古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その18

 大変遅くなりましたが…

あけましておめでとうございます。

2018年最初の、酒丸ブログです。

 

皆さん、年始はどうしてますか?

当方の会社の近所では、もう紅梅が咲き始めており。

例年よりちょっと早い。

今年は意外と、春が来るのが早い予感。

 

そしてそんな初春をイメージさせるような、

素晴らしい逸品が入荷したのでご案内をば。

本日紹介する商品は…企画から何年もかかってやっと完成したモノ。

思い入れも歴史的背景も、ものすごく深い。

なので今日は、長い長い歴史物語をお楽しみください(長文注意報)

 

 

 

 まずはこの地図を見てもらいたい。

北アメリカ大陸。

中央の赤いマークは、言わずと知れたワシントンD.C.。

その近辺は、いわゆるアメリカ東海岸。

1493年にコロンブスがアメリカ大陸を発見して以降、多くのヨーロッパ人が入植した地域。

地図の右端には入植してきたイギリスが辛うじて入り込んでる。

そのすぐ下にはコロンブスの故郷(正確には違うんだけど)である、

スペインやポルトガル。

当時最強の船団を持っていた大航海時代の覇者、スペインとポルトガル。

そして地図上の左側にはアメリカ西海岸ロサンゼルスがあり、

そこをずっと左に行くと日本があり中国がある。

まずはこの「地理的な距離感」を覚えてから、次の物語を読み始めてくださいまし。

 

 

 

 

 コロンブスの新大陸発見から約200年後の17世紀、

このワシントンD.C.があった辺りのポトマック川周辺には、

アメリカンネイティヴ(いわゆるインディアン)が生活していた。

ここに住んでいた部族はセナコモコという国を作っていた。

その中の大酋長の一人が、ポウハタン。

ポウハタンは数十の村を統括し、約14,000人もの住民を束ねていた。

そしてそのポウハタンの娘には、かの有名なポカホンタスもいた。

(ちなみにこの絵は、映画「ポカホンタス」の原型となった物語で、史実とは違う)

 

 一方この頃、

このポトマック川が注ぐチェサピーク湾にイギリスから入植してきたのは、

ジョン・スミス。

このジョン・スミスという人物は…

諸説あるが「非常に胡散臭くてずる賢い貿易商人」であった。

そんな人物がイギリス本国の巨大商社である「ヴァージニア社」に、

植民地視察の提督として雇われ入植した。

この地の名前であり本国本社の名前がついたこの商品が売り出されるのは、

それから400年以上後の話。

 

 彼らヴァージニア社の一団はイギリス本国の女王からの命令を受け、

このチェサピーク湾を入り、

ヨーク川を越えてポトマック川周辺に駐留。

ここに基地を作り、次の航海を目指そうと考えていた。

次の航海とは、ズバリ「中国」。

 

実はアメリカ大陸には数年前に「史上最強の海賊」として名を馳せた、

イギリスのサー・フランシス・ドレイクが立ち寄っていた。

そしてヴァージニア社とイギリス女王は、

ドレイクから直接「ある儲け話」を聞いていた。

チェサピーク湾に入ってポトマック川を遡り、

4日から10日もあれば反対側の海である太平洋に出られる。

そこから中国大陸まではもうすぐだ」と。

この地図は、当時のドレイクが話した事をイメージとして描いた地図。

 

 イギリス女王は、中国との貿易を熱望していた。

当時、世界で一番裕福な国は他を圧倒して中国であり、

中国で生産された陶磁器や絹織物、香辛料さえ手に入れば莫大な利益が見込める。

そうすれば、この大航海時代にスペインの一人勝ちを終わらせ、

イギリスも植民地を持つことができると考えた。

そこでその貿易を行うよう女王から命令を受けたのが、ヴァージニア社だったのだ。

女王からの支援を受けたヴァージニア社は、

ジョン・スミスという無頼の貿易商人を使ってチェサピーク湾に入り、

ポトマック川を遡上して中国へ進出する計画を立てていたのだった。

 

