古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その32

 

 二月も半ばになりました。

二月は別名「如月(きさらぎ)」。

如月の意味は「衣更着(きさらぎ)」で、

「寒さが厳しくて、重ね着をする時期」というような意味らしい。

また別には「生更木(きさらぎ)」と書いて、

「春に向かって草木が生え始める」というような意味もあるらしい。

どちらししても「もう寒さはそろそろ終わり」、

これから暖かくなっていくというお知らせのような名前。

 

 なので、春物の紹介でも…と思っていたのだが、

せっかくなのでそれは他のスタッフにお任せして…

 

今回は久しぶりに新作として制作した靴(ブーツ)について。

 

 

今回ちゃんと紹介したい靴とは、これ!

ジーン・ブーツ!

このブーツは1950年代中期頃に当時の不良の間で流行した。

 

エンジニアブーツの短いバージョン…

という訳ではなく、あくまで「街で履く用のイカしたブーツ」として流行。

 

ちなみにサンプルとしたのは、私のコレクションの1950年代のブーツ。

なんと2トーン、しかもブラック&ピンク!

 

そしてエンジニアブーツとの決定的な違いは、

ソールが「ただの合成皮革ソール」なのだ。

つまり、油で滑りやすい場所での使用とか、

バイクに乗ってとか、あまり考えていない作り。

 

そこで私としては、

このブーツでバイクも乗れるように作りたかったので…

ウラノソールにはビブラムのオイルレジストソールを採用。

「バイクにも乗れる街履き用ブーツ」として蘇らせてみたのだ。

 

更にオシャレ度をアップさせる方法として…

外側両脇にドレッシーなチェーンを装着したバージョンもラインナップさせてみた。

 

このブーツの元ネタはこれ。

これは1955年のシアーズ・ローバックのカタログに掲載されていた、

その名も「DRESS BOOTS(ドレス・ブーツ)」。

文章内には「ゴールドカラーのチェーン付き」と丁寧に書かれている。

おそらく、当時の不良な若者はダンスパーティなどの夜遊びシーンで、

チェーンを装着して遊びにいったのだろう。

当時のチェーンには、中央部にパールの様な石の様なチャームが付いていたようだ。

 

 

このチャームに似たものを探す事、数ヶ月。

東急ハンズから始まり、

御徒町のパーツ問屋や横浜の輸入服飾パーツ展示会などをくまなく探したのだが、

いい感じのパーツが見つからず。

 

むしろ潔くチェーンだけにして、

購入者がナイスなパーツを見つけたらそれをつけてもらいたいな、と。

 

ちょっとしたディテールも、紹介。

よく見て欲しいのが、このウェルト部分。

ちゃんと「ダブル・コバ」を採用。

上の段を「黒が劣化してグリーンになってしまった糸」を表現し、

下の段はウェルトを強調するオフホワイトのステッチ。

 

その元ネタも、先ほどのブラック&ピンクのブーツ。

ああ、写真には色が写り込まないな~。

このウェルトステッチ、上の段は若干グリーンに経年劣化しているのだ。

ただし、ステッチが乗っている台座が生成色なので見え辛い。

ちなみに下の段のステッチは、

やはり経年劣化でもう白っぽくなっちゃってるグレー。

 

他にもドライボーンズでは、本格的なエンジニアブーツも展開中。

こちらはグッドイヤー・ウェルト製法、

極めてちゃんとしたエンジニアブーツ

 

ちなみに元ネタは…

こんな感じ。

この写真も、1955年のシアーズ・ローバックのカタログから。

このページは、本格的な機械工のためのページであった。

 

 

 

 そして先日(2/10)には、ドライボーンズ東京店の22周年振る舞い酒も無事に終了。

ご来店いただいたたくさんのお客様、本当にありがとうございました。

 

そして2019年はドライボーンズ30周年ということもあり、

この振舞い酒の時に初めて「酒丸私物オークション」なる出し物もやってみた。

これが意外と面白かった。

オークションに参加してくれた皆さまも…

かなり得をした人、

かなりくだらない物を買っちゃった人、

結構良い物を買い逃しちゃった人、

それぞれ色々いたような気がします!

 

ワタクシは…当日来てくれた「非常に若くて綺麗な女の子」から、

バレンタインデーのお菓子をいただいちゃいました。

今年の秋冬物のセーターの配色決めを行いながら、美味しくいただきました!

ありがとうね~!

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その31

 

 2019年最初の、酒丸ブログです。

 

 小寒が過ぎた。

これからもうすぐ大寒となる今が、一年の中で一番寒い。

が、例年通りご近所の梅が、今年も見事に咲き始めた。

大寒が過ぎれば、その次は2/4の立春。

春はもうすぐ。

 

と言う訳で…今回は「春」にまつわるちょっと不思議な話を一つ。

 

 

 2018年、インスタの流行も手伝って、古い古い友人とネット上で再会。

その人は、私がまだ二十歳そこそこくらいの頃(もう30年以上前!)にヴィンテージハワイアンシャツを通じて知り合った。

彼ら(夫婦)は群馬県高崎市に店舗を構え、

私からもヴィンテージを含めたくさんの仕入れをしてくれた。

よくロサンゼルスで合流して一緒にスワップミートに出かけたり、

お互いの自宅を訪ねあったりして親睦を深めていった。

当方はその後、ドライボーンズというオリジナルブランドを立ち上げた。

その頃から距離的なこともあってなんとなく疎遠になり…

お互いの現状は他人を通じてからしか聞かなくなってしまっていた。

 

ところがここ数年のソーシャルメディアの隆盛により再び接点ができた。

ダイレクトメッセージでやり取りをするようになり、

まずはお互いの無事を確認すべく会いに行くことになったのが昨年の5月。

私も秋冬物の仕込みがひと段落した頃だったので、観光がてら高崎へ。

昔と同じ調子で話してくれる、全く変わらない飄々とした雰囲気。

お互い、無事で何より。

その友人の会社は、こちら!

 

そしてせっかく高崎まで行くのなら、と事前に地図をチェックしてみたら…

ちょっと離れたところに「榛名神社」という名所が鎮座していることが分かった。

 

行ってみよう。

 そうしたら…思いの外「物凄いパワースポット」だった。

オーラを放っている神社。

そして何より…

ちょうど仕込みを終えたスカジャンのディテールが「これでもか!」というくらいに合致していた。

 

まずは先にスカジャンの紹介を。

エンブロイダードジャケット「タワー」。

A面は濃紺地にカーキ色のサテン、背刺繍はタワー、つまり五重塔。

 

B面は真紅にイエローでキルティング、背刺繍は双龍。

2匹の龍が絡み合っている様子が好きで、当方で龍の刺繍といえば、このデザイン。

 

 

榛名神社の「榛」と言う漢字は、乃木偏に「秦の始皇帝の秦」と書く

文字としては植物の「はしばみ」という意味だけれど、

秦の文字が出てくるあたり、渡来人の影響を色濃く受けた古刹という事だろう。

 

大きな敷地を擁する神社で、下の方には清冽な川が流れている。

少し上がっていくと、いきなり五重塔が。

正確に書けば三重塔だけれど、刺繍の方は四重塔だから気にしない。

この塔を見上げながら

「あ、今年作るスカジャン刺繍の柄だ。なんだか縁起が良いなぁ」

なんて思っていた。

 

そして一番上の門を見て、びっくり。

なんと、その名も「双龍門」!

見渡してみると、周囲一帯に龍の彫り物だらけ。

中でも圧巻なのが、社殿の軒から伸びる双龍。

2本の柱に、赤と白の龍がとぐろを巻いている。

大迫力!

