古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その27

 

 怒涛の3連続3連休も終わり、やっとひと段落の酒丸です。

そんな秋の夜長には、まったりと映画でも鑑賞したいところ。

個人的には「長い映画」がオススメ。

そこで今日は超大作「GOD FATHER」 について、

ちょっと書いてみようかと。

 

 

 どこの家庭にも必ず1セットはあるとかないとか言われている、

ゴッドファーザーDVD3部作。

当然、我が家にもある。

このコンプリート版には3本の映画の他にオマケ画像も付いていて…

こんな「ファミリーツリー」という画像もある。

パート1の主人公であるドン・コルリオーネの家系図。

中央下にVITO CORLEONE(1892~1954)と記されており、そこから長男フレド、次男ソニー、三男でパート3の主人公となるマイケル、長女のコニー。

映画にはほとんど出てこない子供達もちゃんと描かれており、興味深い。

個人的にこの映画は大好きで、基本的には数年に一度は全編観るようにしている(「仁義なき戦い」と同じ見方をする)。

 

 また、この映画は観る度に新しい発見があるので気が抜けないのだ。

今年の夏は、パート1の一部からプリントT-Sを作ってみた。

三男マイケルがマクラスキー汚職警官を撃つという、初めて殺人を犯すシーン。

現場はイタリア系移民がよく利用していた、場末のイタリアンレストラン。

暗闇にひときわ輝く、1954年の「ルイス イタリアンアメリカンレストラン」。

ピンクとオレンジのネオンが当時っぽい。

なのでそのロゴを再現。

当時のこのレストランで売られていたお土産T-Sという設定で…

ちゃんとネオンっぽく見えるように…

フォントの周りをぼやかしてみた。

 

 個人的に一番好きなのは、パート2。

主役のコルリオーネがまだ若い。

時代設定は1919年。

コルリオーネはまだ「ドン」ではなく、名前の「VITO(ヴィトー)」と呼ばれていた頃の話。

地元の揉め事に話をつけるシーンで、床屋の前を使う。

その床屋のウインドウにはこんなイラストが。

よーく見てみると「BLACK EYE SPECIALIST」と描かれている。

なのでこんなT-Sも作ってみた。

 

 そしてオマケ画像集の中には、若きコルリオーネとその4人の子供達の写真も出てくる。

コルリオーネが履いている靴に注目。

当時の典型的なボタンブーツ。

なので以前、こんな靴も作ってみた。

ドライボーンズのボタンブーツ、生産上の都合があってもう二度と作れないかもしれない。

東京店に最後の1足があるらしい。

お早目に。

 

 

 そしてこの秋冬、ついに真打登場。

パート2のワンシーン。

コルリーネ、つまりヤング・ヴィトーはキャスケットにダブルブレストのウールワークジャケット。

インナーにはハイゲージカーディガンと大きな襟の2トーンポロシャツ。

相棒ピーター・クレメンザはボーラーハットにチェスターフィールドコート、ストライプのスーツにラウンドカラーの白シャツ。

このジャケット、お客様からも「作ってくれ!」と熱烈なオファーをいただき、似寄りの生地が出るのを待っていたのだ。

何度も何度もジャケット着用シーンをストップモーションにして、形状をチェック。

「ほう、胸ポケットのラウンドと裾のラウンドが同じくらいだな~」

カフスは付いているけれど、タックは無いぞ。ふむふむ。」

フラワーホールは両襟に付いてる。しかもポケットにはアーキュエイト型のステッチがあるな~」

てな感じで、刑事のプロファイリング的視点で証拠を集めていった。

 

そして完成。

ダブルブレストのウールワークジャケット。名前は「ヤング・ヴィトー」と命名。

ちゃんと両襟にフラワーホールを配置。

またポケットにはアーキュエイト型のステッチ。

ポケットと裾のカーヴも同じラウンド具合。

また、映画の中ではクローズアップされなかったボタン。

1919年という時代背景を考慮して、彫りが象徴的に入っているナットボタンを使用してみた。

 

 

 1892年に生まれたヴィトー・コルリオーネは1954年に死亡。

後を継いだマイケルは1920年に誕生し1997年に死亡。

パート1最初の設定は1945年。

ヴィトーの父であるアントニオ・アンドリーニが殺害されたのが1901年。

ヤングヴィトーが初めて犯罪を犯した(絨毯を盗んだ)のが1917年。

初めて殺人を犯したのが1919年。

原作が書かれたのは1969年。

この映画の公開が1972年。

ドライボーンズが最初のボタンブーツを作ったのは2009年。

何度か修正したのち、最後の一足が完売するのは2018年かもしれない。

そしてさらに「ヤング・ヴィトージャケット」を製作したのが2018年。

 

なんて、後年になって何処かに記されるようになったら、ちょっと嬉しい。

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その26

 

 約ひと月のご無沙汰。酒丸です。

早いものでもう九月の後半、2018年もあと3ヶ月ちょっととなってきた。

そして日曜日は秋分、もうすっかり秋。

 

 

なので今日は、

本格的なファッションシーズンを迎える秋に

「ヴィンテージファッション」の起源となったジャケットの話を、

書いてみたいと思う。

 

 

 その「起源」を書こうと思ったのは、

随分昔に買ったこの本を再読したから。

イギリス「族」物語。

この本は、イギリスのユースカルチャーについて書かれており、

こんな目次内容。

年代を追って古い順に、

「テディボーイ」「ロッカーズ」「モッズ」…と紹介されていく。

今の日本で言えば「族」とはもっぱら「暴走族」なんだろうけれど…

実はそれ以前にも「太陽族」や「みゆき族」、

「カミナリ族」などが存在していたのだ。

そういった「戦後のサブカルチャーを体現していて

社会的にも影響を及ぼす部族(トライブ)」「族」と括った時代があった。

今ならさしずめ「~系(渋谷系とか)」に当たるのだろうか(ちょっと弱いけど)。

 

そしてその「イギリスの族」の9番目に、

ちょっと異質な「古着ファッション」という項目が163ページから書かれていた。

その最初のページの一部を紹介してみたい。

小さすぎて読みづらくて申し訳ない…(汗)

『戦前は、(そして今日でも)古着は貧困のしるしだった。

教会の慈善バザーやチャリティ・ストアでしか着るものを買えない人々のものだった。

しかし、第二次世界大戦後、トラッド・ジャズのファンが、

軍の余剰物資のダッフルコートを着始めて以来、

それはポップカルチャーの中でクリエイティヴな発想から古着ファッションになった

と書かれている。

 

ちょっとここで歴史の勉強。

イギリスは…

第二次世界大戦でナチスドイツと睨み合い。

ドイツはポーランド侵攻をはじめ、デンマーク、ノルウェーにも侵攻。

その後オランダ、ベルギーにも侵攻し、フランスを降伏させた。

ドイツ軍としてはフランスを手に入れた事でイギリス本土への空爆が可能になった。

この時の他のヨーロッパ諸国、

スイスやスウェーデン、スペイン、ポルトガルは中立の立場をとっており、

イタリアに至っては勝ち馬に乗ろうとドイツと同盟を組んだ。

イギリスは孤立無援状態

ここで当時のイギリス首相チャーチルは一計を案じた。

ドイツ・イタリアと共同戦線を張っていた日本にアメリカを攻撃させ、

アメリカをイギリス側につけようと。

参戦したかったが国内世論で中立の立場を取らざるを得なかったアメリカ大統領ルーズベルトは、

チャーチルとこっそり作戦を練って日本にちょっとだけアメリカを攻撃させる企みを思いついた。

まんまとその手に乗った日本はハワイの真珠湾を攻撃。

アメリカ国民は自国を攻撃されて一気にヒートアップ、

日本はおろか、ドイツ・イタリアもぶっ潰す!となった。

結果として…日本は負けた。

沖縄に上陸を許し、多くの市民が巻き込まれた。

東京をはじめとした大都市にも絨毯爆撃され、

挙げ句の果てに広島と長崎に当時最先端だった原子爆弾を投下された。

日本はアメリカをはじめとしたイギリス・フランス等の連合軍に無条件降伏した。

ドイツもソ連との戦いに敗れフランスノルマンディーから100万もの連合軍に上陸され、

フランスを解放。

イタリアでもアメリカ・イギリス連合軍が上陸し、どちらも降伏。

まぁ、こういった内容はある程度歴史の勉強で習うこと。

 