 そして実際はどうなったのか。

皆さんが知っているジョン・スミスとポカホンタスのラブストーリーなんて、

起こらなかった。

なぜならば…

原住民とスミス一団は最初こそ表面上友好関係にあったが、

双方の騙し合いから略奪合戦になり、最終的には殺戮の大戦争になった。

ポカホンタスはジョン・スミスに拉致監禁されるも、

ポウハタンを裏切って情報をリーク、イギリスに連れて行かれる騒動にまで発展。

かくしてポウハタン率いる原住民側の大半は虐殺され、

残りの人たちもイギリスから持ち込まれたマラリアでほぼ全滅してしまった。

一方のジョン・スミス一団も…

原住民に家を焼かれ、出てきたところを殴り殺された。

残った者たちも原住民から食料がもらえなくなってしまったので餓死、

もしくはマラリアで衰弱死してしまった。

 

 それまで、アメリカ新大陸にはマラリアという病気そのものがなかった。

ところが、16世紀後半から急激に「謎の高熱」を出す入植者が相次ぎ、

それは蚊が媒介する伝染病だと判明するのに100年以上かかってしまった。

ヨーロッパのごく一部の湿地帯にだけ生息していた蚊の一部が、

マラリア原虫を持っていたのだ。

その蚊に刺された入植者が、

チェサピーク湾やポトマック川など湿地帯に基地を設けたことが原因だと言われている。

この辺りは当時、蚊が好みそうな広大な湿地帯だった。

それはなぜか?

実はアメリカ大陸固有のこの動物が、

川をせき止めてダムを作ることで広大な湿地を作っていたのだった。

アメリカビーバー。

このビーバーの大群がこの地域を繁殖地としており、

川や湾にダムを作って水を堰き止め、湿地帯に変えていたのだ。

 また…ドレイクの地図を信じたイギリス女王もいけなかった。

更には、そこに付け込んで大儲けしようとしたヴァージニア社も悪徳すぎた。

 

 結果としてジョン・スミス以降も次々と入植者を送り込んだヴァージニア社。

そして次々に死んでいった。

約15年の間に7,000人もの人を入植させ、

約9割である6,000人以上が伝染病や原住民との戦いで亡くなった。

ヴァージニア社は大損害。

早く中国との貿易を始めないと、女王の手前マズい。

そこでポトマック川を一気に遡上しようとした。

ところが…全く川を上がることができなかった。

なぜならば、ビーバーが川を堰き止めて巣を作っていたからだ。

怒ったヴァージニア社の一団は一帯に住んでいたビーバーの大半を虐殺、

大赤字に陥っていたこともあって

「皮や毛も売り物になるかもしれない」

と考えて船に積んだ(もちろん、肉は食料になった)。

 

どんどん川を遡上するも、全く中国に着かない。

というより、太平洋にすら出られない。

結果として、今でいうウエストヴァージニア州の森の中で川は終わっていた。

 ヴァージニア社はチェサピーク湾・ポトマック川・ヨーク川のほとりを開墾し、

タバコの葉を栽培し始め、

それがなんとか軌道に乗って商社としての体裁を保つことができた。

そしてそういった事柄からこの地域をヴァージニア州と名付け、

遡上したポトマック川上流をウエストヴァージニア州と名付けた。

また、ヴァージニア社がタバコ産業で回復する際の「原資」は、

実はポトマック川で大量虐殺したビーバーの原皮だと噂された。

 

 かくしてアメリカビーバーの原皮はイギリスに持ち込まれ、加工された。

その頃の時代は、もう19世紀の初めになっていた。

ビーバーの原皮は、外側の固い毛を刈り取ると内側の「ふわふわな内毛」が出てくる。

蒸気で圧力をかけるなどの工程を経る事によって縮絨が起こり、

最高級のフェルト地が出来る。

このフェルト地で出来た「紳士用ハット」は、

瞬く間に全ヨーロッパで大流行した。

その流行は少し遅れてアメリカ大陸にも上陸、

ロアリング・トゥエンティーズと言われた「狂騒の1920年代」に大流行、

その流行はハットを被らない初めての大統領であるケネディの時代まで続いた。

つまり、1920~1950年代末期まで続いたのである。

 

そのヴィンテージハットの流行が21世紀の今に復活。

仕掛け人の一人はこの人。

元々ヴィンテージに造詣が深い彼は、

街中を歩いていてたまたま

「ボロボロだけど、

素晴らしく格好良くて古いビーバーハットを被ったホームレス」に遭遇。

拝み倒してそのハットを譲り受けたらしい。

そのハットは1940年代のロイヤルステットソン。

今や帽子マニア憧れの逸品。

 

 ならばドライボーンズでトライしてみよう。

せっかくなのでジョン・スミスや海賊ドレイクに謂れのあるネーミングにしたい。

赤く丸をつけたヨーク・ポトマック・チェサピークにしよう。

 

先ずは一昨年からラインナップが始まったセルビアウールハット「ヨーク」が入荷。

 

そして年末にやっとスペインで素材を手配していたポトマックが、チェサピークが!

