1ドル紙幣。その51話。

4月の第3週目の金曜となりました。酒丸です。
都内では一気に気温が上昇、
もう昼間は半袖で歩いている人を多く見かける様になってきました。
夏、近し。
今週、実は恐ろしく仕事に追われており(汗)
やっとBANDWAGONの創刊第1号の原稿を書き終えました!(遅い)
本来ならば4/20頃には販売する予定だったんだけど…
実は色々なトラブルがありまして…(言い訳)
おそらく、4月末〜5月中旬発売になりそうです(大汗)
GWに突入してしまうので印刷工場が動かず…(涙)
さて、気分を変えて改めていつものブログの続きを。
先週は…幕末〜明治にかけての、
フリーメイソンと日本の関係に触れてみた。
ではその話の続きからスタート。


さて…
激動の明治、大正、昭和初期の期間は、
様々な団体(国家、軍部、諸外国)が入り乱れて
植民地化や大東亜共栄圏等を推し進める事になった。
そういった一連の流れ(というか動き)については、
個人個人で色々な考え方があると思うので、
何を持って良いとか悪いとかはこの場では断言出来ない。
当時の個人個人でも、自分にとってベスト(またはベター)な選択をし、
また行動したのだと思う。
結果として日本は太平洋戦争に破れ、
戦勝国から一方的な負荷を負わされる事となった。
1945年からはアメリカGHQによる占領も始まり、
アメリカの諜報機関も日本の内部に深く食い込んでいった。
その諜報機関の代表がキャノン機関だったという事は、
2013年の10月頃のブログに書いた。
そのキャノン機関は…後のCIAとなるのだ。
dry140418take_1.JPG
あああ、写真を間違えた(汗)
この写真は「CIA=イルミナティとする陰謀論者」
よく使う画像だった(という事は、コカコーラも陰謀?:汗)
正式なマークはコッチ。
dry140418take_2.png
1ドル紙幣にも出て来る鷲、
やはり1ドル紙幣の鷲の下に出て来るエプロンの中には、
赤十字(サザンクロス)が四重に重なったマークが入る。
(これはテンプル騎士団の影響か?)
CIA、これはアメリカの諜報機関である
「セントラル・インテリジェンス・エージェンシー」の略。
その言葉の頭文字を取って「CIA」という。
当方も夏の風物詩として、頭文字を取ったシャツが登場。
ここ数年、私がハマっている「ABC」に省略したデザイン!
今年はのタイトルはボーリングシャツ「ABC オッドアイ」!
ちなみに去年は…
ARTESIA BOWLING CENTER(アメリカ、LAのガーデナーエリアにある
アーテシア通り沿いにあるボーリング場)を省略してABCとしてみた。
今年は、全く視点を変えたABCを提案。
まずは前から。
dry140418take_3.jpgdry140418take_4.jpg
今年はピンクとサックスブルーの2色展開。
両方とも濃色の切替が付く。
背面のデザインは…
dry140418take_5.jpgdry140418take_6.jpg
背中心に、円形の刺繍をドーンと配置。
刺繍のアップ。
dry140418take_7.jpg
ALL SEEING EYE(万物の目)、
BLACK CAT (黒猫)、
CRESCENT(三日月)、
この3つの単語を省略しての”ABC”としてみた。

何か、色々な事を暗示しているかの様なデザイン。
ボーリングシャツとしての当たり前なディテールもシッカリと補完。
dry140418take_8.jpgdry140418take_9.jpg
襟にはヴィンテージによく見られるボーラーの刺繍
ボタンは全てオリジナルのピン型ボタン。
襟の色に合わせてある。
総刺繍なので非常に立体的に見えるこのデザイン、
ヴィンテージテイストに着こなすも良し、
秘密結社的なイメージで着てみるのも楽しい。
さて、そのアメリカの諜報機関であるCIAが、
占領下の日本を巧妙に動かす事に白羽の矢を当てたのは、
まだ当時弱小のメディアであった…
dry140418take_10.jpg
そう、読売新聞だった。
というよりも…読売新聞社主であった正力松太郎であった。
dry140418take_11.jpg
彼は明治18年、富山県生まれ。
高校時代は高専柔道で鳴らした強者だった。
その後、東京帝国大学(現東京大学)に入学
その後は内閣統計局へ入る。
大正時代には警視庁に入庁、
多くの警察署長を歴任
大正12年(1923年)、関東大震災が起こった。
その際には警視庁の一員として「朝鮮人暴動の噂」を組織的に流布し、
結果的に自警団による虐殺等に繋がってしまった。
翌月には虎ノ門事件(後の昭和天皇狙撃事件)が起こり、
翌年、責任を問われ懲戒
が、その後昭和天皇の婚礼により恩赦。
翌1924年には読売新聞の経営権を買収し社長に就任
当時、まだ38歳であった。
当時は朝日新聞と毎日新聞が幅を利かせており、
正力はこれらに対抗する為に様々な事を行なっていった。
1934年には巨人軍を創立している。
1935年には右翼団体からのテロに合い、瀕死の重傷を負う。
1940年には大政翼賛会総務に就任。
1943年には内閣情報局参与に就任。
が、終戦した1945年には一転、
A級戦犯として巣鴨拘置所に収容され、公職追放となった。
おそらく、CIAが彼に近付いたのはこの頃だろう。
元々地元では柔道の豪傑であり、
過去には警視庁に務め内閣にも関与、
メディアも持っていて情報操作にも長けていた。
CIAにしてみれば、使える人材としてトップクラスだろう。
A級戦犯として収容したのも、
その後の見返りを期待しての収容だったのかもしれない。
(GHQとCIAはがっちりと繋がっていた筈)
戦後、アメリカ諜報機関と繋がった正力率いる読売新聞は、
関東圏の小さな新聞社から、いきなり全国展開となる。
そしてその後、アメリカの技術を駆使してのテレビ網開局に向けて動いた。
日本テレビの誕生である。
実はNHKよりも早く設立されていたのだ。
そして1957年代、
読売新聞はこんな記事をすっぱ抜いた。
dry140418take_12.jpg
この意味を理解する事で、戦後の日本が見えてくるのだ。
おそらく…正力はこういった原子力エネルギーの可能性を、
いち早くCIAを通じて手に入れていたのだろう。
dry140418take_13.jpg
そう、彼は「初代 科学技術庁長官」だった。
つまり、原子力ムラの村民だ。
この続きはまた来週!

Leave a Reply