なんだか、このスカジャンのために榛名神社に訪れたような感覚になってしまった。

 

今年の近所の梅を見て、ふとこの神社のことを思い出した。

その神社には、こんな柱もあったからだ。

網代編みの上に梅の彫り物。

しかも一枚物の彫り物。

素晴らしい。

この神社について詳しくは、こちらを。

 

考えてみれば…その高崎の取引先でアルバイトとして働いていた女の子は、

今やドライボーンズの重鎮として日々采配を振るっている。

そして苗字(旧姓)には「龍」が付く。

榛名神社からの使者かもしれない、不思議なご縁。

 

 さて、今年はドライボーンズ30周年、記念の年。

色々と仕掛けますので、お楽しみに。

1月から大阪店で初めて、よそのブランドの展開を始めた。

盟友川村カオリが立ち上げた、ロイヤルプッシーというブランド。

知っている人も多いと思うけれど…改めてお見知り置きを。

 

そして2/10日曜日は、東京店にて開店22周年振舞い酒。

皆様、色々と申し合わせの上、ご来店くださいまし。

もちろん私も、夕方くらいから参加する予定です。

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その30

 

 

師走ギリギリの酒丸でございます。

 

今年最後の「大きな骨董市」に行ってきた。

そうしたら…とんでもない逸品を発見!

何と歌川国芳画の「相馬の古内裏」を発見!

もちろん版画だし、

当時のものでは無いにしても複数枚数が過去に何度も作られてきたアイテムではある。

が、しかし、私がこの版画を骨董市で見つけたのは25年前の1回だけ、

つまり今までにたったの2回しか見たことがないのだ。

当然1回目に見つけた時も購入(その後、その絵を元に太田美術館に問い合わせて版権など法律的な問題が無いことを確認し、シャツやシルバーバングルを企画生産していった)、2回目の今回もゲット。

そして1回目の絵と比べてみた。

色彩が全く違う!

今回手に入れた絵の方が、断然「絵として美しい」

一応、ドライボーンズ東京店にて販売しております。

1月後半には、私の友人で昔からこの絵を探している人がいるので、

声を掛けようと思っております。

もし購入希望の方がいましたら、お早めに東京店まで。

 

そして各直営店での取り寄せも可能です。

 

 

そして前回は…

 

『このように、第二次世界大戦前までは「背中で男の職業や遊び具合がわかるくらいに」アウターデザインが細分化されていった。

また、学生たちの間ではもっとシンプルに、首や袖、裾からの冷たい空気の侵入を防ぐようなウール素材のアウターとして、こういったスポーツジャケットが一般的になっていった。

そして更に、こういったジャケットの胸や腕にクラブのシニールやナンバーを貼り付けたジャケットが、アワードジャケット、和製英語で「スタジャン」となっていったのある。

ああ、この続きが面白いんでもうちょっと書きたいなぁ。

来週か再来週、どこかのタイミングでこの続きを書きたいと思います!

乞うご期待!』

 

なんて文章で、最後を締めくくった。

なので年末の本日は続きを急遽、書いてみようと思う。

 

 

さて、では前回からの続き。

 

1950年代になると、スポーツジャケットを取り巻く環境の方が大きく変わり始めた。

1920年代にWASPの学生から派生してきたスポーツジャケット、

当時はほんの一部の人達だけの特権階級のアイテムだった。

 

その後、1930年代に背面の切り替えがアクションプリーツ等に変化していき、

1940年代にはそういった造形が第二次世界大戦でも有効利用されていった。

 

そして戦後の1950年代を迎える。

学生たちの間では首や袖口・裾からの冷たい空気の侵入を防ぐウール素材のアウターとしてシニールジャケットやアワードジャケットが流行、

日本でもそのデザインを輸入したVANの影響で、

スタジャンという名前で流行していった。

 

また、戦争が終わって兵役から戻ってきた若者が爆発的に増えた。

そういった人達は若い年齢も多く、

家族や家庭がある者なら職も復帰しやすかったりしたのだが…

「そうではない、ちょっとヤサグレちゃった若者達」も、多く存在していた。

そういった若者達を熱中させた遊び、それは「スピード」だった。

第二次世界大戦で活躍したのは、いうまでもなく空中戦。

つまり戦闘機に乗った若者達だったのだ。

 

スピードに取り憑かれてしまい、

尚且つ帰国後に社会の受け皿から溢れてしまった若者が熱中したモノ、

それがバイクや自動車だったのだ。

バイクにハマっていった人達は、

映画「THE WILD ONE(乱暴者)」で見る事が出来る。

トライアンフやインディアン、ハーレーに乗って疾走し、徒党を組んで暴力を振るう。

それが後にヘルズ・エンジェルスへと繋がっていく。

 

 

 

一方、自動車にハマっていった若者達は…

やはり金を持っていなかったので、

1950年代当時「中古で安く買える1920~30年代のポンコツ自動車」を手に入れ、

改造して速く走らせる事に熱中し始めた。

そんな1シーンを切り取った写真。

自動車はフォードのモデルTをはじめとした戦前の大衆車、

それを改造してスピードに酔い痴れ、

さらに改造を重ねて公道レースを行ったりした。

ボンネットを一旦切り落として窓を小さくして軽量化したり、

ボディの一部を外して軽量化したり、

エンジンの出力を上げたり、大排気量に載せ替えたり。

そういった改造は「ホットロッド」と呼ばれ、

1950年代当時の若者を中心に大流行していった。

 

ちなみにホットロッドという言葉は…

「熱いロードスター」が訛った言葉とか、

「熱いプッシュロッド」を省略してできた言葉とか言われている。

また、ロッドという言葉は、

隠語で「男性器」という意味もあり、

「男を熱くさせるモノ」みたいな意味合いもあるのだ。

 

そしてそのように改造された自動車は…スピードも出るので、寒い。

外やガレージでの作業も寒い。

よって「着丈が長いスポーツジャケット」が、若者中心に流行し始めていった。

 

ここで、オイラの「着丈の長いスポーツジャケットコレクション」を、

ちょっとだけ見せびらかしてみる。

胸にV字の切り替えがついたメルトンのロング丈ジャケット。

カフス部分がウエスタンカットになっているのも、当時の不良っぽくてかっこいい。

 

ボーダーのスパニッシュカラーが特徴的な、真っ赤なロング丈ジャケット。

ラグランスリーヴに白黒ツートーンのパイピングが目立ってお洒落。

 

オフホワイトに大きなチェック、

襟ボアやハンドウォームポケットまで付いた完全防寒仕様のジャケット。

 

こんな感じで…

ホットロッドに夢中になった若者達が着ていた「着丈の長いウールのスポーツジャケット」は、

いつからか「カー・コート」「カー・ジャケット」と呼ばれるようになっのだ。

 

それが一躍有名になった映画がある。

それがこれ。

そう、アメリカングラフィティ

映画の中の登場人物であるジョンは、

黄色いデュース・クーペに乗っており、

あれこそ正に「ホットロッド!」と言われる自動車。

 

この映画の設定は…時は1962年、場所はカリフォルニア州モデスト。

1962年で高校生のジョン(留年してる設定だけど)が車に乗っている。

と言う事は18歳だったとしても1944年生まれ、つまり第二次世界大戦中。

と言う事は、

モデストという田舎町(オイラも行った事がある)は戦争を経験した父親が、

子供にまで不良文化を繋いでいった街なのだ、ということもわかる。

また、この映画の中には

「社会の受け皿からあふれまくって徒党を組んでしまった良くない集団」も登場する。

主人公のカートに、難癖をつけ始める「良くない集団」=ファラオズ

彼等「ファラオズ」がお揃いで着ていたジャケットこそ、

後年の日本で「ファラオ・ジャケット」「ファラオ・コート」と呼ばれるようになった「カー・コート」の一つなのだ。

なので、正確に言えば「ファラオ団が着ていた着丈の長いスポーツジャケット」=「ファラオ・コート」なので、

背中に「PHARAOHS(ファラオズ)」と入っていなければ、

ファラオ・コートではない、と思っている。

1950年代から脈々と受け継がれてきた「改造自動車で楽しむ不良文化」を表現するジャケットこそ、

カー・コートだと言えるのだと思う。

 

ドライボーンズとしても、実はほぼ毎年カーコートは作っていて…

今年はちょっと趣向を凝らした感じにしてみた(毎年作っているので、一般的なデザインだと飽きてきちゃうので:汗)