これが最高級ビーバーハットの「ポトマック」。

この色のみ、58と60の2サイズ展開。

 

こちらも最高級ビーバーハットの「チェサピーク」

この色のみ、58と60の2サイズ展開。

 

レザーのスベリにも、金文字で箔押し。

「BEAVER 100X」とはビーバーの内毛100%の最高品質、という意味。

その脇には「OUR SPECIAL CUSTOMER」と印字してみた。

「最高品質を解ってくれる、

ドライボーンズのスペシャルなお客様に向けて作っています」という意味。

 

そしてビーバーハットの2種類には、専用ボックスが付く。

ハットのトップはオープンクラウンの状態。

自分で形を整えてお好みの形状に。

 

 

 19世紀初めにヨーロッパで流行したハットの形は、実は山高帽と呼ばれる形。

今でこそ「シルクハット」という名前になっているが、

それはビーバーが絶滅しかけてしまったために

「中国からの輸入品」であるシルクで作り直したからだ。

その後イギリスはアメリカ大陸の北側に、

もっとたくさんのビーバーが生息している地域を発見。

いち早くその広大な地を植民地化し、

「アメリカ合衆国とは違う国家」として独立させた。

それがカナダの設立である。

カナダの国獣はビーバー。

 

 

当方のビーバーハット、実は2017年12月29日に納品された。

もう年の瀬も押し迫っていたのでネットショップ用の撮影もできず、

取り急ぎ各店舗に発送するだけして年始を迎えた。

この年末年始に

「最高品質を解ってくれるドライボーンズのスペシャルなお客様」が数人来店、

すでに各店舗でサイズ欠け・色欠けが始まっています。

お早目に。

 

信じるか信じないかは、あなた次第。

 

2018年度も、皆様の琴線を「スラッピン・ウッドベースのように震わせる」

品々を数多くラインナップしていく所存。

 

本年も宜しくお願い致します。

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その17

 

年内最後の、酒丸の出番となりました。

今年の冬は早くて寒い!

気がつけば12月7日には二十四節気のひとつ「大雪」を過ぎており。

が、アパレル業界の企画としては、もう夏本番。

夏物の仕込みに大わらわ。

 

 

さて。

今日の「古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ」は、

今までとはちょっと視点を変えて縫製側のことについてちょっと書いてみたい。

先日、2018年度の春物第1弾が縫製工場から上がってきた。

ちょっと早い完成ではあるが、

実は不安な部分もあってずっと気にしていたし、

期待の部分も大きくて待ちに待っていた。

なぜならば「全く新しい試み」だから。

ドライボーンズというブランドを始めて、早28年。

大抵のモノは作ってきたという自負を持ってる。

が、今回のモノは全く初めて。

それで期待と不安が入り混じった、ドキドキした気持ちになっていたのだ。

 

それがこれ!

美しく刺繍が施された、ウエスタンシャツ。

白地はこんな感じ。

ピンク地はこれ。

ちなみに元ネタは、このヴィンテージ。

「ドライボーンズはこんな感じのウエスタンシャツ、

過去にもたくさん作ってきたじゃーん!」という声が聞こえてきそう。

そう、確かに今までこんな感じのシャツはたくさん作ってきた。

でも、今回のモノは縫製が全く違うのだ。

 

 基本的にシャツの縫製は、直線縫いが多い。

というより、ほとんどの箇所が直線縫い。

ある1箇所を除いては。

その1箇所とは…アームホール。

この写真の右端に、赤い線で描いてみた。

 

このアームホールの縫製だけは、

円…というより『山なり』に裁断したパーツを縫い合わせねばならず、

縫製職人の腕の見せ所。

 

この部分だけはパートの人にはやらせず、工場長が担当する場合も多い。

それだけ責任重大だし、難しい箇所。

 

ドライボーンズのシャツは、

オープン系のシャツならばこの部分はダブルの環縫い。

ボタンダウンやその他のドレッシーなシャツならば、

12ミリ幅のシングル折り伏せ縫いを採用。

かなり高度なテクニックを必要とする縫製で、

シャツ工場さんに頑張ってもらっているのだ。

 

この部分がなぜ難しいのか?というと…

それは「生地とは斜め方向が伸びるから」という理由に尽きる。

(もうひとつは裏側から縫わねばならないため、目視できない)