ではちょっと視点を変えてみたい。

アメリカはハワイの基地を攻められたものの、本国は全くの無傷

日本は本土に絨毯爆撃、沖縄には上陸され、原爆を落とされて惨敗

ドイツも各占領地域に連合軍が入ってきて、ソ連にも蹂躙され、壊滅。

ここでイギリスの立場が微妙なのだ。

アメリカが参戦してくれたからなんとか戦勝国側に立っていられるが、

孤立無援状態がありその後もアメリカと一緒にヨーロッパや自国植民地奪還を行ったので、

猛烈に疲弊していた。

つまり、第二次世界大戦とは「アメリカ一強」を作った戦争であり、

他の参戦国は勝っても負けても大打撃だった。

アメリカ以外の国の人たちは、その後貧困に苦しんだ(だからこそ、

アメリカンフィフティーズをゴールデンエイジという)。

日本人は滞りがちな配給や闇市などで糊口をしのいだ。

同様にヨーロッパ各国も、経済的になんとか復興するのに10年近くを費やしたのだ。

その時の一般市民の服は、もっぱら古着だった。

オシャレとかファッションとかかっこいいとかではなく、

寒さをしのぎ暑さから身を守るための服。

慈善団体や教会が古着を集めて配給したり、

軍の余剰物資を売ったりする会社も出来始めた。(蛇足だが…

軍の放出品である発電機のモーター部分だけを取り出して自転車につけたのが、

本田宗一郎である)

 

イギリスでは第二次世界大戦中の防寒衣料として、

北欧の漁師たちが着ていたワークウエアをベースにダッフルコートを作っていた

戦争が終わった1950年代、

そういったイギリス軍の余剰物資や兵隊の古着が、市場に出始めたのだ。

こういったダッフルジャケットも、そのひとつ。

染められていない、生成色のウールを使った簡素なアウター。

これは1940年代の、ロイヤルネイビー(イギリス海軍)のダッフルジャケット。

内側のタグには、イギリス官有物のマークである「ブロードアロー」がある。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

この年代のダッフルジャケットは様々な色も存在している。

生成色が一番多いが、

野戦を想定したカーキ色、

最後尾を歩いてわざと目立つようにしたレッドなどもある。

特に珍しいのがレッド

また、戦時中に作られていたということもあり、作りがかなり簡素。

基本的に単(ひとえ)であり、裏地などはつかない。

ポケット部分の補強としてコットンテープが裏から叩きつけてある

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

その補強テープにもブロードアローがある場合がある。

 

 

前振りが長くなった。

このように1950年代、

やっと戦後復興をしてきたイギリスに「貧困のための古着」から

「ポップカルチャーの中から生まれたクリエイティヴなファッション」として

初めてクローズアップされたのが、

イギリス軍放出のダッフルジャケットだったのだ。

期しくもそれは、

イギリスでデディボーイやロッカーズ、

モッズ等の「族」達が出現し始めた時期とも重なってくる。

つまり「ファッションが流行音楽と連動し始める時期」でもあったのだ。

(日本ではこの時期が「族」の最初である「太陽族」となり、1970年代後半からのロックンロールリバイバルによって「ローラー族」、そしてその後の「チーマー」を代表するヴィンテージブームにつながっていく)

 

その頃のレアな赤いダッフルジャケットを再現。

着丈はコートというよりジャケット。

真っ赤なアウター、

戦時中に最後尾を歩いて目立つようにし、敵から自軍を守るため。

当然、一番戦闘能力が高い兵隊が着る色だった。

ヴィンテージはメルトン単なのだが、

それだと着辛くチクチクするので、

キュプラの裏地をつけて快適に着られるようにした。

ポケット付けに注目。

裏地で隠れてしまってはいるけれど、

ロイヤルネイビー精神を受け継ぐテープの叩きつけは見えないところで頑張ってる。

 

 

秋の夜長。

たまには読書も良いのでは?

昔買った本を再読してみたら、

こんな発見があって面白かったのでブログに書いてみた。

この赤いダッフルジャケット、残りわずか。

お早めに。

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その25

 

 8月23日、処暑の日。

この「処暑」という季節は…

「陽気止まりて、初めて退き止まむとすれば也」

つまり暑さが峠を越えて後退し始める時、という意味。

 

こんにちは、約ひと月ぶりの酒丸でございます。

処暑を迎え、

一気に秋物にシフトした店内へのエールとして本日のブログを書いてみる。

 

 

 本日蘊蓄を書くのは、この…

プリズナージャケット。

実はこの「プリズナージャケット」という言葉そのものは、正式名称ではない。

強いて言えば「第二次世界大戦前のヨーロッパのワークスーツ」みたいな感じだ。

 

第二次世界大戦前…

大きな企業が大量にワークウエアを作っていたアメリカとは違い、

ヨーロッパは第一次世界大戦の戦後処理に追われ、

縫製業やアパレルで巨大企業が育つ下地が出来ていなかった。

なので昔からのクロージング縫製技術を駆使して、

小さな工房がワークウエアを手工業として作っていたのだ。

 

そういった事実が垣間見えるのが、こういった映画たち。

「シンドラーズ・リスト」や、「ソハの地下水道」などの、

第二次世界大戦中のナチスによるユダヤ人迫害について迫った映画に、

そういった衣装が使われている場合が多いのだ。

 

この時代に労働者だった多くの市民が着ていた服が、

前出した「ヨーロッパのワークスーツ」であり、

当然多くのユダヤ人をはじめ、フランス人やポーランド人も着ていた。

なので総称して「プリズナージャケット」というネーミングになっていったのだろう。

別に囚人服として作られた訳でもないのに「プリズナージャケット」と呼ばれてしまうあたり、

この時代のヨーロッパの「深い闇」を感じてしまう。

 

実際には現在のヨーロッパでもヴィンテージが流通しており…

これは知人から譲っていただいた、1930年代のデッドストック。

ストライプなので正に囚人服、といった見え方もするが、

あくまで柄がたまたまそう見えるだけで、当時はたくさん種類があった中の一つ。

 

三つボタンのアンコンジャケットに太目のトラウザーズ。

トラウザーズは大きめのバックストラップが付いており、

ヨーロッパモデルらしくピスポケットは無い。

 

このデッドストックヴィンテージを元に作成した、今季イチオシのワークスーツがこちら!

コットン素材のヘリンボーンツイルで三つボタンのジャケット

あえて「ガチャポケ」にしてみた。

色味はチャコールとブラウンのふたつ。

トラウザーズのバックスタイルは、ちょっとカーヴが付いたバックストラップ。

穿き易さを考えて、ダブルのピスポケットもつけた。

 

このジャケットの秀逸な特徴は、内側にある。

ポケットが付いて一番負担がかかる部分に、内側から共地で補強が付いているのだ。

しかも、アームホールはバイヤステープでパイピングが施されている。

これがもしアメリカ製ならば、ポケット口に閂留めをしてアームホールはダブルの巻き縫いで始末する。

小さな工房が手作業で縫うのか、大手企業が大量に生産するのか、の違いはこういった部分に出る。

 

なのでドライボーンズとしては、ヨーロッパの技法に倣って内側補強。

アームホールも同じく、バイヤステープでパイピング。

こうすることで「手工業っぽさ」が出る。

ヨーロッパが綿々と育んできたビスポーククロージングは、こういった細やかなワークウエアにも投影されているのだ。

 

一応、生地のアップも。

ヘリンボーンツイルなので、遠目からは無地っぽく見えるが近付いて見ると光沢がある美しいストライプ。

インナーは白無地のドレスシャツから、野暮ったいヘンリーネックTシャツまで幅広く対応。

ボタンには刻みが入ったクラシックなボタンを使用。

当時の「古き良きヨーロッパ」を演出。

 

このところ、ドライボーンズでは「ドレッシーなヴィンテージスタイル」が大人気

これから秋が深まるにつれてウール素材も数多くラインナップされていくが、

まずはコットン素材で一年中着られるアイテムを紹介してみた。

8月後半になって暑さがぶり返して来てはいるが、それもほんのいっときのこと。

このヘリンボーンツイルのコットンスーツは8月初旬に店頭に出したところ、

急激に涼しくなったおかげで一気に捌けてきた。

お早めの試着を、お待ちしております。

 

 

 

そしてここからはお知らせ。

 

ドライボーンズ大阪店は、この8月でめでたく20周年

心斎橋パルコに出店して3年後に今の場所に移転、トータルで早20年。

感慨深いものがある。

 

なので、今週末の8/25は店内にて…

アニバーサリーに感謝すべく、ワタクシ酒丸も大阪店に立ちます!