 

今年は、ツイードのナイスな生地がデッドストックで中途半端な長さで発見できたので…

クレイジーパターンのカーコートを作ってみた。

5色の色違いツイードを使って、クレイジーなホットロッドを作りそうな感じ。

 

そしてもう1つは、大きなチェックを使ってのカーコート。

大き目なチェックは、アメリカではチェックとは言わず「プレイド」という。

先ほどヴィンテージでアップした襟ボア付きのモノをイメージ。

チャコール地とブラウン地なので合わせ易く、単品でも存在感あり。

ホットロッドの本場カリフォルニアならば、

白無地のTシャツの上から羽織るだけで存在感あり。

色味に合わせたシニールやパッチでデコってもカッコいい。

 

今年のドライボーンズのカーコートは、この2種。

残りわずか、お早目に。

 

 

そうそう、先日店で若いお客様から…

 

この襟元に付いているタブは何のために付いているんですか?という質問を受けたので、ここで改めて説明。

このタブは…下に居るジッパーが降りてこないようにするためのパーツ。

下記の説明文を見て貰えば分かりやすい。

ジッパーとは、ご覧の様に様々なロック機能がある。

今の主流であり、

ドライボーンズオリジナル引き手のジッパーはAのオートマチックロック。

ところが、1950年代頃まではオートマチックロックジッパーは高級品で、

スポーツジャケット等の廉価なアイテムにはピンロックやノッチロックが主流だった。

中にはノンロックジッパーを使っている安物も存在。

スポーツジャケットと言う名の「大きな動きが求められるジャケット」には、

チープなジッパーなら本来不向きなのだ。

だから、ジッパーが降りてこない様に、

また、降りてきても上着としての機能を失わない様に、

襟元にタブで留められるようにしていたと考えられる。

1950年代の洋服メーカーの、ささやかな知恵だったのだ。

 

ちなみにドライボーンズのオートマチックロックジッパーなら、

勝手に降りてきてしまうことはない。

 

しかもボタンは当時と同様、尿素ボタン。

そして4つ穴ボタンをしっかりとクロス掛け。

当時物っぽく見せつつ、現時点で出来る最高クオリティをご提供しております。

 

 

 

 

今年も1年間、本当にありがとうございました。

 

来年もたくさんの「面白いアイテム」や「ドキドキする製品」を用意して、年始から皆様のご来店をお待ちしております。

 

 

 

あ、そうそう、書き忘れてました。

実は来年2019年は、ドライボーンズが学芸大学駅に1号店を開店させてから30年

このハガキは、1989年当時の開店記念に友人や顧客さんに送ったもの。

当時はまだオリジナルは作っておらず、ヴィンテージや家具・雑貨の店だった。

名前もドライボーンズではなく、ラズルダズルだったし。

 

それから早、30年。

あっという間の、30年。

 

せっかくの30周年なので、

年始から色んな事をイベント的に仕掛けていこうと思っております。

 

まずは第1弾!

ドライボーンズ直営店としては初の試み!

昔からの遊び仲間だった川村カオリが興したロイヤルプッシーを、

ドライボーンズ大阪店でのみ展開します(他の店舗は諸事情により扱えないので)!

現在ロイヤルプッシーのプレスとしても八面六臂の活躍をしている美和ロック嬢(じょう、と打ち込んだら最初に「錠」が出てきてウケる)も、

不定期に大阪店店頭に姿を表す予定!

ドライボーンズ責任編集の雑誌「バンドワゴン」では「中綴じっぽい(エロい)ページ」で艶やかな肢体を毎回披露してくれている彼女、

バンドワゴン持参でサインをねだるも良し(良いのか?)

 

記念すべき30周年、これから決まり次第ドンドン告知していきます!

お楽しみに!

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その29

師走の酒丸でございます。

忙しい…(汗)

 

が、世間はすっかりクリスマス

11月から12月にかけて、直営4店舗のメンバーとそれぞれ忘年会を行った。

そんな中、新人スタッフから商品の事で色々と質問を受けたので…

それについて、改めてこのブログ内でちゃんと説明しておこうと思う。

 

 

 今回は「スポーツジャケットの成り立ち」について。

 

この事を知るためには、

まず「アメリカ」という国の成り立ちについて理解する必要がある。

 

1492年、クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸(正確にはカリブ海のエスパニョーラ島だけど)を発見した事から、アメリカの歴史が始まる。

それまでのアメリカ大陸には、

氷河期時代に陸続きをなっていたアリューシャン列島を、

歩いて渡ってきたモンゴロイドを祖先とする先住民族が、

狩猟や放牧をしながら生活していた。

 

その後氷河期が終わり、

歩いて渡れなくなったアメリカ大陸は、

ヨーロッパや中国などの文明国から忘れ去られた存在になっていた。

 

 コロンブスがアメリカ大陸に上陸したのち、

大航海時代に入っていたヨーロッパの人たちが「我先に」とアメリカ大陸へ進出。

先住民族を駆逐(虐殺)しながら大陸を制覇していった。

 

スペインやポルトガルから遅れをとったイギリスは、

その後の巻き返しで「大英帝国」となり、

結果として北アメリカを植民地化。

一部のフランス人やドイツ人も誘って、

東海岸一帯を制覇し、アメリカ合衆国として独立。

この話にはヨーロッパで起こった「反カソリック、科学への信仰」なども絡んでくる。そういった「新しい考え」を持つ者達を統合させたのは、フリーメイソンやイルミナティなどの秘密結社だった。詳しくは酒丸責任編集の雑誌バンドワゴンの中の「1ドル紙幣に隠された秘密」にて)

これが1776年(1ドル紙幣の裏に書かれている1776とは、この年号)。

 

そしてその後、西へ西へと進出していくことになった。

最初に制覇した東海岸を13の州に分け、それぞれ州として独立。

基本的に州の長には、イギリス人やフランス人の「最初の入植者達&その子息達」が付いた。

彼らは最初からの入植者という事で、

高等な教育を与えられる権限を最初から持っており、

後にWASP(ワスプ/ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)と呼ばれるようになった。

 

そしてそのWASP達が学ぶべき高等教育の場こそ、

アイビーリーグと呼ばれるアメリカ8大学だった。

(アイビーリーグ8大学のうち、7つは1776年の独立よりも前に存在している)

ちなみにアイビーリーグの「アイビー」とは、「蔦(ツタ)」のこと。

ツタで校舎が覆い尽くされているほど古くからある伝統校、という意味なのだ

(初代の入植者達は「伝統」と付ける事で、その後の入植者達との差別化を図った)。

元々ヨーロッパから移住してきた人たちは、

まず先住民との戦いがあり、その後は食料の確保が急務だった。

なので、勉強なんてしている暇はなかった。

が、WASPには特権として「大学に通って勉強し、体を鍛える為にスポーツをする事」が許されたのだ。

居並ぶWASPの人たち。

この写真は8大学の一つ、

イェール大学内に存在していたクラブで「スカル&ボーンズ」という。

このグループは秘密結社化して卒業後もアメリカ合衆国の政治に深く関わりを持っており、

現在でも存続している。

 

1920年代。

第一次世界大戦が終結し、

戦場とならずに戦勝国となったアメリカは、

史上空前の好景気に沸く事になった。

いわゆる「ロワーリング・トゥエンティーズ」というやつ。

この時期、戦火を嫌った他のヨーロッパから多くの移民がやってきた。

アイルランド、イタリア、そしてユダヤ人。

また、収入を当てにした中国人も多く渡った。

職業として下の方に当たる労働者はそういった後発移民達が受け持つ事になり、

より「先の移民(イギリスやフランス、ドイツ)」は生活が楽になっていった。

 

そこで流行したのが、

WASPが体を鍛えるために大学時代に行っていた「スポーツ」だった。

球技はもちろん、

ハンティングやフィッシング、スキー、ライディングなども流行。

その流行に合わせて、スポーツ別の「上着」も進化していった。

 