基本的に布帛生地は縦や横方向には伸びない。

ところが、斜め方向(いわゆるバイアス)には伸びる性質を持っている。

アームホールの縫製は…

「横方向の裁断から始まり、

斜めにカーヴしながら登って頂上で縦方向になり、

また斜めに下って横方向の裁断で終わる」

袖というパーツを、身頃に縫い付ける作業なのだ。

 

カーヴをキープしながら縫うだけでも大変なのに、

途中で2回もバイアス部分が出てくる。

つまり、上手にミシンの調子を見ながら斜めが変に伸びないように注意しつつ、

綺麗に頂上を出して縫い始めと縫い終わりをバッチリ合わせる、

という非常に難しいミッションの連続なのだ。

 

故に、ドライボーンズの通常のシャツは、

袖山(さっきの赤い部分の麓から頂上まで)の高さは、

だいたい12センチくらいまで。

(本音を言うと)ダッサい安物のシャツは、この袖山が10センチ未満の場合がある。

ところが、今回のウエスタンシャツは、この袖山が15センチ近くあるのだ。

15センチもあると、当然バイヤス部分も長くなるし頂上が狭くなってしまう。

よって「巻き縫い」や「折り伏せ縫い」は不可能。

 

 私はこのヴィンテージが「なぜ1950年代にこんな作り方をしているのか?」を考えた。

このシャツは、

一般的なウエスタンシャツ(つまり牧場で作業用に着るワークシャツ)ではなく、

パレード用。

つまり「綺麗に着るべきシャツ」であった。

 

また、パレード用ウエスタンシャツということは…当然、馬に乗っている。

よって、姿勢は腕は手綱を持ちながら自然体で下に降りている感じ。

この姿勢をキープするためのアームホールになっていなければならない。

ということは、一体何に近いのか?

それこそ、皆さんもご存知「背広のアームホール」と、ほとんど同じなのだ。

つまり、このパレード用ウエスタンシャツは

「ジャケットと同じアームホールの縫製仕様で作られたシャツ」

のだ!

 

シャツとジャケットでは、工賃が3倍以上違う。

ただし、比較的厚手の生地も縫えるし、アームホール以外の部分にカーヴも付けられる(ジャケット縫製工場は、比較的カーヴを得意とするところが多い:それは生地が厚くなってミシンに抵抗がかかり伸び止めになるという理由もある)。

 

なので、今回初めて「ジャケット工場と同じクオリティでシャツを縫う」ということをしてみた。

だから、様々な箇所にカーヴを使用してみた。

例えば後ろヨークの縫い合わせ。

しかも、パイピング付き。

そしてカフス部分には恐るべき急カーヴを描くパーツが。

更に、胸の切り替えもカーヴだし、ポケットも弓形にカーヴ(しかも両玉縁取り)。

常識的に考えて、これはシャツ工場の仕事ではない。

もう「衣装」のレベル。

こんな衣装レベルの縫製を、1950年代は大量生産していたのだ。

恐るべし、1950年代。

 

細かなことを言えば、袖の作り方も独特。

普通、筒状になっている袖の縫い合わせ部分は脇の下に来るのだが…

このシャツは後ろの二枚袖用のハギ部分が合わせになっている(一枚なのに)。

さらのその部分を裏返してみると…

なんと「割縫い」!!

更にその割ってある部分をコバステッチで折りにしているのだ!!!

 

刺繍も凄い。

この白と黒の糸を使った唐草模様の刺繍、実はチェーンステッチ。

もちろんヴィンテージもチェーンステッチ。

 

ところがヴィンテージのチェーンステッチ部分に使われている糸は「染め分け糸」だった。

つまり、ひとつの巻きの糸が2色に染め分けられているのだ。

一気にチェーンステッチで刺繍しても途中で色が次々に変わるから、

立体感が出る。

 

ところが、21世紀の日本にはそんな糸は存在していない。

もし作るとなれば、10,000メートルくらい作らなきゃいけない。

そこでうちの刺繍工場さんが、頑張ってくれた。

なんと、2色の染め分け糸を使って刺繍しているように見せるために、

1色縫っては糸を切って色替えをし、

また次の色を縫っては糸を切って糸替えをし…を繰り返し、

当時のヴィンテージと同じような立体感を出したのである!