そしてなんと!

そこではこんなクーポン券もお買い物金額に合わせて配布らしい(オイラは詳しくわかっていない:汗)。

更に!

20周年に語呂合わせした「20000円福袋」もご用意

 

個人的には…

今月やっと設置できた「バーレスクサインライト」を見に来て欲しい!

インスタ映え確実!www

更には!

今世間で話題(になっていたりいなかったり)の…

酒丸コレクションのヴィンテージ「ドクロ柄着物(すべて大正時代)」を見せびらかし&販売!(買えるもんなら買ってみなプライス)

更に更に!!

当日の店内では、世界屈指の美味しさ、宮城県塩釜に蔵を構える「阿部勘」の日本酒で振舞い酒!

ではみなさま、8/25土曜日、ドライボーンズ大阪店でお会いしましょう!

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その24

 7月も後半に突入。

前回のブログで「今年は例年に比べ、季節の移り変わりが早い。」と書いた。

そして「この調子だと例年なら『海の日前後』の梅雨明けも、7月上旬にズレそう。」とも書いた。

結果として大正解、関東地方の梅雨明けは観測史上最速の6月29日!

そりゃあ、いつもはうだるような暑さの8月が前倒しで7月後半に来ちゃうよね。

 

 

と言う訳で、今回は夏の季語とも言える「浴衣」について。

ドライボーンズで浴衣を作り始めたのは、もうかれこれ十数年前の話。

ドライボーンズ大阪店に、飛び込みで営業に来た大手素材メーカーさんとの繋がりが最初だった。

1反のミニマムでオリジナルが作れる、

インクジェットなので版代が発生しない、

新素材なので自宅での洗濯が可能、

等々の営業トークだった。

それまでも和装的なものに興味を持ってはいたが、

いざやろうと思うとゼロから生産背景を開拓しなくちゃいけないので

躊躇していた部分があった。

でもその営業トークの面白さに乗って「じゃあやってみたい!」と思った。

 

本来の浴衣とはもちろん綿素材が圧倒的に多く、高級品だと麻素材。

私自身和装も好きで、ずいぶん前に麻で浴衣を誂えたことがあった。

グレーベージュ地にレインボウカラーのネップ糸が縦横無尽に走っている、

まるでフィフティーズの生地かと間違えてしまうような麻素材。

生地に惚れて浴衣を作ってみたのは良いが、恐ろしく高額になってしまった。

しかも年に数回、夏場に着るだけなのに…

着る度にクリーニングに出さなきゃいけない素材。

貴重な素材なので洗濯は手洗いなのだが、着丈が長いので自宅では無理。

直射日光だと麻は退色してしまうので当然、干すところさえない。

毎回数千円のクリーニング代を払っていた。

 

ところが、ドライボーンズで使う新素材は「セオアルファ」という大手素材メーカーが開発した新素材、自宅で丸洗い出来るという。

しかも、私が描いた柄で!

 

これは面白いと一所懸命に柄を描いて配置し、量産にこぎつけた。

あれから数十年。

途中何度かのブランクはあったけれど、

おそらく十数柄を世の中に提案してきたと思う。

 

そこで今年の新作をご紹介。

今年は初めて「パネルプリント」を製作

パネルプリントとは「服の特定箇所にだけ任意の柄が差し込まれる配置」のことを言う。

今回は裾周りにドクロが踊っている図を入れてみた。

名付けて「浴衣 髑髏の舞」

まずは海松茶(みるちゃ)。

海松茶とは、江戸時代に広く愛用された黄緑色が褐色化したような渋い茶色。

全体的に紬(つむぎ)のような見え方をするプリントも配置。

 

そしてもう一色は、鉄紺(てつこん)。

鉄紺とは平安時代から日本にあった伝統的な色で、わずかに緑がかった紺色のことを言う。

本来、藍で染めた紺は若干紫色が入る。

鉄紺は紫色ではなく若干緑がかった暗い紺色のことを指し、

江戸時代では最も多く庶民が着ていた色。

裾周りのアップ。

この柄は私が長年コレクションしてきた髑髏着物の中から元ネタをいただいたもの。

その着物を取材していただいたのが、現在書店で売られているクラッチマガジン。

どちらの色も、江戸時代に庶民に愛された普遍的な色。

裾周りにだけ入る髑髏はシャレが効いていて、気づかないと見えない。

更に、下前にあたる部分には「行灯」がぼやっと描かれており、裾が翻らないと見えない仕組み。

これぞ和装の粋

 

 

そして今年は初めて、男物の角帯にも挑戦。

今まで作ってみたかったアイテムの一つであったが、なかなか難しかった。

今回初めて大手素材メーカーさんも乗ってくれたので、トライ。

なんとリバーシブルで、超お買い得。

名付けて「角帯 石垣と蜘蛛の巣」。

表はぱっと見「博多献上帯」に見える転写プリント。

博多献上帯とはその名の通り、

幕府への献上品として有名になった博多の地場産業のひとつ。

本来はシルクで、1本4~5万円、高級品だと10万円以上する。

上下の柄には「独鈷」と「華皿」という意匠が入り、

子孫繁栄・家内安全を意味している。

そしてリバーシブルの裏面。

この柄は、歌舞伎役者「尾上菊五郎」が愛用したと言われる「菊五郎縞」をアレンジ。

尾上菊五郎とは歌舞伎役者。

江戸時代中期には鶴屋南北と組んで「四谷怪談」等多くの怪談劇を完成させた名優。

現代も七代目が襲名されている。

この人の有名な柄が、

「片仮名のキ」と「漢字の呂」を描きつつ四本の筋と5本の筋が入った縞模様。

4+5で9、つまり「く」と読ませ、

「キ」「く」「5」「呂」で菊五郎縞という判じ絵のような意匠柄を流行らせた。

その後は「キ」と「呂」さえ入っていれば何でも菊五郎縞としてウケたため、

膨大な量の亜種が作られていった。

これが私の所有する「菊五郎縞」の石垣&蜘蛛の巣バージョン。

元ネタは大正時代の襦袢。

 

 

日本は明治後半から大正時代、昭和初期にかけて「非常に不安定な時代」を過ごした。

日清・日露と続く大きな戦争があり、関東大震災や大恐慌を経験。

官憲の取り締まりが厳しくなっていく中、満州事変から二・二六事件、太平洋戦争へと繋がっていく。

政府が決めた無茶な外交や無能な采配に、庶民が振り回されていったのだ。

その不安感が、着るものの柄にも落とし込まれていく

髑髏や骸骨、妖怪や地獄が描かれた。

また、逆に蜘蛛の巣などの「(幸福を)捕える」縁起柄や、石垣など「堅牢な土台」をイメージする柄も増えた。

この明治後半~昭和初期とは、西暦でいうと1900~1940年年代。

アメリカで言えば狂騒の20年代を中心とした太平洋戦争突入までの時代。

 

 

平成の世の中になって、911や311をはじめとしたテロや大災害など不穏な事柄が多い。

服で世相を反映させつつ、「着る」を「切る」と洒落てみてはいかが?

「不安を切る」ことを、ファッションで表現できるブランドは数少ないと思うぞ。

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その23

 六月も後半。

今年は例年に比べ、季節の移り変わりが早い。

思い返せば…桜の開花がいつもより早かったので、花見を一週間ほど前倒しした。

その後、藤棚を観に行くつもりが例年より早く散ってしまってタイミングが合わず。

菖蒲を見に行こうと思ったらもう咲きすぎていて…

紫陽花が各地域で咲き誇っている。

例年よりも、一週間から二週間くらい、季節の移り変わりが早い。

この調子だと例年なら「海の日前後」の梅雨明けも、

七月上旬にズレそう(というか、早く夏になってほしい)。

ということは、今月が梅雨の真っ盛り。

私は梅雨時期に、一番映画を数多く観ている。

今年の六月も、早10本以上の録画を捌いた。

そんな速度で映画を消化するので、必然的に企画としての業務も映画ネタが増えてくる。

なので今回の「古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋げる」は、映画について

 

 

 まずはこのポスターをご紹介!