腕を上や前に出す動き多いスポーツのために、背中の肩甲骨が動きやすくなるような「裁断と縫製」が開発された。

例えば、こういったスポーツジャケット

ハンティングの際、前身頃には赤を使って視認性を良くし、森の中でも誤射がないようにしつつ…

後ろ身頃には「朝日が昇るようなプリーツやダーツ」が施された、

肩甲骨が動かしやすい作り。

 

わざと明るい色のウールを使ってのスポーツジャケットも。

胸部分には、ハンドウォームポケットも付いたり。

こういった背中のプリーツ&ダーツは「サニングデール(SUNNING-DALE)」と呼ばれ、

当時の裕福な白人たちのシンボルとなっていった。

ちょっとした映画のワンシーンからも、見つけることができる。

その後、背中両端に大きく切り替えを入れてエラスティックテープで留める「アクションプリーツ」が開発され、

この形状は軍でも正式採用されるようになっていった(G-1などが典型的な例)。

 

それがまた民間レベルにまで降りてきて、スポーツジャケットとして転用されていった。

肘部分にはレザーが貼られ、上着としての耐久性も格段に上昇。

腕周りのアクションプリーツに、サニングデールのプリーツがちょっと残っているデザイン。

こういったデザインは、1930~40年代に多く見られる。

 

 このように、第二次世界大戦前までは「背中で男の職業や遊び具合がわかるくらいに」アウターデザインが細分化されていった。

 

 その後学生たちの間ではもっとシンプルに、

首や袖、裾からの冷たい空気の侵入を防ぐようなウール素材のアウターとして、

こういったスポーツジャケットが一般的になっていった。

そして更に、こういったジャケットの胸や腕にクラブのシニールやナンバーを貼り付けたジャケットが、

アワードジャケット=和製英語で「スタジャン」となっていったのある。

 

 

ああ、この続きが面白いんでもうちょっと書きたいなぁ。

 

来週か再来週、どこかのタイミングでこの続きを書きたいと思います!

乞うご期待!

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その28

 

 11月に入って、ぐっと寒くなってきた。

と同時に、色んな用事もどんどん入ってくるようになって…

なんだかすっかり「師走のような雰囲気」になってきている酒丸です。

 

 本来ならば11月は、ウールのアウターとかコートの事について書こうと思っていたんだけど…

先月「ゴッド・ファーザー」について書いたら、

「その映画を観た事がない!」とか「そんなに深く考えた事がなかった!」という意見が多数あった。

 

オイラの世代は「映画を変態的に観る世代」なのかもしれない。

 

当時は今と違って情報が少なかったから、映画という娯楽に食らいついていったんだろうな、と思う。

でも今の時代はソーシャルメディアが発達してきているから、情報が過多。

毎日毎日、膨大な情報と接している。

自分にとって必要な情報を10集めるために、10,000の情報を消去していくような時代。

映画ゴッド・ファーザーの情報も「信用している誰かが情報発信しなければ届かない」時代になっている、という事だ。

 

 

 なので今月は、最低限観ておいて欲しい映画「タクシー・ドライバー」を、

オイラなりに解釈してご紹介。

 

 さて、我々の世代ならどの家庭にもかならずあるとかないとか言われている「タクシー・ドライバー」のDVD。

当然我が家にも、ある。

 

ご存知「ニューシネマ」の金字塔であり、

前出のゴッド・ファーザーパート2でVITO役を演じたロバート・デ・ニーロが主役。

そして監督はマーティン・スコセッシ。

イタリア系移民でテーラーを営んでいた家庭の息子だった彼は、

映画監督になってからも「服」に並々ならぬ情熱を持っており、

「衣装で役どころを語らせる」事が上手な映画監督

 

映画のタイトル通り、主役のデ・ニーロ扮するトラヴィスはタクシー運転手として登場する。

この主人公の役どころは…

「1973年にベトナム戦争から引き上げてきた元海兵隊員で、

タクシードライバーを職業とした孤独な男」という設定。

 

まずこの設定を、ちゃんと理解しないといけない。

 

1973年とは、ニクソンアメリカ大統領が「ベトナム戦争終結宣言」をした年。

約24,000人のアメリカ軍兵士が撤退を開始、その中の一人であったという事だ。

そしてもう一つ重要な事、

それは「ベトナム戦争とはアメリカ軍が初めて負けた戦争」だったという事。

現地に大量の兵士を送り込んでの米ソ代理戦争的な側面もあった戦争だが

実際にベトコンに苦しめられたのはアメリカ軍。

という事は、当時のベトナムには「地獄」がたくさん、あったのだ。

だからこそ、トラヴィスの左腕には「キングコングカンパニー」という架空の部隊名がパッチとして記されている。

外地ベトナムで「過酷な任務に当たった部隊名」こそ、

トラヴィス唯一のアイデンティティーだったのだ。

 

なのに、戦争が終わって帰ってきた若者には職業すらなかった。

 

タクシー会社での面接に、その事を物語る一節がある。

面接官「何か得意な事はあるのか?」

トラヴィス「いや…特に。軍にいたんだ」

面接官「(着ている上着を見て)アーミー(陸軍)か?」

トラヴィス「ノー、マリーン(海兵隊)だ」

面接官「お、おれもマリーンに所属してたんだぞ」

 

このやりとり、深い。

アメリカで兵役経験者ならば、

タンカースジャケットを着ていれば誰でも元アーミーだと思うだろう。

でもトラヴィスはマリーン所属だった。

ではなぜ、海兵隊所属なのに陸軍(アーミー)のジャケットを着ているのか?

さらに言えば、そのジャケットにベトナム参戦時の部隊名を記したパッチとパラトルーパーのパッチが付いているのか?

彼はおそらく…

父親が第二次世界大戦中に着ていたタンカース、

もしくは中古市場でたまたま手にいれたタンカースに、

アイデンティティーとしての部隊名パッチを付けていたのだ。

だからこそ、背中のステンシルは「自分で自分の名前をスプレー」していたのだと推測できる。

ちなみにトラヴィスという名前はTRAVISと書き、この単語の語源は「TRAVEL(旅行者)」が由来らしい。

一人旅は、孤独。

ベトナムでも孤独だった兵士は、ニューヨークに戻ってきても孤独だったのだ。

そしてニューヨークの夜中を走るタクシーこそ、孤独の代名詞なのだろう。

 

そういった主人公の背景を、衣装ひとつで語らせるマーティン・スコセッシ、すごい。

 

そしてこの衣装こそ、今回ドライボーンズが手がけた「タンカースジャケット・タクシードライバーバージョン」なのだ。

本来のヴィンテージタンカースジャケット後期型は、

ネームはガーゼ素材の上からコーティングされたアーミーのネームがつく。

 

が、今回のこの冒頭のやりとりを鑑賞して、

あえてネームには「NAVAL CLOTHINGネーム」を付けてみた。

トラヴィスに寄り添い、スコセッシの解釈に寄り添ってみたのだ。

 

また、DVDは色々なバージョンが発売されていて…これが本国バージョン。

トラヴィスや背景がモノクロで、

文字だけがイエロー(これはおそらくイエローキャブを表現している)。

 

なので、もしトラヴィスが「モノクロのタンカースを着ていた場合はどうなのか?」ということも、考えてみた。

1940年代後期から1950年代にかけて、

シアーズやモンゴメリーワードなどの洋服メーカーは、

数多くのシビリアンクローズ(軍服の民間バージョン)を作っている。

 

タンカースにも様々な色が作られていて、

ヴィンテージマニア間では「赤いタンカース(通称:赤タン)」

「藍色のタンカース(通称:青タン)」

レアな黒タンもあった。

 

もしトラヴィスがタクシー会社面接時に「黒いタンカース&キングコングカンパニー」で来ていたら…

「オレはベトナムで諜報部隊にいたんだぜ」的なアピールになったかもしれない。

ニューヨークの闇に溶け込むほどの、黒いタンカース。

元諜報部隊役としては、うってつけな衣装だろう。

そんな発想の元にブラックタンカースバージョンも作ってみたのだが…

 

