1ドル紙幣。第58話。

梅雨入り後の金曜日。
酒丸でございます。
まずは先日日曜日の、
名古屋店9周年イベントにご来店いただいた皆様、
ありがとうございました!
ちょっとだけ写真をアップ。dry140606take_1.jpg
店内に入り切れない皆様、
まだ日が高いウチから往来で飲むの図。
殆どの人達が当方のシャツを着ている辺り、
名古屋地域での9年目は伊達じゃないぞ、と。
しかもこの写真を見てビックリ!
男性陣は全員ハットを被ってる!
普及率が高い。
二次会の様子。
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美しい女性陣に混じって…
奥の方には元店長である人物も(笑)
この日の様子は、
次号のBANDWAGON Vol.2に掲載予定
お楽しみに!
さて。
ではここからは前回の続き。


先週は…
ヤクザという秘密結社の成り立ちを書いてみた。
元は弥生時代まで遡る語源である可能性がある事、
江戸時代に入って失業した浪人が的屋や博徒になり、
そういった職種の人達が徒党を組んで組織化していったという事。
今日はその後の進化(深化?)を書いてみる。
江戸末期。
そういったヤクザの人達にも、
大きな時代の変化が押し寄せる事になる。
そう、討幕運動と文明開化である。
地方藩である薩長に幕府は倒された。
また、アメリカからペリー率いる黒船も来航し、
結果として鎖国は解かれ、明治維新。
そうなると…
今まで日本には無かった「様々なモノ」が入って来た。
一番大きな転機は…
産業革命の影響がドッと入って来た事だろう。
それまで人力で行なっていた事が、
様々な動力機械で行なえる様になってきた。
いわゆる「機械化」が進んだのだ。
すると「新しい日本である明治政府」は、
世界の列強に遅れをとるまいと頑張った訳だ。
特に力を入れた事が「富国強兵」。
国を豊かにし、強くしていこうと考えた。
その結果、日本という島国に留まらずに、
もっと大陸にも打って出ていくことになった。
既にイギリスの植民地になっていたインドや中国の一部、
ポルトガルの植民地であったマカオ、
アメリカの友好支配地域になっていたフィリピン、
また、様々なヨーロッパの支配が及んでいた太平洋の島…
明治、大正、昭和初期には、
そういった地域に勢力を伸ばしていく事になった。
その結果、太平洋戦争が勃発。
ヨーロッパでのナチス台頭とも重なり、
第二次世界大戦となった。
そして日本敗戦。
つまり、
国家としてイチから再起という形になったのだ。
江戸時代から「的屋」と「博徒」に分かれていた彼らも…
荒廃した国土の上に、新たな利権を求める形となった。
ここからはより分かり易くする為に、
映画を利用してみる。
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映画「仁義なき戦い」の冒頭では…
昭和22年の呉に、
復員してきた広能昌三(菅原文太)が、
闇市で暴れる男を射殺する事から始まる。
昭和22年とは、1947年。
ポツダム宣言受諾が1945年なので、
その2年後。
2年経っても日本中至る所焼け野原であり、
一般人は闇市で生活物資を手に入れて、
その日一日を生きていくだけであった。
そんな時期「自分の縄張り(庭場)」を持っていた
「的屋」や「博徒」は、
闇市で仕事していたのだ。
出所後、広能は地元の組織である山守組に入る。
これは当時力の均衡を保っていた呉の2つのヤクザに、
「市議会議員選挙」という「新たな収入源」が出来たからだ。
映画の内容としては、
その山守組の内部抗争が「仁義が無い」戦いになっていくのだが…
詳しくは映画を観てみてほしい。
要するに…
「的屋」とか「博徒」という括りでは対応できない、
「新たな業務提携」や「新事業」が次々に増えて来る。
そしてそれが、その後の「結社化」へと繋がってゆくのだ。
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この写真は「仁義なき戦い 代理戦争」でのワンシーン。
この映画を知らない人の為に説明しておくと…
「代理戦争」とは、
背後にいるより大きな組織の為に、代理で戦う事である。
江戸時代までのヤクザにも、規模の大小はあった。
が、戦後は「業務の煩雑さと拡大」から、
一気に組織の「寡占化」が進むのだ。
大きな組織ほど、収入が大きくなる。
これはこういった組織に限らず、
真っ当な会社でも同じ事。
独立独歩の中小は、
次々に吸収合併されていくことにる。
映画では「代理戦争」の後に、
「頂上作戦」「完結編」と続く。
頂上作戦とは、
大きくなってしまった組織を叩く為に、
警察がその組織のトップを逮捕しようとする事。
その結果、警察への対抗措置として
ヤクザから「政治結社」となっていくのが、
「完結編」の内容。
こういった流れは映画の中だけの話では無く…
また、広島や呉だけの話でも無い。
日本中で起こり、尚かつ現在進行形の話である。
関ヶ原の戦いから浪人が生まれ、
その浪人の職業としてヤクザが発生。
明治維新で「欧米からの文化や価値観」が大量に流れ込み、
2度の大戦を経て、
生き残る為に寡占化していくのである。
その過程で…政治結社に姿を変えたり、
別の物を取込んで特殊組織になっていったり、
国家とのバランスを見計らって合法組織になっていったのだ。
さて。
その映画の中で、
衣装を見ているだけで「色々な事」が分かったりもする。
例えば…
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「仁義なき戦い 代理戦争」で登場する、
明石組幹部の岩井信一(梅宮辰夫)。
眉毛が無くて恐い(汗)
この「明石組」は…
全編に渡り、全員が黒いスーツで登場。
逆に呉、広島チームは…
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スーツを着ている者もいれば、
着流し姿の人物もいる。
写真には無いが、
レザージャケットやスカジャンも登場。
つまり、
意図的に「意思統一が出来ている大手の組織」と、
「それぞれの思惑がドロドロになっている広島勢」を、
衣装によって表現しているのである。
そこで秀逸な衣装なのが、この人。
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「仁義なき戦い 広島死闘編」に出て来る、
大友勝利(千葉真一)。
彼の衣装と立ち位置が、
この時代を表現しているのだ。
大友勝利は、
大友連合会会長、大友長次の実の子。
大友連合会とはいわゆる「的屋」が組織化された団体、
つまり神農系である。
が、その枠に収まらない勝利は、
父親が和平を望む博徒系の村岡組と揉め事を起こす。
大友勝利は、戦後に出て来た「愚連隊」という立ち位置
ダブルのモーターサイクルジャケットに、
真っ赤なコットン素材のハワイアンシャツ。
これは当時の進駐軍からの影響を、
敢えて衣装に落とし込んでの設定であろう。
時代の変化による組織改編を、
衣装でも正確に表現しているのである。
「仁義なき戦い」は、深い。
さて、そんな大友勝利ファンに待望のシャツが完成!
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コットンハワイアンシャツ!
広島死闘編の年代設定は昭和25年。
つまり、1950年である。
1950年と言えば、
もうコットン素材のハワイアンシャツが流通し始めていた時代。
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襟は敢えて少し短めにして、当時物っぽくしてみた。
ボタンは1950年代には既に徳島で生産され、
アメリカに輸出されていた猫目ボタン。
大友勝利も、
瀬戸内海の反対側で作られていたとは知らなかった筈。
そして…
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このシャツには色違いのブルーも存在!
そして、こんな写真も発見!
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幻の「大友勝利ブルーシャツ」バージョン!
この映画のマニアックぶりがバレてしまった(汗)
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名古屋店のアンナに、
「何を長々と書いとるんならぁ、おうぅ!」
と言われちゃうので、今回はこの辺で。
また来週!

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