「世紀の謎 空飛ぶ円盤地球を襲撃す」

アメリカ公開時(1956年)のタイトルは「EARTH vs. FLYING SAUCERS」、

1950年代を代表するB級のSF映画。

このポスターデザインはその後、

数多くのデザイナーやイラストレイターによってアップデートされ、

21世紀の今でもカルト的な人気がある。

なのでドライボーンズとしても、是非乗っかっておきたいということで…

コットン素材のボーリングシャツで登場させてみた。

ボーリングシャツなので、正統派として2トーン、ピンボタン使用。

オープンカラーシャツのディテールも、美しく。

バックは1950年代末期から流行し始めた、フロッキープリント。

コットン素材と相まって、ガンガン洗濯機で水洗いできる

起毛のプリントが若干剥げてきたくらいで、ほぼヴィンテージに見えてくるはず。

宇宙人も喜んでくれるに違いない。

 

 

そしてお次は、かの名作から。

皆さんご存知、ゴッドファーザー。

 

ただし今回はちょっと趣向を凝らして…

敢えて一番好きな「パート2」から抜粋してみた。

ゴッドファーザー パート2は、主人公であるドン・ヴィトー・コルリオーネの若かりし頃を描いた作品。

第1作目ではマーロン・ブランドがドン・ヴィトー・コルリオーネ役を演じたが…

第2作目ではヤング・ヴィトーとしてロバート・デ・ニーロが演じる。

時は1917年。

シシリア島から移民としてニューヨークに渡ってきたヤング・ヴィトーは結婚して食品雑貨店で働いていたが、

地元のヤクザであるファヌッチ一味に職を奪われてしまう。

その後、ファヌッチを亡き者にしたヤング・ヴィトーは地元の有力者としてのし上がっていく。

地元でブイブイ言わせ始めた頃、

厄介事を持ち込んできた男と床屋の前で交渉するシーンがある。

その床屋のウィンドウ右下には、こんなマークが貼り出されており…。

ブラックアイ スペシャリスト

当時の床屋は医療機関の代替えみたいな側面も持っており、

喧嘩などで目が充血したりしてしまった人に対してのケアなども、行っていた。

なので、その当時の人の制服っぽく製作。

プリントTシャツ「ブラックアイ・スペシャリスト」

アップ。

秘密結社のマークみたいで、格好いい。

ずっと作ってみたかったデザインの一つ。

 

 更に、ドン・ヴィトー・コルリオーネの三男マイケルが、紆余曲折の結果ゴッドファーザーの後を継ぐきっかけとなった事件。

海軍の英雄であったマイケルは、家族のために汚職警官と対立組織のボスを暗殺する。

その暗殺現場は、

「外部から人が出入りできるトイレがあるレストラン」としてイタリア人が多く利用していた、

ルイズレストランだった。

オレンジとピンクのネオン管が、妖しい。

そこのお土産物、というていで製作。

プリントTシャツ「ルイズ」。

デザインのアップ。

更にアップ。

わざと周りをぼかして、ネオンサインの光のように見せてみた。

是非イタリアンレストランに行く時に着ていってほしい。

 

 そして1914年のヤング・ヴィトーの話に戻る。

食品雑貨店で働くスタイルのデ・ニーロが、恐ろしく格好いい。

とあるお客様からの進言もあり、このジャケットを製作中。

デッドストックの生地なので、生産数わずか。

早めの予約をお勧めしておきます。

 

 さて、最後に紹介するのは映画ではなく、ドラマ。

アメリカでは1980年代頃から、映画監督がテレビドラマにも進出。

当時一世を風靡したデヴィッドリンチ監督の「ツイン・ピークス」も、そのひとつ。

個人的には、登場人物の一人シェリーの大ファン。

そしてそのシェリーが働いている店が、ダブル・アール・ダイナー。

その店の公式ユニフォームがあったら、という設定で製作。

ボーリングシャツ「ダブル・アール・ダイナー」

刺繍のアップ。

フロント。

襟部分のアップ。

こちらは1950年代マニアのデヴィッド・リンチに敬意を表して、レーヨン素材

襟にはボーリングマンも刺繍。

背刺繍はチェーンステッチで看板をそのまま模写。

なんと、アメリカ人のツインピークスマニアが色違いで通販してくれた。

世界のツインピークスファンは、みんな繋がっている。

無意識の世界に行けば、この「レッドルーム」で会えそうな気がする。

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その22

 五月も後半になり、暑くなる日が増えてきた。

今年も相変わらず「大正時代を意識したハワイアンシャツ」を作ったので、今日は改めてその時代背景と柄の説明をしてみようと思う。

 

 まずは大正という時代をざっくりおさらい。

大正時代とは1912年から1926年までの約14年間。

非常に短いが激動の時代だった。

江戸幕府から大政奉還、明治新政府が樹立したのは1860年代末期。

つまり大正時代が始まるほんの50年ほど前。

その明治時代に開国し、日清・日露戦争を経験。

大正時代に入ってからすぐに第一次世界大戦に参戦。

関東大震災が起こって大正時代が終わり、昭和へ。

昭和に入ってすぐに満州事変、太平洋戦争へと流れていく。

戦争に次ぐ戦争、そして天変地異と激動の時代なのだ。

 

 この時代をよく知る為には、当時の資料を読み返してみるのも重要。

私は「大正時代を意識したハワイアンシャツ」を、もう十年近く続けているが…

最初に当時のことを勉強するために読み込んだのがコレ。

滑稽新聞。

宮武外骨という当時のジャーナリストが出版していたいわゆる「週刊誌」的なもの。

この内容が、反政府・反官僚であるにもかかわらずエロ・グロ満載でかなり面白い。

こういった当時のリアルな空気感を勉強することで、商品に文化的な厚みを出したかったのだ。

 

 この時代のファッションは「モボ・モガ」に代表されるように、和装から一気に西洋化した。

この写真、戦前の自動車と相まって、かなりかっこいい。

モボ・モガの時代とはいえ、女性は着物と洋装が半々くらいだったらしい。

男性はというと…

やはり着物と洋装が半々くらい。

しかも洋装といってもジャケット・スラックス。

山高帽とロイドメガネが象徴とされてはいたが、履物は下駄や草履がメイン。

ハワイアンシャツなんて、まだまだ未来の話。

 

 

 では当時のペット状況を見てみよう。

江戸時代から犬や猫は自宅で家族同然に飼われていた。

また「食の西洋化」もあり、一時的にウサギがペットとして大流行したこともあったそうな。

そして1900年ごろ、世界的に流行した事がこれ。

テレビ番組の「逃走中」などでも出てくる、怪しいマスク。

これは実はペストを防ぐマスクとして開発され、ヨーロッパで大流行したアイテム。

ペストの原因は…

そう、ネズミ。

そして大正時代は「ネズミ駆除」の名目でネコの飼育が奨励され、爆発的に「ペットのネコ」が増えたのだった。

 

 そういった流行は、たちまち「モボ・モガ」の流行にも落とし込まれていく。

半分しか洋装しなかった女性達。

残り半分は和装なのだが、「柄に洋装の流行」が落とし込まれ、ネコ柄の襦袢などが多く作られた。

こうして「大正時代のネコ柄着物生地」を手に入れた私は、さっそくそれを1950年代調のハワイアンシャツに落とし込んでみた。

それがこのハワイアンシャツ“CAT”

仔猫がネズミを捉えて遊んでいるの図。

接写。

グリーン地には黒猫と白猫、

ブラック地には白猫と茶猫、

ホワイト地には黒猫と茶猫。

みんな、ネズミを追いかけている。

そしてこれが、大正時代の着物生地(子供用ねんねこ)。

赤地はいかにも子供っぽかったので作ることを避けた。

この写真では黒猫しかいないように見えるのだが…

上部の黒猫の隣に、ぼやっとアルファベットの「Y」みたいな柄が見える。

この生地を発見した時には気づかなかったのだが、どうやらこれは「首輪」のよう。

なので虫メガネでよーくよーく観察してみると…

「白猫の首輪」だと判明。

最初に赤でシルクを染め、その上から黒と白の「顔料」でプリントしていたのだ。

それがこの約100年の歳月で白の顔料だけが剥がれ落ちてしまい、痕跡だけが残ったのだった。

ある意味では、奇跡の発見からの「仔猫柄ハワイアンシャツ」誕生となった。

ちなみに長袖バージョンはこちら

 

