷たい空気の侵入を防ぐウール素材のアウターとしてシニールジャケットやアワードジャケットが流行、

日本でもそのデザインを輸入したVANの影響で、

スタジャンという名前で流行していった。

 

また、戦争が終わって兵役から戻ってきた若者が爆発的に増えた。

そういった人達は若い年齢も多く、

家族や家庭がある者なら職も復帰しやすかったりしたのだが…

「そうではない、ちょっとヤサグレちゃった若者達」も、多く存在していた。

そういった若者達を熱中させた遊び、それは「スピード」だった。

第二次世界大戦で活躍したのは、いうまでもなく空中戦。

つまり戦闘機に乗った若者達だったのだ。

 

スピードに取り憑かれてしまい、

尚且つ帰国後に社会の受け皿から溢れてしまった若者が熱中したモノ、

それがバイクや自動車だったのだ。

バイクにハマっていった人達は、

映画「THE WILD ONE(乱暴者)」で見る事が出来る。

トライアンフやインディアン、ハーレーに乗って疾走し、徒党を組んで暴力を振るう。

それが後にヘルズ・エンジェルスへと繋がっていく。

 

 

 

一方、自動車にハマっていった若者達は…

やはり金を持っていなかったので、

1950年代当時「中古で安く買える1920~30年代のポンコツ自動車」を手に入れ、

改造して速く走らせる事に熱中し始めた。

そんな1シーンを切り取った写真。

自動車はフォードのモデルTをはじめとした戦前の大衆車、

それを改造してスピードに酔い痴れ、

さらに改造を重ねて公道レースを行ったりした。

ボンネットを一旦切り落として窓を小さくして軽量化したり、

ボディの一部を外して軽量化したり、

エンジンの出力を上げたり、大排気量に載せ替えたり。

そういった改造は「ホットロッド」と呼ばれ、

1950年代当時の若者を中心に大流行していった。

 

ちなみにホットロッドという言葉は…

「熱いロードスター」が訛った言葉とか、

「熱いプッシュロッド」を省略してできた言葉とか言われている。

また、ロッドという言葉は、

隠語で「男性器」という意味もあり、

「男を熱くさせるモノ」みたいな意味合いもあるのだ。

 

そしてそのように改造された自動車は…スピードも出るので、寒い。

外やガレージでの作業も寒い。

よって「着丈が長いスポーツジャケット」が、若者中心に流行し始めていった。

 

ここで、オイラの「着丈の長いスポーツジャケットコレクション」を、

ちょっとだけ見せびらかしてみる。

胸にV字の切り替えがついたメルトンのロング丈ジャケット。

カフス部分がウエスタンカットになっているのも、当時の不良っぽくてかっこいい。

 

ボーダーのスパニッシュカラーが特徴的な、真っ赤なロング丈ジャケット。

ラグランスリーヴに白黒ツートーンのパイピングが目立ってお洒落。

 

オフホワイトに大きなチェック、

襟ボアやハンドウォームポケットまで付いた完全防寒仕様のジャケット。

 

こんな感じで…

ホットロッドに夢中になった若者達が着ていた「着丈の長いウールのスポーツジャケット」は、

いつからか「カー・コート」「カー・ジャケット」と呼ばれるようになっのだ。

 

それが一躍有名になった映画がある。

それがこれ。

そう、アメリカングラフィティ

映画の中の登場人物であるジョンは、

黄色いデュース・クーペに乗っており、

あれこそ正に「ホットロッド!」と言われる自動車。

 

この映画の設定は…時は1962年、場所はカリフォルニア州モデスト。

1962年で高校生のジョン(留年してる設定だけど)が車に乗っている。

と言う事は18歳だったとしても1944年生まれ、つまり第二次世界大戦中。

と言う事は、

モデストという田舎町(オイラも行った事がある)は戦争を経験した父親が、

子供にまで不良文化を繋いでいった街なのだ、ということもわかる。

また、この映画の中には

「社会の受け皿からあふれまくって徒党を組んでしまった良くない集団」も登場する。

主人公のカートに、難癖をつけ始める「良くない集団」=ファラオズ

彼等「ファラオズ」がお揃いで着ていたジャケットこそ、

後年の日本で「ファラオ・ジャケット」「ファラオ・コート」と呼ばれるようになった「カー・コート」の一つなのだ。

なので、正確に言えば「ファラオ団が着ていた着丈の長いスポーツジャケット」=「ファラオ・コート」なので、

背中に「PHARAOHS(ファラオズ)」と入っていなければ、

ファラオ・コートではない、と思っている。

1950年代から脈々と受け継がれてきた「改造自動車で楽しむ不良文化」を表現するジャケットこそ、

カー・コートだと言えるのだと思う。

 

ドライボーンズとしても、実はほぼ毎年カーコートは作っていて…

今年はちょっと趣向を凝らした感じにしてみた(毎年作っているので、一般的なデザインだと飽きてきちゃうので:汗)

 