今回はせっかくなのでパッチそのものも「別売り」を用意してみた。

キングコングカンパニーパラトルーパーの2種類(オンラインショップ掲載しました)

このパッチ類も、ちゃんと時代考証を正しく行って作ってみた。

 

裏側を見て欲しい。

縁取りの黄色いラインが、ちゃんと裏側まで回り込んでいる。

これは円形に裁断したのち、刺繍糸で周りがほつれないようにかがっている作り方。

1970年代後期に「裏の溶剤が高温で溶けて繊維に付着するパッチ(アイロンパッチ)」が開発される。

この頃、パッチの土台となる素材もコットンからポリエステルに進化し、

カッターでの裁断ではなくヒートカッターで熱処理して円形に抜くようになってきた。

だから周りをかがる必要が無くなってきたのだ。

 

そういったパッチは、ベトナム戦争時には存在していない。

 

なので、当時と同じ作り方で再現。

そして裏側には白く網目状の生地が付く。

 

これは「寒冷紗(かんれいしゃ)」といって、パッチそのものの耐久性をあげるもの。

最近のものは溶剤が付くのでこれが必要ないが、当時のものは縫いつけ時に歪んでしまわないよう寒冷紗が必要だった。

 

なので、自分が持っているタンカースジャケット後期型に、このようにつけても良い(ちゃんとヴィンテージを元に作っていますよ的なアピールも兼ねて)

 

さらにもう一歩進化させて…B-15Aにこのパッチが付いていたら。

かなり配役の意味が変わってくる。

第二次世界大戦中のパイロット(エアフォース)のジャケットだから、

孤独がもっと強調されていたかもしれない。

 

それとも…M-421Aだったらどうだろう?

この場合、U.S.NAVYだということはわかるんだが時代設定がちょっとズレてくる。

しかも夏用バージョンだからニューヨークには似合わない。

 

もっと突飛に…レオパード柄レタードジャケットだったら。

孤独感、ゼロ。パーティ野郎だ。

 

 

ここはやはり自社製品で、N-1デッキジャケットが正解のひとつだろう。

正統派マリーン所属ということが、一目でわかる。

 

ではこれは?

黒いN-1デッキジャケットになると、諜報部隊っぽさが出てくる。

 

 

 

今や情報源はソーシャルメディア、ソーシャルネットワークの時代。

こんなタクシードライバーがいたら、優先的に予約しちゃうと思います。

 

「我こそは!」というトラヴィス贔屓の運転手さん、いましたらご一報を。

絶対に乗ってみたい。

あ、その際のユニフォームのご用命は、ぜひ当方に(コマーシャル)。

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その27

 

 怒涛の3連続3連休も終わり、やっとひと段落の酒丸です。

そんな秋の夜長には、まったりと映画でも鑑賞したいところ。

個人的には「長い映画」がオススメ。

そこで今日は超大作「GOD FATHER」 について、

ちょっと書いてみようかと。

 

 

 どこの家庭にも必ず1セットはあるとかないとか言われている、

ゴッドファーザーDVD3部作。

当然、我が家にもある。

このコンプリート版には3本の映画の他にオマケ画像も付いていて…

こんな「ファミリーツリー」という画像もある。

パート1の主人公であるドン・コルリオーネの家系図。

中央下にVITO CORLEONE(1892~1954)と記されており、そこから長男フレド、次男ソニー、三男でパート3の主人公となるマイケル、長女のコニー。

映画にはほとんど出てこない子供達もちゃんと描かれており、興味深い。

個人的にこの映画は大好きで、基本的には数年に一度は全編観るようにしている(「仁義なき戦い」と同じ見方をする)。

 

 また、この映画は観る度に新しい発見があるので気が抜けないのだ。

今年の夏は、パート1の一部からプリントT-Sを作ってみた。

三男マイケルがマクラスキー汚職警官を撃つという、初めて殺人を犯すシーン。

現場はイタリア系移民がよく利用していた、場末のイタリアンレストラン。

暗闇にひときわ輝く、1954年の「ルイス イタリアンアメリカンレストラン」。

ピンクとオレンジのネオンが当時っぽい。

なのでそのロゴを再現。

当時のこのレストランで売られていたお土産T-Sという設定で…

ちゃんとネオンっぽく見えるように…

フォントの周りをぼやかしてみた。

 

 個人的に一番好きなのは、パート2。

主役のコルリオーネがまだ若い。

時代設定は1919年。

コルリオーネはまだ「ドン」ではなく、名前の「VITO(ヴィトー)」と呼ばれていた頃の話。

地元の揉め事に話をつけるシーンで、床屋の前を使う。

その床屋のウインドウにはこんなイラストが。

よーく見てみると「BLACK EYE SPECIALIST」と描かれている。

なのでこんなT-Sも作ってみた。

 

 そしてオマケ画像集の中には、若きコルリオーネとその4人の子供達の写真も出てくる。

コルリオーネが履いている靴に注目。

当時の典型的なボタンブーツ。

なので以前、こんな靴も作ってみた。

ドライボーンズのボタンブーツ、生産上の都合があってもう二度と作れないかもしれない。

東京店に最後の1足があるらしい。

お早目に。

 

 

 そしてこの秋冬、ついに真打登場。

パート2のワンシーン。

コルリーネ、つまりヤング・ヴィトーはキャスケットにダブルブレストのウールワークジャケット。

インナーにはハイゲージカーディガンと大きな襟の2トーンポロシャツ。

相棒ピーター・クレメンザはボーラーハットにチェスターフィールドコート、ストライプのスーツにラウンドカラーの白シャツ。

このジャケット、お客様からも「作ってくれ!」と熱烈なオファーをいただき、似寄りの生地が出るのを待っていたのだ。

何度も何度もジャケット着用シーンをストップモーションにして、形状をチェック。

「ほう、胸ポケットのラウンドと裾のラウンドが同じくらいだな~」

カフスは付いているけれど、タックは無いぞ。ふむふむ。」

フラワーホールは両襟に付いてる。しかもポケットにはアーキュエイト型のステッチがあるな~」

てな感じで、刑事のプロファイリング的視点で証拠を集めていった。

 

そして完成。

ダブルブレストのウールワークジャケット。名前は「ヤング・ヴィトー」と命名。

ちゃんと両襟にフラワーホールを配置。

またポケットにはアーキュエイト型のステッチ。

ポケットと裾のカーヴも同じラウンド具合。

また、映画の中ではクローズアップされなかったボタン。

1919年という時代背景を考慮して、彫りが象徴的に入っているナットボタンを使用してみた。

 

 

 1892年に生まれたヴィトー・コルリオーネは1954年に死亡。

後を継いだマイケルは1920年に誕生し1997年に死亡。

パート1最初の設定は1945年。

ヴィトーの父であるアントニオ・アンドリーニが殺害されたのが1901年。

ヤングヴィトーが初めて犯罪を犯した(絨毯を盗んだ)のが1917年。

初めて殺人を犯したのが1919年。

原作が書かれたのは1969年。

この映画の公開が1972年。

ドライボーンズが最初のボタンブーツを作ったのは2009年。

何度か修正したのち、最後の一足が完売するのは2018年かもしれない。

そしてさらに「ヤング・ヴィトージャケット」を製作したのが2018年。

 

なんて、後年になって何処かに記されるようになったら、ちょっと嬉しい。

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その26

 

 約ひと月のご無沙汰。酒丸です。

早いものでもう九月の後半、2018年もあと3ヶ月ちょっととなってきた。

そして日曜日は秋分、もうすっかり秋。

 

 

なので今日は、

本格的なファッションシーズンを迎える秋に

「ヴィンテージファッション」の起源となったジャケットの話を、

書いてみたいと思う。

 

 