 

 その次には、明治から大正にかけての激動について。

明治27年(1894年)、日本が清に宣戦布告し、日清戦争が勃発。

明治37年(1904年)、日本がロシアに宣戦布告し、日露戦争勃発。

大正3年(1914年)、オーストリアがセルビアに宣戦布告。第一次世界大戦勃発。

同じ年の8月に日本がドイツに宣戦布告、第一次世界大戦に参戦。

この第一次世界大戦は…実は今までの戦争とは全く違うものになった。

産業革命後初のヨーロッパを主戦場とした大規模な戦争で、武器や重火器が飛躍的に進化したのだ。

戦車や飛行船という、全く新しい殺戮兵器の登場により数百万人が犠牲になっていった。

そして大正9年(1920年)、株価の暴落により戦後恐慌が始まり…

大正12年(1923年)、関東大震災。

昭和3年(1928年)張作霖爆破事件。

昭和4年(1929年)ニューヨーク株の大暴落による世界大恐慌。

昭和6年(1931年)満州事変勃発。

昭和11年(1936年)2・26事件。

昭和12年(1937年)盧溝橋事件。

昭和14年(1939年)ドイツがポーランドに進撃、第二次世界大戦勃発。

昭和16年(1941年)日本軍がハワイ真珠湾を攻撃、太平洋戦争勃発。

約半世紀の間に、一気に日本が、世界が戦争と災害に飲み込まれていった。

そんな世相を写し取るかのように、洋装の陰に隠れた和装用生地にも「不安感」が柄に反映してくる。

この50年間に、日本の着物に多くの「ドクロ」や「地獄」「妖怪」が描かれるようになっていったのだ。

 

 そんな柄の一つを、今年も制作。

題してハワイアンシャツ“一休説法”

柄のアップ。

室町時代の僧侶である「一休」は毎年正月になると…

杖の先にドクロを括り付け「人は死ねばみんなドクロになる。ご用心ご用心。」と練り歩いたという。

そういった退廃的な「言い伝え」を、大正時代の人たちは羽織の裏や長襦袢など「着物を着た時に見えなくなる部分」に付け、魔除けとしたのだ。

これが本物の、大正時代の布。

まだ着物に縫製される前の、シルクの羽二重。

杖やドクロ、経文や三度笠も柄に落とし込まれた。

一休が描かれていなくとも、当時の人は一休の教えだと理解したのだ。

ちなみに長袖バージョンはこちら

 

 

 

 

 

 ミサイル攻撃によるアラートや官僚の横暴など、世相が大正時代に似てきている今の日本。

護身用にドクロを身につけるべき、と発想するのはむしろ自然な流れなのかも。

 

 

 

 そしてここで一大発表が!

6/3日曜日に、名古屋店は13周年を迎えて「振舞い酒イベント」を開催

が、その日は忙しく行かれないという方のために…

今週末から名古屋店店内に置いて「酒丸のドクロ柄着物コレクション展示即売」を開催!

私の大正~昭和初期のドクロ柄着物コレクションを、まとめて見られるビッグイベント!

この週末は名古屋店に急げ!!

 

尚、このイベントは7~8月にかけて福岡店・大阪店にも移動します!

お楽しみに!

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その21

4月13日の金曜日。

毎年3回ほどあると言われる「13日の金曜日」に、酒丸ブログとなった。

なんだかちょっとラッキー❤️

13日の金曜日は、欧米では「イエス・キリストが殺害された日だから不吉」という迷信がある。

これ、実はその後1400年代に作られた陰謀だと言われており。

なぜならば…

本当は「13日の金曜日」に殺されたのは、別の人物だから。

その人物とは、テンプル騎士団総長のジャック・ド・モレー。

当時のフランス国王フィリップ4世とカソリック総本山から裏切られ、処刑されたのが1307年10月13日の金曜日。

この事実を覆い隠すための「イエス・キリストが殺害された」というデマを流した。

これ以上詳しい事は…

ドライボーンズ責任編集「バンドワゴン」の、Vol.12で執筆しております。

そっちを読んでくださいまし。

 

 

さて、毎月恒例の「古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ」話

今月はドライボーンズのヘビーユーザーが大好きな、フィフティーズなシャツの話。

 

1950年代は、第二次世界大戦が終わってアメリカが空前の好景気に沸いた時代

戦地に出向いていた帰還兵もたくさん戻ってきて、それなりに戦時手当も支給され、国民の多くが豊かさを享受した。

また、産業革命後の機械化により就業時間の短縮も可能になり、余暇という概念が生まれた。

それまで一部の特権階級しか楽しめなかった「スポーツで汗を流す」「リゾートで遊ぶ」という余暇の過ごし方が、一般家庭にまで浸透していった時代

 

よって当時のアメリカアパレル産業も、そういった時代背景に合わせて「大量のスポーツウェア」を生産、販売していった。

ちなみに1955年のシアーズローバックのワンカットを紹介。

ミントグリーンやピンクなど発色の良い生地をブラックで切り替えしている。

こういう切り替えデザインの多様さが、当時のスポーツウェアの真骨頂。

イタリアンカラーでプルオーバー、しかもピンク&ブラック。

ポイントなのは、モデルとして描かれている人はみんな大人の白人

素材はヴィスコースレーヨンと表記されている。

ラヴェンダーにブラックの、縦ストライプで切り替え。

その下のイラストは、やはりピンクとミントグリーンにブラックの切り替え。

当時、スポーツやリゾートを楽しむ時はこういった「切り替えが多用されたレーヨン素材のシャツ」を着こなす事が、嗜みだった。

 

次に紹介するのは、私が現物として持っているヴィンテージ50sシャツたち。

レモンイエロー地に、見返しと襟裏だけライトグレーで切り替え。

 

濃いグリーンのレーヨンギャバディーンを、U字型に身頃を切り替えたプルオーバー。

 

これは身頃を大胆にV字型に切り替えたプルオーバー。

 

更に…

ポケットを身頃とは違う4色もの色を使って切り替えにしたプルオーバー。

ポケットと同色の刺繍が、襟に入っているところにも注目。

 

 

そして王道のピンク&ブラック。

しかもピンク地には絣糸を使った高級品。

 

これもピンク&ブラックながら、ポケット以外に前立てパーツも切り替え。

しかもその前立てパーツには刺繍を入れるという手の込みよう。

 

そして私のお気に入り!

グレー地のピンクの切り替え、通称グレピン!

しかもポケットパーツに、更にもう一回り小さいインポケット!

500円玉くらいしか入らない、無駄デザインの極致!

(今回撮影したヴィンテージシャツは、ドライボーンズ東京店にて販売予定
チョット時間が無くてまだ店頭出し出来ていないけれど、近々行いますので店頭にてチェックを。
全て1点物なので、売り切れごめんでございます)

 

 この様に1940年代後期から1950年代にかけて、スポーツウェアと言う名目で様々な切り替えが施されたシャツが大人向けに大量に企画生産されていった。

 

ここに注目したのが、当時のティーンエイジャーだった。

エルヴィスがデビュー後、様々な切り替えシャツをスポーツシーンだけではなく「ロックンロールという音楽」に結びつけて着用する様になったのだ!

 

そんな時代背景を考慮しつつ、満を持しての登場「V字ポケット切り替えオープンシャツ」!

胸のポケットをV字に切り替えつつ、前身頃とその他の色を切り替えたフィフティーズ独特なロックンロールシャツ!

襟先を敢えて「小丸」にして、1950年代後期をイメージ。

素材はオリジナルレーヨンブロード、春から秋までスリーシーズン対応、

もちろんステージ衣装などでも活躍!

配色は当時大流行したピンク&ブラックと、クールなホワイト&ブラック!
もう本社に在庫がほとんどないほどスピーディに動いております。

ゴールデンウィーク突入前にサイズ欠け・色欠けになりそうなので、お早めに。

 

 

そして!

ゴールデンウィークの1週間前から始まる、恒例のガラガラポン!

アレが欲しい、コレが欲しい等あるとは思いますが…

ご存知の様にゴールデンウィークとは「連休が連なる時」でもあります。

ここ数年の運送業界の問題から、後半には商品が補給しづらい状況になる可能性も充分に考えられます!
是非お早めに!難しい様ならば「予約」や「取り置き」をお願いいたします!
ちなみにもう「福引補助券」は毎日発行中!

