1ドル紙幣。第52話。

ゴールデンウィーク直前の金曜日となりました!
酒丸です。
皆さん、今年のゴールデンウィークはどんな予定を立てていますか?
ドライボーンズ各店舗では、毎年恒例の「大くじ引大会ガラガラポン!」を開催します!
ハズレ無し!
大アタリ続出!
過去にレザージャケットやスーツが当たった人達も数知れず!
とっても大盤振る舞いなイベントです!
たくさんのご来場、お待ちしております〜!
え、オイラですか?
えーっと、オイラはですね…
BANDWAGONの入稿作業を頑張る予定(汗)
っていうか、印刷工場さんが休業する前には突っ込みたいんですが…(大汗)
さて、では気を取り直して…
先週の続きから。
先週は…
読売新聞と日本テレビのオーナー正力松太郎は、
原子力ムラの村民だった、という事で終りましたね。
ではその続きを。


さて同時期のアメリカを見てみよう。
太平洋戦争を原爆を使って勝ったアメリカという大国は、
負けた日本を一方的に「東京裁判」と言う名で裁いた。
その時の戦犯とは、
もちろん戦争に突入させた軍部の人間が多かったのだが…
アメリカという戦勝国に対して、
都合の悪い人達もかなり該当していた。
という事は…
逆を返せば「上手に使えばアメリカにとってプラスになる人物」も、
多く存在していたのだ。
当時のアメリカが一番恐れたのは、
ソビエト連邦率いる共産化、
いわゆる「アカ」だった。
占領した日本を「アカ化」させない為に、
戦中は満州で生き馬の目を抜く様な仕事をしていた連中も
一旦「戦犯」として捉え、
その後にGHQやキャノン機関、CIAを使って
「アメリカ側の手先」として使える様にしていった。
(この場では特に誰とは名指ししないようにしておく)
そしてまた…
アメリカは戦争中に使った原爆という最終兵器を、
どうにかしてもっと良い有効利用は出来ないかと模索していた。
というよりも…
実は、日本への原爆投下は「次の布石となる実験」として行なっていたのだ。
結果として…
原子力エネルギーというモノを、
潜水艦の推進力として使用し始めた。
この潜水艦がそれ。
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1954年1月21日の進水式の様子。
潜水艦の名前はノーチラス号。
海軍関係者の間では「SSN-571」と呼ばれた。
写真の右側にも書かれているが…
建造したのはジェネラル・ダイナミクス社。
ジェット戦闘機や大陸間弾道ミサイル、原子炉等を作る軍事産業。
そしてアメリカはまた、これが「平和利用」という名目になる様に…
ディズニー映画にも同じ名前の潜水艦を登場させた。
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ディズニー映画「海底二万哩」に出て来る潜水艦は、
同じ名前の「ノーチラス号」。
東京ディズニーシーにもある。
軍事兵器を、ディズニーを使ってオブラートに包む。
一種のプロパガンダである。
こういった1950年代に起こった原子力的文化が入ったデザインを、
「アトミックデザイン」と呼ぶ様にしたのも、一種のプロパガンダ。
その後、1970年代後半から80年代にかけて、
アメリカで1950年代文化のリバイバルが起こる。
当然それは日本にも輸入された。
1985年の「装飾デザイン」という高級な雑誌にもフィフティーズが特集される。
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当時私が働いていた古道具屋からも、
この雑誌にリースした。
なのでこの雑誌の事は今でも鮮明に覚えている。
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左は「Mid century Modern」にも掲載された、
1950年代の工業デザイナーであるマルセル・ブロイヤーの自宅。
ココナッツチェアやバードチェアが目に付く、正にアトミックデザインな家。
右は1950年代に流行した、
シルバーやカパー、七宝を使ったジュエリー。
贅沢な素材でアトミックなデザイン。
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左は当時のウォールペーパー。
ジャクソン・ポロックのデザインをイメージしていたり、
近代建築様式のビルディングをデザイン化したりしている。
これらも見事にアトミックデザイン。
右は背刺繍が入ったボーリングシャツの特集。
当時のボーリング場こそアトミックデザインの極致であり、
その中で着る派手でお気楽なスポーツウェアは、未だに人気。
そしてその括りの写真の中に、刺繍ではないシャツが一点だけ…。
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なぜこの括りに入っているのか?は未だ不明。
が、これだけは言える。
この柄こそ「アトミックデザイン」なのだ。
ただの水玉柄ではなく、
敢えて楕円形に伸ばし、
大きさにも強弱を付けて、
不均等に配置。
淡い地色にチャコール色のオーバルドット。
1950年代デザインの真骨頂である。
なので、やはり製作してみた。
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オーバルプリントオープンシャツ
あくまで基本に忠実に…
楕円形の水玉柄を強弱を付けて不均等に配置。
地色も敢えて淡い色。
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そして柄のアップ。
よく現物を見てもらえれば解るが…
ブラックではなく、チャコール(墨色)。
当時はおそらくブラックでのプリントだったのだと思う。
それがリバイバルの時代には濃色が経年劣化して
チャコール色に退色した…的な雰囲気を出せたと思う。
さて。
1954年1月、いわゆるミッドセンチェリーのど真ん中の時期に
ノーチラス号は進水した。
ところが…
この数日後、原子力の負の面を示す決定的な事件が起こってしまう。
1954年3月1日、アメリカは南太平洋ビキニ環礁で
原爆よりももっと威力のある水爆の実験(キャッスル作戦)をした。
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その結果…
この海域でマグロ漁をしていた第五福竜丸が被爆。
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実験当日…
第五福竜丸はアメリカが設定した危険水域の外側で操業していた。
船長は危険を察知して海域からの脱出を試みたらしい。
が、延縄の回収に時間が掛かり、
数時間に渡って漁船、積荷、船員すべてが放射性降下物である灰を浴びてしまった。
無線長だった一人が半年後に亡くなった。
その近海では他にも多くのマグロ漁船が操業しており、
実際の被爆者は2万人を超えるとみられている。
また、積荷であるマグロも被爆した事からマグロ不買運動も起こった。
(結果としてそのマグロは大量廃棄され「原爆マグロ塚」が建立された)
その後、その動きは大きなうねりとなって「原水爆禁止運動」に発展していく。
それは当然だ。
なぜならば…
日本は1945年に、
長崎と広島に違うタイプの原爆2発を受けているのだ。
世界で唯一、アメリカから2発の原爆と1発の水爆を受けた国なのだ。
当然、反米運動にも繋がる。
アメリカはそれを「アカ化」と併記して対策を立てた。
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アメリカ合衆国情報局(USIA)やCIA、
アメリカ大使館や極東軍司令部等が総動員されて
「反原水爆」「反米」を押さえ込む作戦に出たのだ。
この写真は「原子力平和利用使節団」を日本に迎え入れた時の1枚。
一番左端には、正力松太郎が写っている。
新聞、テレビという2大メディアを持っている正力を上手に使って、
翌1955年には「原子力平和利用博覧会」なるものを開催。
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見事に親アメリカ思想、そして原子力平和利用思想へと
切り替える事に成功した。
「NU CLEAR」(NEW CLEAR=新しくて綺麗なエネルギーをもじった造語)の誕生である。
原子力平和利用懇談会会長に自ら収まった正力は、
その後、動力炉の輸入に精力を傾けるようになっていく。
ではまた来週!

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