今年は、ツイードのナイスな生地がデッドストックで中途半端な長さで発見できたので…

クレイジーパターンのカーコートを作ってみた。

5色の色違いツイードを使って、クレイジーなホットロッドを作りそうな感じ。

 

そしてもう1つは、大きなチェックを使ってのカーコート。

大き目なチェックは、アメリカではチェックとは言わず「プレイド」という。

先ほどヴィンテージでアップした襟ボア付きのモノをイメージ。

チャコール地とブラウン地なので合わせ易く、単品でも存在感あり。

ホットロッドの本場カリフォルニアならば、

白無地のTシャツの上から羽織るだけで存在感あり。

色味に合わせたシニールやパッチでデコってもカッコいい。

 

今年のドライボーンズのカーコートは、この2種。

残りわずか、お早目に。

 

 

そうそう、先日店で若いお客様から…

 

この襟元に付いているタブは何のために付いているんですか?という質問を受けたので、ここで改めて説明。

このタブは…下に居るジッパーが降りてこないようにするためのパーツ。

下記の説明文を見て貰えば分かりやすい。

ジッパーとは、ご覧の様に様々なロック機能がある。

今の主流であり、

ドライボーンズオリジナル引き手のジッパーはAのオートマチックロック。

ところが、1950年代頃まではオートマチックロックジッパーは高級品で、

スポーツジャケット等の廉価なアイテムにはピンロックやノッチロックが主流だった。

中にはノンロックジッパーを使っている安物も存在。

スポーツジャケットと言う名の「大きな動きが求められるジャケット」には、

チープなジッパーなら本来不向きなのだ。

だから、ジッパーが降りてこない様に、

また、降りてきても上着としての機能を失わない様に、

襟元にタブで留められるようにしていたと考えられる。

1950年代の洋服メーカーの、ささやかな知恵だったのだ。

 

ちなみにドライボーンズのオートマチックロックジッパーなら、

勝手に降りてきてしまうことはない。

 

しかもボタンは当時と同様、尿素ボタン。

そして4つ穴ボタンをしっかりとクロス掛け。

当時物っぽく見せつつ、現時点で出来る最高クオリティをご提供しております。

 

 

 

 

今年も1年間、本当にありがとうございました。

 

来年もたくさんの「面白いアイテム」や「ドキドキする製品」を用意して、年始から皆様のご来店をお待ちしております。

 

 

 

あ、そうそう、書き忘れてました。

実は来年2019年は、ドライボーンズが学芸大学駅に1号店を開店させてから30年

このハガキは、1989年当時の開店記念に友人や顧客さんに送ったもの。

当時はまだオリジナルは作っておらず、ヴィンテージや家具・雑貨の店だった。

名前もドライボーンズではなく、ラズルダズルだったし。

 

それから早、30年。

あっという間の、30年。

 

せっかくの30周年なので、

年始から色んな事をイベント的に仕掛けていこうと思っております。

 

まずは第1弾!

ドライボーンズ直営店としては初の試み!

昔からの遊び仲間だった川村カオリが興したロイヤルプッシーを、

ドライボーンズ大阪店でのみ展開します(他の店舗は諸事情により扱えないので)!

現在ロイヤルプッシーのプレスとしても八面六臂の活躍をしている美和ロック嬢(じょう、と打ち込んだら最初に「錠」が出てきてウケる)も、

不定期に大阪店店頭に姿を表す予定!

ドライボーンズ責任編集の雑誌「バンドワゴン」では「中綴じっぽい(エロい)ページ」で艶やかな肢体を毎回披露してくれている彼女、

バンドワゴン持参でサインをねだるも良し(良いのか?)

 

記念すべき30周年、これから決まり次第ドンドン告知していきます!

お楽しみに!

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その29

師走の酒丸でございます。

忙しい…(汗)

 

が、世間はすっかりクリスマス

11月から12月にかけて、直営4店舗のメンバーとそれぞれ忘年会を行った。

そんな中、新人スタッフから商品の事で色々と質問を受けたので…

それについて、改めてこのブログ内でちゃんと説明しておこうと思う。

 

 

 今回は「スポーツジャケットの成り立ち」について。

 

この事を知るためには、

まず「アメリカ」という国の成り立ちについて理解する必要がある。

 

1492年、クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸(正確にはカリブ海のエスパニョーラ島だけど)を発見した事から、アメリカの歴史が始まる。

それまでのアメリカ大陸には、

氷河期時代に陸続きをなっていたアリューシャン列島を、

歩いて渡ってきたモンゴロイドを祖先とする先住民族が、

狩猟や放牧をしながら生活していた。

 

その後氷河期が終わり、

歩いて渡れなくなったアメリカ大陸は、

ヨーロッパや中国などの文明国から忘れ去られた存在になっていた。

 

 コロンブスがアメリカ大陸に上陸したのち、

大航海時代に入っていたヨーロッパの人たちが「我先に」とアメリカ大陸へ進出。

先住民族を駆逐(虐殺)しながら大陸を制覇していった。

 