 その「起源」を書こうと思ったのは、

随分昔に買ったこの本を再読したから。

イギリス「族」物語。

この本は、イギリスのユースカルチャーについて書かれており、

こんな目次内容。

年代を追って古い順に、

「テディボーイ」「ロッカーズ」「モッズ」…と紹介されていく。

今の日本で言えば「族」とはもっぱら「暴走族」なんだろうけれど…

実はそれ以前にも「太陽族」や「みゆき族」、

「カミナリ族」などが存在していたのだ。

そういった「戦後のサブカルチャーを体現していて

社会的にも影響を及ぼす部族(トライブ)」「族」と括った時代があった。

今ならさしずめ「~系(渋谷系とか)」に当たるのだろうか(ちょっと弱いけど)。

 

そしてその「イギリスの族」の9番目に、

ちょっと異質な「古着ファッション」という項目が163ページから書かれていた。

その最初のページの一部を紹介してみたい。

小さすぎて読みづらくて申し訳ない…(汗)

『戦前は、(そして今日でも)古着は貧困のしるしだった。

教会の慈善バザーやチャリティ・ストアでしか着るものを買えない人々のものだった。

しかし、第二次世界大戦後、トラッド・ジャズのファンが、

軍の余剰物資のダッフルコートを着始めて以来、

それはポップカルチャーの中でクリエイティヴな発想から古着ファッションになった

と書かれている。

 

ちょっとここで歴史の勉強。

イギリスは…

第二次世界大戦でナチスドイツと睨み合い。

ドイツはポーランド侵攻をはじめ、デンマーク、ノルウェーにも侵攻。

その後オランダ、ベルギーにも侵攻し、フランスを降伏させた。

ドイツ軍としてはフランスを手に入れた事でイギリス本土への空爆が可能になった。

この時の他のヨーロッパ諸国、

スイスやスウェーデン、スペイン、ポルトガルは中立の立場をとっており、

イタリアに至っては勝ち馬に乗ろうとドイツと同盟を組んだ。

イギリスは孤立無援状態

ここで当時のイギリス首相チャーチルは一計を案じた。

ドイツ・イタリアと共同戦線を張っていた日本にアメリカを攻撃させ、

アメリカをイギリス側につけようと。

参戦したかったが国内世論で中立の立場を取らざるを得なかったアメリカ大統領ルーズベルトは、

チャーチルとこっそり作戦を練って日本にちょっとだけアメリカを攻撃させる企みを思いついた。

まんまとその手に乗った日本はハワイの真珠湾を攻撃。

アメリカ国民は自国を攻撃されて一気にヒートアップ、

日本はおろか、ドイツ・イタリアもぶっ潰す!となった。

結果として…日本は負けた。

沖縄に上陸を許し、多くの市民が巻き込まれた。

東京をはじめとした大都市にも絨毯爆撃され、

挙げ句の果てに広島と長崎に当時最先端だった原子爆弾を投下された。

日本はアメリカをはじめとしたイギリス・フランス等の連合軍に無条件降伏した。

ドイツもソ連との戦いに敗れフランスノルマンディーから100万もの連合軍に上陸され、

フランスを解放。

イタリアでもアメリカ・イギリス連合軍が上陸し、どちらも降伏。

まぁ、こういった内容はある程度歴史の勉強で習うこと。

 

ではちょっと視点を変えてみたい。

アメリカはハワイの基地を攻められたものの、本国は全くの無傷

日本は本土に絨毯爆撃、沖縄には上陸され、原爆を落とされて惨敗

ドイツも各占領地域に連合軍が入ってきて、ソ連にも蹂躙され、壊滅。

ここでイギリスの立場が微妙なのだ。

アメリカが参戦してくれたからなんとか戦勝国側に立っていられるが、

孤立無援状態がありその後もアメリカと一緒にヨーロッパや自国植民地奪還を行ったので、

猛烈に疲弊していた。

つまり、第二次世界大戦とは「アメリカ一強」を作った戦争であり、

他の参戦国は勝っても負けても大打撃だった。

アメリカ以外の国の人たちは、その後貧困に苦しんだ(だからこそ、

アメリカンフィフティーズをゴールデンエイジという)。

日本人は滞りがちな配給や闇市などで糊口をしのいだ。

同様にヨーロッパ各国も、経済的になんとか復興するのに10年近くを費やしたのだ。

その時の一般市民の服は、もっぱら古着だった。

オシャレとかファッションとかかっこいいとかではなく、

寒さをしのぎ暑さから身を守るための服。

慈善団体や教会が古着を集めて配給したり、

軍の余剰物資を売ったりする会社も出来始めた。(蛇足だが…

軍の放出品である発電機のモーター部分だけを取り出して自転車につけたのが、

本田宗一郎である)

 

イギリスでは第二次世界大戦中の防寒衣料として、

北欧の漁師たちが着ていたワークウエアをベースにダッフルコートを作っていた

戦争が終わった1950年代、

そういったイギリス軍の余剰物資や兵隊の古着が、市場に出始めたのだ。

こういったダッフルジャケットも、そのひとつ。

染められていない、生成色のウールを使った簡素なアウター。

これは1940年代の、ロイヤルネイビー(イギリス海軍)のダッフルジャケット。

内側のタグには、イギリス官有物のマークである「ブロードアロー」がある。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

この年代のダッフルジャケットは様々な色も存在している。

生成色が一番多いが、

野戦を想定したカーキ色、

最後尾を歩いてわざと目立つようにしたレッドなどもある。

特に珍しいのがレッド

また、戦時中に作られていたということもあり、作りがかなり簡素。

基本的に単(ひとえ)であり、裏地などはつかない。

ポケット部分の補強としてコットンテープが裏から叩きつけてある

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

その補強テープにもブロードアローがある場合がある。

 

 

前振りが長くなった。

このように1950年代、

やっと戦後復興をしてきたイギリスに「貧困のための古着」から

「ポップカルチャーの中から生まれたクリエイティヴなファッション」として

初めてクローズアップされたのが、

イギリス軍放出のダッフルジャケットだったのだ。

期しくもそれは、

イギリスでデディボーイやロッカーズ、

モッズ等の「族」達が出現し始めた時期とも重なってくる。

つまり「ファッションが流行音楽と連動し始める時期」でもあったのだ。

(日本ではこの時期が「族」の最初である「太陽族」となり、1970年代後半からのロックンロールリバイバルによって「ローラー族」、そしてその後の「チーマー」を代表するヴィンテージブームにつながっていく)

 

その頃のレアな赤いダッフルジャケットを再現。

着丈はコートというよりジャケット。

真っ赤なアウター、

戦時中に最後尾を歩いて目立つようにし、敵から自軍を守るため。

当然、一番戦闘能力が高い兵隊が着る色だった。

ヴィンテージはメルトン単なのだが、

それだと着辛くチクチクするので、

キュプラの裏地をつけて快適に着られるようにした。

ポケット付けに注目。

裏地で隠れてしまってはいるけれど、

ロイヤルネイビー精神を受け継ぐテープの叩きつけは見えないところで頑張ってる。

 

 

秋の夜長。

たまには読書も良いのでは?