 

このアームホールの件やカーヴの縫い、

更にはチェーンステッチの染め分け糸など、

やはりヴィンテージから学ぶことは多い。

 

そしてそれを叩き台に、

改めて商品化して世の中に出していくという行為に、

意義を感じている。

 

 この年末、早くも続々と春物も入荷中。

皆様のご来店を、お待ちしております!

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その16

 立冬を過ぎて初めての、酒丸です。

ご無沙汰。

今年は例年よりも「立冬」らしい11月になってきましたね。

いつもより2週間以上早く「寒い!」と感じる日が早く来ました。

はやくもウールや中綿の重装類がサイズ欠けを始めています。

そしてやっと今期のアウターの最終便が入荷。

なので今日のブログはそのアウターの歴史を、ご紹介。

そのアウターとは、これ。

ドライボーンズとして初の企画となった、B-15A。

なぜ「初の企画」なのか?というと…

実はフライトジャケットの中で、私が一番好きな形だから。

一番好きな形なので、一番納得出来るように作りたかった。

ほとんどのフライトジャケットの「祖」と言えるデザインだから、ちゃんと作りたかったのだ。

フライトジャケットと呼ばれる形はたくさんあるけれど…

おそらく一番人気なのはこれ。

ご存知、MA-1。

1986年公開の映画「トップガン」の影響でミリタリーファッションが流行した際、一番売れたデザインなので記憶している人も多いかと。

実際には1953年頃から製造され、1970年代後半まで微修正を繰り返しながら続いた。

ちなみにこれは私物のヴィンテージ。

そしてこのMA-1の元のデザインになったモノが、これ。

B-15D MOD.と呼ばれるジャケット。

ぱっと見はMA-1とほとんど変わらない。

写真を見比べてもらえばわかるが、大きな違いはジッパーのムシのデザインやラベルが白い事くらい。

ジッパーは名門クラウンジッパー。

ラベルが白いのは、B-15Dという品番のジャケットを改造してますよ、という意味の刻印がされているから。

ちなみに、B-15Dが生産されたのも1953年。

このようにモデファイされたのは、1965~67年頃ではないか?と言われている。

この頃のアメリカはベトナム戦争に本格的に参入し始めた頃。

おそらく兵の増強に伴う既存フライトジャケットの改造、というような意味合いがあったのだろう。

ちなみにこれも私物のヴィンテージ。

そしてそのB-15Dの前には…

このB-15Cというジャケットがあった。

このジャケットの製造は1951~52年頃。

つまり、朝鮮戦争の時だ。

この後の1953年、北朝鮮と韓国は休戦協定を結ぶが、韓国内にはアメリカ軍が駐留し続けた。

その駐留軍に1954年に慰問に訪れたのがマリリン・モンローで、その際は「慰問の際の即興的な衣装として」このB-15Cを羽織っている。

ちなみにこれも私物のヴィンテージ。

そのB-15Cの前には当然…

B-15Bという品番が存在する。

このB-15Bは、実はフライトジャケットとして歴史的な転換となったジャケット。

なぜならばそれまでコットンやレザー素材だったアウターシェルに、初めて「ナイロン」という素材を纏った品番なのだ。

これは、戦闘機がそれまでのプロペラ機からジェット機に進化したことが大きい。

速度や高度が大幅に変化したために、パイロットの装備も大幅に変更することが求められたのだ。

ちなみにこれも私物のヴィンテージ。

そしてそのB-15Bの前には当然、B-15Aという品番のジャケットがあった。

これが今回のドライボーンズの新作の元ネタとなった、本物のB-15A。

前出したように、コットン素材最後のフライトジャケットである。

このジャケットが製造されたのは1944~45年。

つまり第二次世界大戦末期に作られたわけだ。

この戦争で、戦闘機も大幅に進化したのだが、それはプロペラ機からジェット機に変わっただけではなかった。

コックピット周りの装備も大幅に変更したのだ。

酸素ボンベが付き、そのボンベから伸びるホースがあり。

更には基地からの交信を行えるような無線も装備され、その無線機からヘルメットに伸びるコードもあった。

そういった細かな操縦席の変更をジャケットで受け止められるように、ホースを固定するための三角形のレザータブがついた。

また、通信用ケーブルをまとめるためのスナップボタン付きタブも、装備された。

更にジェット機内コックピットがより小さくなったために、肘を曲げた状態での操縦を余儀なくされた。

そのため…

裏地であるボアの、肘の内側にあたる部分はホームベース型に削ぎ落とされ、すべりの良い裏地がつくようになったのだ。

ものすごい手間である。

このように、第二次世界大戦から朝鮮戦争を経てベトナム戦争に至るまでのアメリカ軍の進化は、そのままフライトジャケットにも踏襲されているのだ。

ちなみにこれも私物のヴィンテージ。

そんな歴史背景を認識しつつ、ドライボーンズとしては「フライトジャケットっぽいデザインの平和的利用」という名目で毎回フライトジャケットコレクションを増やしていった。

今季はB-15Aが元ネタの、このジャケット!