時間がある人は、今日にでも動きましょう!

そして更にフィフティーズ好きな人向けに…

これからも続々と納品予定!

お楽しみに(こっそり)

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その20

三月。

酒丸でございます。

啓蟄を過ぎ、三寒四温な日々。

そして暖かかった先週末、私は大阪に出張。

一番の目的は盟友ケニーが営むマッドトイズ20周年イベント。

珍しく昼間は時間があったので、

以前から行ってみたかった「大阪民俗学博物館」へ行ってきた。

予備知識無く行ったのだが…

その博物館は万博の跡地に建設されていた。

駅を降りて博物館に行く途中、初めて見た「太陽の塔」に感激!!

物凄い迫力!

岡本太郎、天才!

そして本命の民俗学博物館へ。

いや~、ここ、凄い…。

博物館の中は地域ごとに区分けされ、

アメリカ大陸~ヨーロッパ~オセアニアという感じで各地域の「民俗学」を観ていく。

圧倒的な物量、ここの学芸員の人たち、変態(もちろん、良い意味で)

ワタクシ、途中の東南アジア辺り(全体の7割くらい)で休憩を入れないと立ち上がれなくなってしまうくらい、へばってしまった。

この博物館、オススメ。

できる事なら、ここに住みたい。と本気で思ってしまった。

 

個人的にお気に入りをちょっとだけ「チラ見せ」。

アフリカ北部の、呪詛の道具。

手のひらに万物の目…。

 

そして日本の神社に奉納された…

絵馬。

目。しかもナンバー13…。

 

 

 

さて。

本日は最近店頭で人気の「ブラックスーツ」を紹介。

私がこのスーツを作りたかったのは…

もちろん冠婚葬祭に着ていけるようなブラックスーツが欲しいという声に応えた部分もあるのだが…

ブラックスーツが持つポテンシャルを広げてみたいなと思った事が一番の理由。

その根底にあるのは、実はこの映画。

そう、みんな大好き「レザボア・ドッグス」

この映画はクエンティン・タランティーノの監督デビュー作品。

公開の1992年当時「心臓の悪い方は鑑賞を控えてください」と警告が出たほど、

残酷な暴力描写が話題になった映画。

けれど、個人的にはそれほど暴力シーンは気にならなかった。

というよりも、他の部分があまりに優れていたから消されてしまったんだと思う。

その優れている部分とは、キャスティングであり挿入音楽であり演出であり。

そして何より「低予算」でもこれだけ面白い映画が作れるんだと思わせたところだろう。

そしてその低予算を裏付けるシーンが、コチラ。

ストーリーはネタバレになるので書かないでおくが、

いわゆる「大人の不良の勘繰り合い」。

その大人の不良たちが集まって、宝石店強盗を働く事が話の主軸になってくるのだ。

その強盗に行く時、全員がブラックスーツに着替えていくのである!

ところが、ブラックスーツに着替える前はそれぞれが私服なのだが…

1980~90年代のカリフォルニアン・カジュアルなので、恐ろしくダサい。

これ、全て低予算ならではの「全員ガチの私服」らしい。

一番右の「ナイスガイ・エディ・キャボット」役のクリス・ペン、ナイロンのランニングジャージ。

ダサい。死ぬほどダサい。

ところが、ブラックスーツになった途端かっこいいのである。

 

同様に左端の「ミスター・ブルー」役のエドワード・バンカー(本物の不良)。

ブラックスーツに白無地ワイドスプレッドシャツとブラックタイ。

カッコイイ。

 

中央の「ミスター・ピンク」という役名に成り下がっているスティーヴ・ブシェミ(ミスター・ボードウォークエンパイア)ですら、ブラックスーツでカッコイイ。

ホワイトボタンダウンシャツにブラックタイが極まってる。

 

この映画の演出の一環なのだと思うが…

80年代末期のカリフォルニアの大人の不良は、ほとんど全員私服が死ぬほどダサい。

ところが、宝石強盗という「一世一代の仕事」をヤる際には「一張羅のブラックスーツ」で全員が心を一つにして成功させる、的な背景がある中で、裏切り者が出る。

このギャップが音楽センスなどにも影響しあって、スタイリッシュに魅せるのである。

 

 

ならば…という事で、ドライボーンズ謹製ブラックスーツのご紹介。

ブラックのウーステッド素材、ジャケット・ベスト・トラウザーズの三つ揃え。

まずはジャケット。

外見は極めて普通の、3つボタン上2つ掛けナチュラルショルダーノッチドラペル。

これは裏側をボディに着せてみた写真。

内ポケットはお台場仕立てで、しかもオールパイピング始末。

更にコームポケットやカードポケットが付き、脇当てもつく。

袖口には本開きの重ね3つボタン、つまり丁寧な手仕事。

そしてトラウザーズ。

これも外見は極めて普通の、ノータックテーパードトラウザーズ。

内側は…

「カラス天狗」と呼ばれる特殊な持ち出しと打ち合わせ。

ベルト裏にはストライプスレーキを使ったラッセル付きマーベルト。

隠れたところの色使いが、オシャレ。

ベストの写真。

3つボタンジャケットを上に着た時に、わずかにVゾーンに覗くボタン位置。

6つボタンなので、一番下のボタンは是非外すように(大人の身だしなみ)。

 

映画「レザボア・ドッグス」では全員がブラックスーツにブラックタイ

なので当然、ドライボーンズでも取り扱っております。

無地のように見えて実は細かい畝(うね)が入っており、シルク100%。

畝に出る光沢が、美しい

こういった「小技」が、スタイリッシュに見えるコツ。

個人的には…

ブラックスーツにはこんな小紋柄が似合う。

大人の夜遊びに、お供させたい柄。

 

他にも今はネクタイが大充実!

こちらのページで吟味されたし。

 

そしてこんなアクセサリーも。

大ぶりなラインストーンカフス

本開きのジャケットの袖からチラリとのぞくエロティックなカフスが不良っぽさを演出。

更には…

朗報の今週入荷、カラーバー。

なんと3型2色、計6パターンから選べる(ネットショップへのアップは、もう少しお待ちを)

いまどき、カラーバーを6パターンも置いてるメンズショップはそうそうない

 

 

そしてここからがドライボーンズの底力。

ブラックスーツに合わせるインナーの豊富さでは、他の追従を許さない。

 

例えばこんなリバティプリント

葬式帰りでも、このシャツに着替えればすぐに街に繰り出せる。そしてモテモテ

 

例えば襟が切り返し

オープンカラーなので、是非襟をジャケットの上に出して欲しい

ブラックの上着に鮮やかなグリーンが映える筈。

 

そして王道のロカビリー。

ヒョウ柄

しかも大ぶりのイタリアンカラーなので、ジャケットの襟が隠れるくらい。

ミュージシャンっぽく見える

 

個人的には…

ホワイト無地のオープンカラーシャツがかっこいい。

第二ボタンまで開けてタンクトップがチラ見すれば、昭和30年代のヤクザ映画みたいだ。

ブラックスーツのポテンシャル、是非ご堪能を。

 

 

 

大阪出張のこぼれ話。

民俗学博物館の物量に翻弄され、帰り道はもうクッタクタ。

足元だけを見つめながら駅へと向かった。

そうしたら…足元にも発見。

砂型で作った「太陽の塔」柄マンホール

恐るべし、万博記念公園。

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その19

約ひと月のご無沙汰、酒丸の「古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ」ブログです。

 

つい先週から、ドライボーンズの代官山の店でヴィンテージウエアを並べるようにしてみました。

実は数年前からやろうやろうと思っていたんですが、ストックルームが片付かず(汗)

とりあえずやっと数十点を並べてみました。

今後、減ってくるたびに少しづつ補充していく予定。

お楽しみに。

 

そして今回のブログは、そんなヴィンテージも大いに関係してくる「ウエスタンファッション」について語ってみようかと。

前回のビーバーハットとも関係してくる、長い長い歴史物語をお楽しみください(長文警報)。

 

 

 皆さんは「ウエスタン」と聞いてどんな感じを想像する?