昔買った本を再読してみたら、

こんな発見があって面白かったのでブログに書いてみた。

この赤いダッフルジャケット、残りわずか。

お早めに。

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その25

 

 8月23日、処暑の日。

この「処暑」という季節は…

「陽気止まりて、初めて退き止まむとすれば也」

つまり暑さが峠を越えて後退し始める時、という意味。

 

こんにちは、約ひと月ぶりの酒丸でございます。

処暑を迎え、

一気に秋物にシフトした店内へのエールとして本日のブログを書いてみる。

 

 

 本日蘊蓄を書くのは、この…

プリズナージャケット。

実はこの「プリズナージャケット」という言葉そのものは、正式名称ではない。

強いて言えば「第二次世界大戦前のヨーロッパのワークスーツ」みたいな感じだ。

 

第二次世界大戦前…

大きな企業が大量にワークウエアを作っていたアメリカとは違い、

ヨーロッパは第一次世界大戦の戦後処理に追われ、

縫製業やアパレルで巨大企業が育つ下地が出来ていなかった。

なので昔からのクロージング縫製技術を駆使して、

小さな工房がワークウエアを手工業として作っていたのだ。

 

そういった事実が垣間見えるのが、こういった映画たち。

「シンドラーズ・リスト」や、「ソハの地下水道」などの、

第二次世界大戦中のナチスによるユダヤ人迫害について迫った映画に、

そういった衣装が使われている場合が多いのだ。

 

この時代に労働者だった多くの市民が着ていた服が、

前出した「ヨーロッパのワークスーツ」であり、

当然多くのユダヤ人をはじめ、フランス人やポーランド人も着ていた。

なので総称して「プリズナージャケット」というネーミングになっていったのだろう。

別に囚人服として作られた訳でもないのに「プリズナージャケット」と呼ばれてしまうあたり、

この時代のヨーロッパの「深い闇」を感じてしまう。

 

実際には現在のヨーロッパでもヴィンテージが流通しており…

これは知人から譲っていただいた、1930年代のデッドストック。

ストライプなので正に囚人服、といった見え方もするが、

あくまで柄がたまたまそう見えるだけで、当時はたくさん種類があった中の一つ。

 

三つボタンのアンコンジャケットに太目のトラウザーズ。

トラウザーズは大きめのバックストラップが付いており、

ヨーロッパモデルらしくピスポケットは無い。

 

このデッドストックヴィンテージを元に作成した、今季イチオシのワークスーツがこちら!

コットン素材のヘリンボーンツイルで三つボタンのジャケット

あえて「ガチャポケ」にしてみた。

色味はチャコールとブラウンのふたつ。

トラウザーズのバックスタイルは、ちょっとカーヴが付いたバックストラップ。

穿き易さを考えて、ダブルのピスポケットもつけた。

 

このジャケットの秀逸な特徴は、内側にある。

ポケットが付いて一番負担がかかる部分に、内側から共地で補強が付いているのだ。

しかも、アームホールはバイヤステープでパイピングが施されている。

これがもしアメリカ製ならば、ポケット口に閂留めをしてアームホールはダブルの巻き縫いで始末する。

小さな工房が手作業で縫うのか、大手企業が大量に生産するのか、の違いはこういった部分に出る。

 

なのでドライボーンズとしては、ヨーロッパの技法に倣って内側補強。

アームホールも同じく、バイヤステープでパイピング。

こうすることで「手工業っぽさ」が出る。

ヨーロッパが綿々と育んできたビスポーククロージングは、こういった細やかなワークウエアにも投影されているのだ。

 

一応、生地のアップも。

ヘリンボーンツイルなので、遠目からは無地っぽく見えるが近付いて見ると光沢がある美しいストライプ。

インナーは白無地のドレスシャツから、野暮ったいヘンリーネックTシャツまで幅広く対応。

ボタンには刻みが入ったクラシックなボタンを使用。

当時の「古き良きヨーロッパ」を演出。

 

このところ、ドライボーンズでは「ドレッシーなヴィンテージスタイル」が大人気

これから秋が深まるにつれてウール素材も数多くラインナップされていくが、

まずはコットン素材で一年中着られるアイテムを紹介してみた。

8月後半になって暑さがぶり返して来てはいるが、それもほんのいっときのこと。

このヘリンボーンツイルのコットンスーツは8月初旬に店頭に出したところ、

急激に涼しくなったおかげで一気に捌けてきた。

お早めの試着を、お待ちしております。

 

 

 

そしてここからはお知らせ。

 

ドライボーンズ大阪店は、この8月でめでたく20周年

心斎橋パルコに出店して3年後に今の場所に移転、トータルで早20年。

感慨深いものがある。

 

なので、今週末の8/25は店内にて…

アニバーサリーに感謝すべく、ワタクシ酒丸も大阪店に立ちます!

そしてなんと!

そこではこんなクーポン券もお買い物金額に合わせて配布らしい(オイラは詳しくわかっていない:汗)。

更に!

20周年に語呂合わせした「20000円福袋」もご用意

 

個人的には…

今月やっと設置できた「バーレスクサインライト」を見に来て欲しい!

インスタ映え確実!www

更には!

今世間で話題(になっていたりいなかったり)の…

酒丸コレクションのヴィンテージ「ドクロ柄着物(すべて大正時代)」を見せびらかし&販売!(買えるもんなら買ってみなプライス)

更に更に!!

当日の店内では、世界屈指の美味しさ、宮城県塩釜に蔵を構える「阿部勘」の日本酒で振舞い酒!

ではみなさま、8/25土曜日、ドライボーンズ大阪店でお会いしましょう!

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その24

 7月も後半に突入。

前回のブログで「今年は例年に比べ、季節の移り変わりが早い。」と書いた。

そして「この調子だと例年なら『海の日前後』の梅雨明けも、7月上旬にズレそう。」とも書いた。

結果として大正解、関東地方の梅雨明けは観測史上最速の6月29日!

そりゃあ、いつもはうだるような暑さの8月が前倒しで7月後半に来ちゃうよね。

 

 

と言う訳で、今回は夏の季語とも言える「浴衣」について。

ドライボーンズで浴衣を作り始めたのは、もうかれこれ十数年前の話。

ドライボーンズ大阪店に、飛び込みで営業に来た大手素材メーカーさんとの繋がりが最初だった。

1反のミニマムでオリジナルが作れる、

インクジェットなので版代が発生しない、

新素材なので自宅での洗濯が可能、

等々の営業トークだった。

それまでも和装的なものに興味を持ってはいたが、

いざやろうと思うとゼロから生産背景を開拓しなくちゃいけないので

躊躇していた部分があった。

でもその営業トークの面白さに乗って「じゃあやってみたい!」と思った。

 

本来の浴衣とはもちろん綿素材が圧倒的に多く、高級品だと麻素材。

私自身和装も好きで、ずいぶん前に麻で浴衣を誂えたことがあった。

グレーベージュ地にレインボウカラーのネップ糸が縦横無尽に走っている、

まるでフィフティーズの生地かと間違えてしまうような麻素材。

生地に惚れて浴衣を作ってみたのは良いが、恐ろしく高額になってしまった。

しかも年に数回、夏場に着るだけなのに…

着る度にクリーニングに出さなきゃいけない素材。

貴重な素材なので洗濯は手洗いなのだが、着丈が長いので自宅では無理。

直射日光だと麻は退色してしまうので当然、干すところさえない。

毎回数千円のクリーニング代を払っていた。

 

ところが、ドライボーンズで使う新素材は「セオアルファ」という大手素材メーカーが開発した新素材、自宅で丸洗い出来るという。

しかも、私が描いた柄で!

 

これは面白いと一所懸命に柄を描いて配置し、量産にこぎつけた。

あれから数十年。

途中何度かのブランクはあったけれど、

おそらく十数柄を世の中に提案してきたと思う。

 

そこで今年の新作をご紹介。

今年は初めて「パネルプリント」を製作

パネルプリントとは「服の特定箇所にだけ任意の柄が差し込まれる配置」のことを言う。

今回は裾周りにドクロが踊っている図を入れてみた。

名付けて「浴衣 髑髏の舞」

まずは海松茶(みるちゃ)。

海松茶とは、江戸時代に広く愛用された黄緑色が褐色化したような渋い茶色。

全体的に紬(つむぎ)のような見え方をするプリントも配置。

 

そしてもう一色は、鉄紺(てつこん)。

鉄紺とは平安時代から日本にあった伝統的な色で、わずかに緑がかった紺色のことを言う。

本来、藍で染めた紺は若干紫色が入る。

鉄紺は紫色ではなく若干緑がかった暗い紺色のことを指し、

江戸時代では最も多く庶民が着ていた色。

裾周りのアップ。

この柄は私が長年コレクションしてきた髑髏着物の中から元ネタをいただいたもの。

その着物を取材していただいたのが、現在書店で売られているクラッチマガジン。

どちらの色も、江戸時代に庶民に愛された普遍的な色。

裾周りにだけ入る髑髏はシャレが効いていて、気づかないと見えない。

更に、下前にあたる部分には「行灯」がぼやっと描かれており、裾が翻らないと見えない仕組み。

これぞ和装の粋

 

 