スペインやポルトガルから遅れをとったイギリスは、

その後の巻き返しで「大英帝国」となり、

結果として北アメリカを植民地化。

一部のフランス人やドイツ人も誘って、

東海岸一帯を制覇し、アメリカ合衆国として独立。

この話にはヨーロッパで起こった「反カソリック、科学への信仰」なども絡んでくる。そういった「新しい考え」を持つ者達を統合させたのは、フリーメイソンやイルミナティなどの秘密結社だった。詳しくは酒丸責任編集の雑誌バンドワゴンの中の「1ドル紙幣に隠された秘密」にて)

これが1776年(1ドル紙幣の裏に書かれている1776とは、この年号)。

 

そしてその後、西へ西へと進出していくことになった。

最初に制覇した東海岸を13の州に分け、それぞれ州として独立。

基本的に州の長には、イギリス人やフランス人の「最初の入植者達&その子息達」が付いた。

彼らは最初からの入植者という事で、

高等な教育を与えられる権限を最初から持っており、

後にWASP(ワスプ/ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)と呼ばれるようになった。

 

そしてそのWASP達が学ぶべき高等教育の場こそ、

アイビーリーグと呼ばれるアメリカ8大学だった。

(アイビーリーグ8大学のうち、7つは1776年の独立よりも前に存在している)

ちなみにアイビーリーグの「アイビー」とは、「蔦(ツタ)」のこと。

ツタで校舎が覆い尽くされているほど古くからある伝統校、という意味なのだ

(初代の入植者達は「伝統」と付ける事で、その後の入植者達との差別化を図った)。

元々ヨーロッパから移住してきた人たちは、

まず先住民との戦いがあり、その後は食料の確保が急務だった。

なので、勉強なんてしている暇はなかった。

が、WASPには特権として「大学に通って勉強し、体を鍛える為にスポーツをする事」が許されたのだ。

居並ぶWASPの人たち。

この写真は8大学の一つ、

イェール大学内に存在していたクラブで「スカル&ボーンズ」という。

このグループは秘密結社化して卒業後もアメリカ合衆国の政治に深く関わりを持っており、

現在でも存続している。

 

1920年代。

第一次世界大戦が終結し、

戦場とならずに戦勝国となったアメリカは、

史上空前の好景気に沸く事になった。

いわゆる「ロワーリング・トゥエンティーズ」というやつ。

この時期、戦火を嫌った他のヨーロッパから多くの移民がやってきた。

アイルランド、イタリア、そしてユダヤ人。

また、収入を当てにした中国人も多く渡った。

職業として下の方に当たる労働者はそういった後発移民達が受け持つ事になり、

より「先の移民(イギリスやフランス、ドイツ)」は生活が楽になっていった。

 

そこで流行したのが、

WASPが体を鍛えるために大学時代に行っていた「スポーツ」だった。

球技はもちろん、

ハンティングやフィッシング、スキー、ライディングなども流行。

その流行に合わせて、スポーツ別の「上着」も進化していった。

 

腕を上や前に出す動き多いスポーツのために、背中の肩甲骨が動きやすくなるような「裁断と縫製」が開発された。

例えば、こういったスポーツジャケット

ハンティングの際、前身頃には赤を使って視認性を良くし、森の中でも誤射がないようにしつつ…

後ろ身頃には「朝日が昇るようなプリーツやダーツ」が施された、

肩甲骨が動かしやすい作り。

 

わざと明るい色のウールを使ってのスポーツジャケットも。

胸部分には、ハンドウォームポケットも付いたり。

こういった背中のプリーツ&ダーツは「サニングデール(SUNNING-DALE)」と呼ばれ、

当時の裕福な白人たちのシンボルとなっていった。

ちょっとした映画のワンシーンからも、見つけることができる。

その後、背中両端に大きく切り替えを入れてエラスティックテープで留める「アクションプリーツ」が開発され、

この形状は軍でも正式採用されるようになっていった(G-1などが典型的な例)。

 

それがまた民間レベルにまで降りてきて、スポーツジャケットとして転用されていった。

肘部分にはレザーが貼られ、上着としての耐久性も格段に上昇。

腕周りのアクションプリーツに、サニングデールのプリーツがちょっと残っているデザイン。

こういったデザインは、1930~40年代に多く見られる。

 

 このように、第二次世界大戦前までは「背中で男の職業や遊び具合がわかるくらいに」アウターデザインが細分化されていった。

 

 その後学生たちの間ではもっとシンプルに、

首や袖、裾からの冷たい空気の侵入を防ぐようなウール素材のアウターとして、

こういったスポーツジャケットが一般的になっていった。

そして更に、こういったジャケットの胸や腕にクラブのシニールやナンバーを貼り付けたジャケットが、

アワードジャケット=和製英語で「スタジャン」となっていったのある。

 

 

ああ、この続きが面白いんでもうちょっと書きたいなぁ。

 

来週か再来週、どこかのタイミングでこの続きを書きたいと思います!

乞うご期待!

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