1ドル紙幣。第61話。

6月最終週の金曜。酒丸です。
実は今週「社内引っ越し」をした。
私が隣の部屋に移っただけなのだが…
慣れない(汗)
机の向きが今までと逆になった為に、
PCの向きや机の引き出し、
電話の位置まで全部逆になってしまった。
慣れるまであと1ヶ月位かかりそう(大汗)
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空のガラスケースや、
人体の絵を描く時に必要な骨格標本も、所在無げ。
箱に詰めた荷物もどんどん捌かねば!
さて、今日は先週の続きで…
秘密結社と似た方向性を持っていた、
ナチスについて書いてみる。
この章も長くなりそうだ(笑)


第二次世界大戦で完全に悪役になり、
連合軍に叩きのめされた格好になったナチス。
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が、実は彼らはスゴい事をたくさんしていたのである。
さすが「イルミナティ」のお膝元。
今回はそのうちのいくつかを御紹介。
まず…彼らが行なった事は、
当時の国民から圧倒的な支持を得た、という事だ。
それは指導者が「上手に煽動」したからに他ならない。
その煽動を確実に広める為に行なった事…
それは「PAシステム」を完成させた事だった。
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写真は現在の物だが…
こういったモノの原型を作ったのはナチスが最初。
当時のナチスの映像を見ていると…
非常に金が掛かったショーを見ている様な錯覚に陥る。
それは偏に、
ヒトラーの演説を大衆に伝える「システム」に目を向けて、
ナチスが開発したPAが完成していたからなのだ。
PAとは”PUBLIC ADDRESS”の略。
直訳すれば「大衆演説」という意味だ。
広場で演説を聴く事が出来ない人達に向けては…
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街頭に設置したメガフォンで声を届けた。
メディア操作に長けた技術と才能が、
国民の心を掴んでいったのだ。
「煽動」という言葉を、
政治用語では”BANDWAGON”ともいう。
さてここで御紹介。
ドライボーンズがお客様を楽しい世界観に「煽動」する、
雑誌「バンドワゴン」にT-Sが出来たのだ!
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初回生産は上記の3色!
デニムに合わせ易いイエロー、
鮮やかな発色のピンク、
クールなブラック。
お好みでどうぞ。
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私が描いた原画。
バンドワゴン内の連載をネタに、
意味深な記号をずらりと並べてみた。
何が何の意味を示しているのか?は、
きっとこれから解って来る筈。
そしてナチスは、
当時はまだ高価だった自動車を労働者に与えるべく、
全く新しい着眼点での自動車製作も行なった。
それがこれ!
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皆が知ってるドイツ車「フォルクスワーゲン」である。
このフォルクスワーゲンという言葉の意味は「大衆車」という意味。
「一般労働者にも買える国産車」を目指して開発されたのだ。
ヒトラーの実行力、
そして一人の優秀な若き技術者の力で成し遂げられた。
その技術者がフェルディナント・ポルシェ博士。
そう、スポーツカー”PORSCHE”の生みの親である。
ポルシェは学校を卒業後、
電機メーカーに就職するも、
自動車が作りたくて数年後に自動車会社に転職。
その自動車会社で、前職の電気工学の知識を使って電気自動車を作成。
バッテリーの問題で長距離走行が不可能だと理解し、
ダイムラー社からガソリンエンジンを購入。
そのエンジンで電気モーターを回して走行する、
今でいう「タービンエンジン」の原型の様なものを発明。
そのエンジンはオーストリア陸軍に正式採用された。
その実績を持ってダイムラー社に入社した。
第一次世界大戦のゴタゴタからオーストリアを離れたポルシェは、
自ら自動車設計事務所を立ち上げ、
ボルボやアルファロメオ等と仕事をしていった。
その後、当時のソ連にも技術者として招聘され、
ソ連での自動車開発を要請された。
が、本人は母国に帰って新たな小型車を作る希望を持っており、
ドイツに帰国、スグにナチスに迎え入れられたのだった。
ヒトラーの構想と実行力、
ポルシェの技術と知識が形になったものが、
フォルクスワーゲンだった。
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写真はモックアップデザインでヒトラーに説明しているポルシェ博士。
嬉しそうな顔をしているヒトラー。
その後、試作品が完成。
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ここから更に改良を施し、やっと第1号が完成。
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第1号の脇でテストを見るポルシェ博士。
1935年、ベルリンで開かれた自動車ショーでヒトラーは、
「今後、バイク並みの値段で買える自動車が産まれるだろう」と言った。
ところが、スグに生産開始にはならなかった。
ドイツの自動車連盟が妨害工作を行なったからだ。
この自動車連盟には、
アメリカのフォード社等も絡んでいた。
価格の安い自動車をドイツで発売されては困るメンバーも多く存在していたのだ。
そこでヒトラーは、
1938年にフォルクスワーゲン社を設立、
予約を受け始めた。
毎週5マルクづつ払い込めば、
4年後にはフォルクスワーゲンを渡すという約束で。
33万人がこれに登録、
約3億マルクが集められた。

ところが。
1939年にドイツはポーランドに侵攻。
フォルクスワーゲン社は軍需工場に切り替えられてしまった。
当然、3億マルクも全て軍事費に充てられたのだった。
他にもナチスが発明したものは多い。
第一次世界大戦で痛い目を見たドイツは、
化学力を付ける事で次の戦争の準備をしていたからだ。
来週もそのうちのいくつかを紹介してみたい。
ではまた来週!

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