7月も後半に突入。
前回のブログで「今年は例年に比べ、季節の移り変わりが早い。」と書いた。
そして「この調子だと例年なら『海の日前後』の梅雨明けも、7月上旬にズレそう。」とも書いた。
結果として大正解、関東地方の梅雨明けは観測史上最速の6月29日!
そりゃあ、いつもはうだるような暑さの8月が前倒しで7月後半に来ちゃうよね。
と言う訳で、今回は夏の季語とも言える「浴衣」について。
ドライボーンズで浴衣を作り始めたのは、もうかれこれ十数年前の話。
ドライボーンズ大阪店に、飛び込みで営業に来た大手素材メーカーさんとの繋がりが最初だった。
1反のミニマムでオリジナルが作れる、
インクジェットなので版代が発生しない、
新素材なので自宅での洗濯が可能、
等々の営業トークだった。
それまでも和装的なものに興味を持ってはいたが、
いざやろうと思うとゼロから生産背景を開拓しなくちゃいけないので
躊躇していた部分があった。
でもその営業トークの面白さに乗って「じゃあやってみたい!」と思った。
本来の浴衣とはもちろん綿素材が圧倒的に多く、高級品だと麻素材。
私自身和装も好きで、ずいぶん前に麻で浴衣を誂えたことがあった。
グレーベージュ地にレインボウカラーのネップ糸が縦横無尽に走っている、
まるでフィフティーズの生地かと間違えてしまうような麻素材。
生地に惚れて浴衣を作ってみたのは良いが、恐ろしく高額になってしまった。
しかも年に数回、夏場に着るだけなのに…
着る度にクリーニングに出さなきゃいけない素材。
貴重な素材なので洗濯は手洗いなのだが、着丈が長いので自宅では無理。
直射日光だと麻は退色してしまうので当然、干すところさえない。
毎回数千円のクリーニング代を払っていた。
ところが、ドライボーンズで使う新素材は「セオアルファ」という大手素材メーカーが開発した新素材、自宅で丸洗い出来るという。
しかも、私が描いた柄で!
これは面白いと一所懸命に柄を描いて配置し、量産にこぎつけた。
あれから数十年。
途中何度かのブランクはあったけれど、
おそらく十数柄を世の中に提案してきたと思う。
そこで今年の新作をご紹介。
今年は初めて「パネルプリント」を製作。
パネルプリントとは「服の特定箇所にだけ任意の柄が差し込まれる配置」のことを言う。
今回は裾周りにドクロが踊っている図を入れてみた。
名付けて「浴衣 髑髏の舞」。
まずは海松茶(みるちゃ)。
海松茶とは、江戸時代に広く愛用された黄緑色が褐色化したような渋い茶色。
全体的に紬(つむぎ)のような見え方をするプリントも配置。
そしてもう一色は、鉄紺(てつこん)。
鉄紺とは平安時代から日本にあった伝統的な色で、わずかに緑がかった紺色のことを言う。
本来、藍で染めた紺は若干紫色が入る。
鉄紺は紫色ではなく若干緑がかった暗い紺色のことを指し、
江戸時代では最も多く庶民が着ていた色。
裾周りのアップ。
この柄は私が長年コレクションしてきた髑髏着物の中から元ネタをいただいたもの。
その着物を取材していただいたのが、現在書店で売られているクラッチマガジン。
どちらの色も、江戸時代に庶民に愛された普遍的な色。
裾周りにだけ入る髑髏はシャレが効いていて、気づかないと見えない。
更に、下前にあたる部分には「行灯」がぼやっと描かれており、裾が翻らないと見えない仕組み。
これぞ和装の粋。
そして今年は初めて、男物の角帯にも挑戦。
今まで作ってみたかったアイテムの一つであったが、なかなか難しかった。
今回初めて大手素材メーカーさんも乗ってくれたので、トライ。
なんとリバーシブルで、超お買い得。
名付けて「角帯 石垣と蜘蛛の巣」。
表はぱっと見「博多献上帯」に見える転写プリント。
博多献上帯とはその名の通り、
幕府への献上品として有名になった博多の地場産業のひとつ。
本来はシルクで、1本4~5万円、高級品だと10万円以上する。
上下の柄には「独鈷」と「華皿」という意匠が入り、
子孫繁栄・家内安全を意味している。
そしてリバーシブルの裏面。
この柄は、歌舞伎役者「尾上菊五郎」が愛用したと言われる「菊五郎縞」をアレンジ。
尾上菊五郎とは歌舞伎役者。
江戸時代中期には鶴屋南北と組んで「四谷怪談」等多くの怪談劇を完成させた名優。
現代も七代目が襲名されている。
この人の有名な柄が、
「片仮名のキ」と「漢字の呂」を描きつつ四本の筋と5本の筋が入った縞模様。
4+5で9、つまり「く」と読ませ、
「キ」「く」「5」「呂」で菊五郎縞という判じ絵のような意匠柄を流行らせた。
その後は「キ」と「呂」さえ入っていれば何でも菊五郎縞としてウケたため、
膨大な量の亜種が作られていった。
これが私の所有する「菊五郎縞」の石垣&蜘蛛の巣バージョン。
元ネタは大正時代の襦袢。
日本は明治後半から大正時代、昭和初期にかけて「非常に不安定な時代」を過ごした。
日清・日露と続く大きな戦争があり、関東大震災や大恐慌を経験。
官憲の取り締まりが厳しくなっていく中、満州事変から二・二六事件、太平洋戦争へと繋がっていく。
政府が決めた無茶な外交や無能な采配に、庶民が振り回されていったのだ。
その不安感が、着るものの柄にも落とし込まれていく。
髑髏や骸骨、妖怪や地獄が描かれた。
また、逆に蜘蛛の巣などの「(幸福を)捕える」縁起柄や、石垣など「堅牢な土台」をイメージする柄も増えた。
この明治後半~昭和初期とは、西暦でいうと1900~1940年年代。
アメリカで言えば狂騒の20年代を中心とした太平洋戦争突入までの時代。
平成の世の中になって、911や311をはじめとしたテロや大災害など不穏な事柄が多い。
服で世相を反映させつつ、「着る」を「切る」と洒落てみてはいかが?
「不安を切る」ことを、ファッションで表現できるブランドは数少ないと思うぞ。
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