概ね、こんな感じだと思う。

 

 私は二十代の頃にアメリカに行ってヴィンテージを仕入れ、日本で売るという商売をしていた。

その頃は1980~2000年代末期。

私自身1950年代が大好きだったので、必然的に仕入れるヴィンテージもこの年代のものが多かった。

そしてドライボーンズというブランドを興してからも、主に1950年代のアイテムを中心に「新しきを作って」きた訳だ。

例えばレーヨン素材のウエスタン・ギャバディーン・ジャケット

 

例えば派手な装飾が入ったウエスタンシャツ

 

例えば1950年代に大流行したテレビドラマの影響で作られたウエスタンシューズ

 

例えば1950年代のロックシーンを作った有名ミュージシャンが嵌めていた様なリング

 

 

 そして。

こういった文化を自分に植え付けて行ったのはなんだろう?と考えてみた。

もちろん、1980年代のアメリカ仕入れが一番大きいんだけど…

実はもっと根底に別のものがあることに気づいた。

それは、幼い頃に見た「西部劇」という数々の映画。

昔、午後2時頃から東京12チャンネルで流していた、アメリカ映画の再放送。

「アラモ」「昼下がりの決闘」「明日に向かって撃て」「砂漠の流れ者」「荒野のストレンジャー」エトセトラ、エトセトラ。

どこまでを「西部劇」という括りにしたらいいかわからないが、とにかく小さい頃からたくさん見ていた記憶がある。

そういったことが、自分でヴィンテージを仕入れに行く事にも影響していたような気がした。

日本を出発して一番西側にあるのは、アメリカ西海岸。

 

ところが。

ところが、である。

2013年から「1ドル紙幣に隠された秘密」というタイトルのブログを書くようになってから、「ウエスタン」や「西部劇」にもなんだか「違和感」のようなものを覚え始めていた。

つまり「陰謀」めいた感じを受け始めてきたのだ。

最初にアップした「皆がウエスタンっぽいとイメージする画像」とは…

白人が自分たちを美化している「西部開拓史の中のカウボーイという文化」なだけではないだろうか?と。

 

 そこで、ここ数年改めて「カウボーイ」ではなく、「西部開拓史としてのウエスタン」を勉強してきた。

 

 なので改めてここで勉強の成果の一部(ほんの触りだけ)を書き記しておこうと思う。

先月のブログ「古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その18」でも書いたように、ヨーロッパ人のコロンブスがアメリカ新大陸を見つけた事から「アメリカの文化」はスタートしている。

まぁ本当は、それ以前の数万年前から先住民であるアメリカンインディアンはその地で生活してきたんだけど。

それはともかくとして。

そのヨーロッパ人のアメリカ大陸開拓(というか占領)を、年代別に地図でわかりやすく見てみよう。

 

まずは独立宣言直後のアメリカ(前回ブログのビーバーハットの頃から100年後くらい)。

独立宣言は1776年、この地図は1789年当時。

まだ東側に13の州しかない(これが「LUCKY13」の由来だったりもする)。

それよりも西に注目。

今でいうミシガン州やイリノイ州の辺りは「Unorganaized territory」と書かれている。

これは「まだ組織化されていない地域」ということ。

その脇はスペインの植民地であるルイジアナ、西海岸はスペインの総督が統治する地域、とある。

その上の、今でいうオレゴン州の辺りは「Unclaimed territory」、つまり「持ち主不明の地域」。

 

そして約100年後の1845年。

東海岸に到達した人たちは、資源や食料を求めてどんどん西へ進んでいった。

その結果、多くの州が出来てきた。

それでもまだまだ「Unorganaized territory(組織化されていない地域)」は広い。

この縦に広いUnorganaized territoryプラステキサス州の事を「西部」というのだ。

テキサス州から上に順番に、オクラホマ、カンザス、ネブラスカ、サウスダコタ、ノースダコタ。

そしてこれらの州より西には、巨大なロッキー山脈。

この6つの州辺りの先住民を蹴散らしやっつけ、自分たちのモノにし、さらに後から来た者達と争奪戦を繰り返した歴史の事を「西部開拓史」というのだ。

 

その頃のリアルな写真。

これらを見れば一目瞭然。

先ほど出てきた綺麗なウエスタンジャケットや派手なウエスタンシャツなんて、一切出てこない。

つまり、テレビが普及し始めた1950年代からの一方的な文化(陰謀)とも言える。

それはそれでカッコイイんだけど。

 

 そういった背景を理解した上で、このところ「西部開拓史時代のウエスタンファッション」も、提案してみている。

先ほどのモノクロ写真の中の「OK牧場の決闘」の中のワンシーンでも使われているリボンタイ

 

馬に乗って荒野を進む際に必要だった、撥水加工された立ち襟のロングコート

 

 

強烈な日差しを遮るのに必要だった、東海岸生まれの素材ビ-バーハット

 

そして何より、17~19世紀の西部開拓史に残る人たちは、みんなベストを含めたクロージングスタイルスーツ)。

 

 

そしてこの春、コットン素材でもクロージングスタイルを展開予定。

その生地がこれ。

先に出来上がってきたキャスケット(ネットショップ掲載は、しばしお待ちを)。

ウォバッシュ素材

もうすぐジャケットやトラウザースも入荷予定。

デッドストック生地のため、生産量が少ないのでお早めに。

 

 

 そして更にもうひとつ。

自分の中では「異端のウエスタン物語」という位置にあるのが、このドラマ。

そう、ツイン・ピークス。

この町の保安官であるハリー・トルーマンは真面目な西部の田舎者

その演出としての衣装は、バリバリのフィフティーズ(この写真でも、ネップのウールハーフコート)。

そしてこのドラマの登場人物の一人である「ビッグ・エド」は、正装時にいつもループタイ(個人的に、このエドの役回りが好き)。

なので最近、ループタイも作っており。

 

 アメリカという国は、この「西部開拓史」なくして語れない。

ここに奴隷制度や南北戦争、ゴールドラッシュやロックンロール誕生などが影響してくるからだ。

 

 なのでまだまだ研究を続ける所存。

面白そうなアイテムが発見されたら、随時作っていくつもり。

 

 

 西部開拓史の資料を漁っていたら…

こんなカッコイイ女性を発見。

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その18

 大変遅くなりましたが…

あけましておめでとうございます。

2018年最初の、酒丸ブログです。

 

皆さん、年始はどうしてますか?

当方の会社の近所では、もう紅梅が咲き始めており。

例年よりちょっと早い。

今年は意外と、春が来るのが早い予感。

 

そしてそんな初春をイメージさせるような、

素晴らしい逸品が入荷したのでご案内をば。

本日紹介する商品は…企画から何年もかかってやっと完成したモノ。

思い入れも歴史的背景も、ものすごく深い。

なので今日は、長い長い歴史物語をお楽しみください(長文注意報)

 

 

 

 まずはこの地図を見てもらいたい。

北アメリカ大陸。

中央の赤いマークは、言わずと知れたワシントンD.C.。

その近辺は、いわゆるアメリカ東海岸。

1493年にコロンブスがアメリカ大陸を発見して以降、多くのヨーロッパ人が入植した地域。

地図の右端には入植してきたイギリスが辛うじて入り込んでる。

そのすぐ下にはコロンブスの故郷(正確には違うんだけど)である、

スペインやポルトガル。

当時最強の船団を持っていた大航海時代の覇者、スペインとポルトガル。

そして地図上の左側にはアメリカ西海岸ロサンゼルスがあり、

そこをずっと左に行くと日本があり中国がある。

まずはこの「地理的な距離感」を覚えてから、次の物語を読み始めてくださいまし。

 

 

 

 

 コロンブスの新大陸発見から約200年後の17世紀、

このワシントンD.C.があった辺りのポトマック川周辺には、

アメリカンネイティヴ(いわゆるインディアン)が生活していた。

ここに住んでいた部族はセナコモコという国を作っていた。

その中の大酋長の一人が、ポウハタン。

ポウハタンは数十の村を統括し、約14,000人もの住民を束ねていた。

そしてそのポウハタンの娘には、かの有名なポカホンタスもいた。

(ちなみにこの絵は、映画「ポカホンタス」の原型となった物語で、史実とは違う)

 

 一方この頃、

このポトマック川が注ぐチェサピーク湾にイギリスから入植してきたのは、

ジョン・スミス。

このジョン・スミスという人物は…

諸説あるが「非常に胡散臭くてずる賢い貿易商人」であった。

そんな人物がイギリス本国の巨大商社である「ヴァージニア社」に、

植民地視察の提督として雇われ入植した。

この地の名前であり本国本社の名前がついたこの商品が売り出されるのは、

それから400年以上後の話。

 