そして今年は初めて、男物の角帯にも挑戦。

今まで作ってみたかったアイテムの一つであったが、なかなか難しかった。

今回初めて大手素材メーカーさんも乗ってくれたので、トライ。

なんとリバーシブルで、超お買い得。

名付けて「角帯 石垣と蜘蛛の巣」。

表はぱっと見「博多献上帯」に見える転写プリント。

博多献上帯とはその名の通り、

幕府への献上品として有名になった博多の地場産業のひとつ。

本来はシルクで、1本4~5万円、高級品だと10万円以上する。

上下の柄には「独鈷」と「華皿」という意匠が入り、

子孫繁栄・家内安全を意味している。

そしてリバーシブルの裏面。

この柄は、歌舞伎役者「尾上菊五郎」が愛用したと言われる「菊五郎縞」をアレンジ。

尾上菊五郎とは歌舞伎役者。

江戸時代中期には鶴屋南北と組んで「四谷怪談」等多くの怪談劇を完成させた名優。

現代も七代目が襲名されている。

この人の有名な柄が、

「片仮名のキ」と「漢字の呂」を描きつつ四本の筋と5本の筋が入った縞模様。

4+5で9、つまり「く」と読ませ、

「キ」「く」「5」「呂」で菊五郎縞という判じ絵のような意匠柄を流行らせた。

その後は「キ」と「呂」さえ入っていれば何でも菊五郎縞としてウケたため、

膨大な量の亜種が作られていった。

これが私の所有する「菊五郎縞」の石垣&蜘蛛の巣バージョン。

元ネタは大正時代の襦袢。

 

 

日本は明治後半から大正時代、昭和初期にかけて「非常に不安定な時代」を過ごした。

日清・日露と続く大きな戦争があり、関東大震災や大恐慌を経験。

官憲の取り締まりが厳しくなっていく中、満州事変から二・二六事件、太平洋戦争へと繋がっていく。

政府が決めた無茶な外交や無能な采配に、庶民が振り回されていったのだ。

その不安感が、着るものの柄にも落とし込まれていく

髑髏や骸骨、妖怪や地獄が描かれた。

また、逆に蜘蛛の巣などの「(幸福を)捕える」縁起柄や、石垣など「堅牢な土台」をイメージする柄も増えた。

この明治後半~昭和初期とは、西暦でいうと1900~1940年年代。

アメリカで言えば狂騒の20年代を中心とした太平洋戦争突入までの時代。

 

 

平成の世の中になって、911や311をはじめとしたテロや大災害など不穏な事柄が多い。

服で世相を反映させつつ、「着る」を「切る」と洒落てみてはいかが?

「不安を切る」ことを、ファッションで表現できるブランドは数少ないと思うぞ。

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その23

 六月も後半。

今年は例年に比べ、季節の移り変わりが早い。

思い返せば…桜の開花がいつもより早かったので、花見を一週間ほど前倒しした。

その後、藤棚を観に行くつもりが例年より早く散ってしまってタイミングが合わず。

菖蒲を見に行こうと思ったらもう咲きすぎていて…

紫陽花が各地域で咲き誇っている。

例年よりも、一週間から二週間くらい、季節の移り変わりが早い。

この調子だと例年なら「海の日前後」の梅雨明けも、

七月上旬にズレそう(というか、早く夏になってほしい)。

ということは、今月が梅雨の真っ盛り。

私は梅雨時期に、一番映画を数多く観ている。

今年の六月も、早10本以上の録画を捌いた。

そんな速度で映画を消化するので、必然的に企画としての業務も映画ネタが増えてくる。

なので今回の「古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋げる」は、映画について

 

 

 まずはこのポスターをご紹介!

「世紀の謎 空飛ぶ円盤地球を襲撃す」

アメリカ公開時(1956年)のタイトルは「EARTH vs. FLYING SAUCERS」、

1950年代を代表するB級のSF映画。

このポスターデザインはその後、

数多くのデザイナーやイラストレイターによってアップデートされ、

21世紀の今でもカルト的な人気がある。

なのでドライボーンズとしても、是非乗っかっておきたいということで…

コットン素材のボーリングシャツで登場させてみた。

ボーリングシャツなので、正統派として2トーン、ピンボタン使用。

オープンカラーシャツのディテールも、美しく。

バックは1950年代末期から流行し始めた、フロッキープリント。

コットン素材と相まって、ガンガン洗濯機で水洗いできる

起毛のプリントが若干剥げてきたくらいで、ほぼヴィンテージに見えてくるはず。

宇宙人も喜んでくれるに違いない。

 

 

そしてお次は、かの名作から。

皆さんご存知、ゴッドファーザー。

 

ただし今回はちょっと趣向を凝らして…

敢えて一番好きな「パート2」から抜粋してみた。

ゴッドファーザー パート2は、主人公であるドン・ヴィトー・コルリオーネの若かりし頃を描いた作品。

第1作目ではマーロン・ブランドがドン・ヴィトー・コルリオーネ役を演じたが…

第2作目ではヤング・ヴィトーとしてロバート・デ・ニーロが演じる。

時は1917年。

シシリア島から移民としてニューヨークに渡ってきたヤング・ヴィトーは結婚して食品雑貨店で働いていたが、

地元のヤクザであるファヌッチ一味に職を奪われてしまう。

その後、ファヌッチを亡き者にしたヤング・ヴィトーは地元の有力者としてのし上がっていく。

地元でブイブイ言わせ始めた頃、

厄介事を持ち込んできた男と床屋の前で交渉するシーンがある。

その床屋のウィンドウ右下には、こんなマークが貼り出されており…。

ブラックアイ スペシャリスト

当時の床屋は医療機関の代替えみたいな側面も持っており、

喧嘩などで目が充血したりしてしまった人に対してのケアなども、行っていた。

なので、その当時の人の制服っぽく製作。

プリントTシャツ「ブラックアイ・スペシャリスト」

アップ。

秘密結社のマークみたいで、格好いい。

ずっと作ってみたかったデザインの一つ。

 

 更に、ドン・ヴィトー・コルリオーネの三男マイケルが、紆余曲折の結果ゴッドファーザーの後を継ぐきっかけとなった事件。

海軍の英雄であったマイケルは、家族のために汚職警官と対立組織のボスを暗殺する。

その暗殺現場は、

「外部から人が出入りできるトイレがあるレストラン」としてイタリア人が多く利用していた、

ルイズレストランだった。

オレンジとピンクのネオン管が、妖しい。

そこのお土産物、というていで製作。

プリントTシャツ「ルイズ」。

デザインのアップ。

更にアップ。

わざと周りをぼかして、ネオンサインの光のように見せてみた。

是非イタリアンレストランに行く時に着ていってほしい。

 

 そして1914年のヤング・ヴィトーの話に戻る。

食品雑貨店で働くスタイルのデ・ニーロが、恐ろしく格好いい。

とあるお客様からの進言もあり、このジャケットを製作中。

デッドストックの生地なので、生産数わずか。

早めの予約をお勧めしておきます。

 

 さて、最後に紹介するのは映画ではなく、ドラマ。

アメリカでは1980年代頃から、映画監督がテレビドラマにも進出。

当時一世を風靡したデヴィッドリンチ監督の「ツイン・ピークス」も、そのひとつ。

個人的には、登場人物の一人シェリーの大ファン。

そしてそのシェリーが働いている店が、ダブル・アール・ダイナー。

その店の公式ユニフォームがあったら、という設定で製作。

ボーリングシャツ「ダブル・アール・ダイナー」

刺繍のアップ。

フロント。

襟部分のアップ。

こちらは1950年代マニアのデヴィッド・リンチに敬意を表して、レーヨン素材

襟にはボーリングマンも刺繍。

背刺繍はチェーンステッチで看板をそのまま模写。

なんと、アメリカ人のツインピークスマニアが色違いで通販してくれた。

世界のツインピークスファンは、みんな繋がっている。

無意識の世界に行けば、この「レッドルーム」で会えそうな気がする。

1 2 3 4 22