 彼らヴァージニア社の一団はイギリス本国の女王からの命令を受け、

このチェサピーク湾を入り、

ヨーク川を越えてポトマック川周辺に駐留。

ここに基地を作り、次の航海を目指そうと考えていた。

次の航海とは、ズバリ「中国」。

 

実はアメリカ大陸には数年前に「史上最強の海賊」として名を馳せた、

イギリスのサー・フランシス・ドレイクが立ち寄っていた。

そしてヴァージニア社とイギリス女王は、

ドレイクから直接「ある儲け話」を聞いていた。

チェサピーク湾に入ってポトマック川を遡り、

4日から10日もあれば反対側の海である太平洋に出られる。

そこから中国大陸まではもうすぐだ」と。

この地図は、当時のドレイクが話した事をイメージとして描いた地図。

 

 イギリス女王は、中国との貿易を熱望していた。

当時、世界で一番裕福な国は他を圧倒して中国であり、

中国で生産された陶磁器や絹織物、香辛料さえ手に入れば莫大な利益が見込める。

そうすれば、この大航海時代にスペインの一人勝ちを終わらせ、

イギリスも植民地を持つことができると考えた。

そこでその貿易を行うよう女王から命令を受けたのが、ヴァージニア社だったのだ。

女王からの支援を受けたヴァージニア社は、

ジョン・スミスという無頼の貿易商人を使ってチェサピーク湾に入り、

ポトマック川を遡上して中国へ進出する計画を立てていたのだった。

 

 そして実際はどうなったのか。

皆さんが知っているジョン・スミスとポカホンタスのラブストーリーなんて、

起こらなかった。

なぜならば…

原住民とスミス一団は最初こそ表面上友好関係にあったが、

双方の騙し合いから略奪合戦になり、最終的には殺戮の大戦争になった。

ポカホンタスはジョン・スミスに拉致監禁されるも、

ポウハタンを裏切って情報をリーク、イギリスに連れて行かれる騒動にまで発展。

かくしてポウハタン率いる原住民側の大半は虐殺され、

残りの人たちもイギリスから持ち込まれたマラリアでほぼ全滅してしまった。

一方のジョン・スミス一団も…

原住民に家を焼かれ、出てきたところを殴り殺された。

残った者たちも原住民から食料がもらえなくなってしまったので餓死、

もしくはマラリアで衰弱死してしまった。

 

 それまで、アメリカ新大陸にはマラリアという病気そのものがなかった。

ところが、16世紀後半から急激に「謎の高熱」を出す入植者が相次ぎ、

それは蚊が媒介する伝染病だと判明するのに100年以上かかってしまった。

ヨーロッパのごく一部の湿地帯にだけ生息していた蚊の一部が、

マラリア原虫を持っていたのだ。

その蚊に刺された入植者が、

チェサピーク湾やポトマック川など湿地帯に基地を設けたことが原因だと言われている。

この辺りは当時、蚊が好みそうな広大な湿地帯だった。

それはなぜか?

実はアメリカ大陸固有のこの動物が、

川をせき止めてダムを作ることで広大な湿地を作っていたのだった。

アメリカビーバー。

このビーバーの大群がこの地域を繁殖地としており、

川や湾にダムを作って水を堰き止め、湿地帯に変えていたのだ。

 また…ドレイクの地図を信じたイギリス女王もいけなかった。

更には、そこに付け込んで大儲けしようとしたヴァージニア社も悪徳すぎた。

 

 結果としてジョン・スミス以降も次々と入植者を送り込んだヴァージニア社。

そして次々に死んでいった。

約15年の間に7,000人もの人を入植させ、

約9割である6,000人以上が伝染病や原住民との戦いで亡くなった。

ヴァージニア社は大損害。

早く中国との貿易を始めないと、女王の手前マズい。

そこでポトマック川を一気に遡上しようとした。

ところが…全く川を上がることができなかった。

なぜならば、ビーバーが川を堰き止めて巣を作っていたからだ。

怒ったヴァージニア社の一団は一帯に住んでいたビーバーの大半を虐殺、

大赤字に陥っていたこともあって

「皮や毛も売り物になるかもしれない」

と考えて船に積んだ(もちろん、肉は食料になった)。

 

どんどん川を遡上するも、全く中国に着かない。

というより、太平洋にすら出られない。

結果として、今でいうウエストヴァージニア州の森の中で川は終わっていた。

 ヴァージニア社はチェサピーク湾・ポトマック川・ヨーク川のほとりを開墾し、

タバコの葉を栽培し始め、

それがなんとか軌道に乗って商社としての体裁を保つことができた。

そしてそういった事柄からこの地域をヴァージニア州と名付け、

遡上したポトマック川上流をウエストヴァージニア州と名付けた。

また、ヴァージニア社がタバコ産業で回復する際の「原資」は、

実はポトマック川で大量虐殺したビーバーの原皮だと噂された。

 

 かくしてアメリカビーバーの原皮はイギリスに持ち込まれ、加工された。

その頃の時代は、もう19世紀の初めになっていた。

ビーバーの原皮は、外側の固い毛を刈り取ると内側の「ふわふわな内毛」が出てくる。

蒸気で圧力をかけるなどの工程を経る事によって縮絨が起こり、

最高級のフェルト地が出来る。

このフェルト地で出来た「紳士用ハット」は、

瞬く間に全ヨーロッパで大流行した。

その流行は少し遅れてアメリカ大陸にも上陸、

ロアリング・トゥエンティーズと言われた「狂騒の1920年代」に大流行、

その流行はハットを被らない初めての大統領であるケネディの時代まで続いた。

つまり、1920~1950年代末期まで続いたのである。

 

そのヴィンテージハットの流行が21世紀の今に復活。

仕掛け人の一人はこの人。

元々ヴィンテージに造詣が深い彼は、

街中を歩いていてたまたま

「ボロボロだけど、

素晴らしく格好良くて古いビーバーハットを被ったホームレス」に遭遇。

拝み倒してそのハットを譲り受けたらしい。

そのハットは1940年代のロイヤルステットソン。

今や帽子マニア憧れの逸品。

 

 ならばドライボーンズでトライしてみよう。

せっかくなのでジョン・スミスや海賊ドレイクに謂れのあるネーミングにしたい。

赤く丸をつけたヨーク・ポトマック・チェサピークにしよう。

 

先ずは一昨年からラインナップが始まったセルビアウールハット「ヨーク」が入荷。

 

そして年末にやっとスペインで素材を手配していたポトマックが、チェサピークが!

これが最高級ビーバーハットの「ポトマック」。

この色のみ、58と60の2サイズ展開。

 

こちらも最高級ビーバーハットの「チェサピーク」

この色のみ、58と60の2サイズ展開。

 

レザーのスベリにも、金文字で箔押し。

「BEAVER 100X」とはビーバーの内毛100%の最高品質、という意味。

その脇には「OUR SPECIAL CUSTOMER」と印字してみた。

「最高品質を解ってくれる、

ドライボーンズのスペシャルなお客様に向けて作っています」という意味。

 

そしてビーバーハットの2種類には、専用ボックスが付く。

ハットのトップはオープンクラウンの状態。

自分で形を整えてお好みの形状に。

 

 

 19世紀初めにヨーロッパで流行したハットの形は、実は山高帽と呼ばれる形。

今でこそ「シルクハット」という名前になっているが、

それはビーバーが絶滅しかけてしまったために

「中国からの輸入品」であるシルクで作り直したからだ。

その後イギリスはアメリカ大陸の北側に、

もっとたくさんのビーバーが生息している地域を発見。

いち早くその広大な地を植民地化し、

「アメリカ合衆国とは違う国家」として独立させた。

それがカナダの設立である。

カナダの国獣はビーバー。

 

 

当方のビーバーハット、実は2017年12月29日に納品された。

もう年の瀬も押し迫っていたのでネットショップ用の撮影もできず、

取り急ぎ各店舗に発送するだけして年始を迎えた。

この年末年始に

「最高品質を解ってくれるドライボーンズのスペシャルなお客様」が数人来店、

すでに各店舗でサイズ欠け・色欠けが始まっています。

お早目に。

 

信じるか信じないかは、あなた次第。

 

2018年度も、皆様の琴線を「スラッピン・ウッドベースのように震わせる」

品々を数多くラインナップしていく所存。

 

本年も宜しくお願い致します。

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