この写真だと分かりづらいかもしれないので、ぜひ店頭で現物を見て欲しい。

襟ボアは本物のムートンを使用。

例年より一足早くやってくる冬将軍にも対応。

が、ジッパー押さえのテープや袖のペンシルポケットは敢えて淡い色を配置し、2トーンにしてみた。

三角形のレザータブや、スナップボタン付きタブもきっちり再現。

そして「私、脱いだらすごいんです」的な、妖艶な裏地!

鮮やかなレオパード柄は保温性抜群!

しかもヴィンテージに忠実に、袖の肘内側のボアは削って裏地を配置。

妖艶なのにちゃんとしてる。

理想的。

このジャケット、先週入荷。

が、11月最初の3連休でいきなりバババッと売れちゃった。

欲しい方は、急ぎましょう。マジで。

そして更に朗報!

半年間の沈黙を破り、ついにバンドワゴンVol.13が出版!

記念すべき「13号」なので、表紙のデザインも一部変えてみた。

嘘くさい報道ばかりが目立つ今のマス・メディアに対抗すべく、コア・メディア(本当の、事実の、みたいな意味合いがある)と名乗ってみた。

真実の情報は、この雑誌の中に。

ではまた来月!

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その15

 十月、神無月に入りました。酒丸です。

もう今年も残すところ後3ヶ月。

早い。

 実は先月、新しいマシーンを購入してしまいました!

ツーストロークの軽快な音を奏でる、コイツ!

草刈機!

排気量21ccの、軽量かつ仕事早い系の頼もしいマシーン。

どれだけ仕事ができるかというと…

ここ、実家の物置裏。

ひと夏を終えて、ほぼ密林状態。

それが…

こんなに綺麗に!(驚)

こんなに仕事ができるヤツなら、もっと早くに購入していればよかった…。

というわけで、草刈機は重要です。

御用命はコチラ!

佐々木商会まで(詳しくはバンドワゴン51ページをチェック)!

 

 

さて。

そんな身内の紹介はここまでにしておいて…(汗)

今日はドライボーンズ「こだわりのシャツ」をご紹介。

ドライボーンズは、実は1年間で一番多く作っているのがシャツ。

そんな中で、特に最近オイラのお気に入りヘビーローテーションになっているのがこの形。

ボタンダウン シャンブレーワークシャツ「オーウェン」。

まあ、いわゆるシャンブレー素材のワークテイストを残しつつ、ボタンダウンにしてみたもの。

ネーミングで使われている「オーウェン」とは、人の名前。

これは誰の事なのかというと、この人。

英国出身の俳優、チャーリー・コックス演じる「オーウェン・スレイター」。

禁酒法時代のアトランティックシティを舞台にしたアメリカの連続ドラマ「ボードウォーク・エンパイア」で、ナッキーの用心棒として登場。

ファニーフェイスながらやる事が残忍で、物語の中でもかなり好きな登場人物の一人。

そのオーウェンが、いつも着ていたのがボタンダウンタイプのワークシャツだった。

オーウェンは表向きはナッキーの運転手だが、実は用心棒。

アイルランドから渡ってきた革命戦士でもある。

あくまで表向きは運転手として小綺麗な格好(ノーフォークジャケットにボタンダウンシャツ、そしてタイドアップ)をしてはいるものの、実はかなりエグい汚れ仕事(殺人や暗殺=ワークシャツにハンティングジャケット)も請け負う移民として登場。

ここでもマーティン・スコセッシの「衣装で配役の性格付けをする」抜群のセンスが、光っているのだ。

そしてこのシャツ、1920年代の禁酒法時代に実在していたもの。

シャンブレー素材にナットボタン、そして大きなチンストラップ付き。

当時はハードワークながら小綺麗さを求められた職業の人に、人気があったデザインらしい(このヴィンテージシャツは、U.S.メール(アメリカ郵便公社)のユニフォーム。

なので当時のものを忠実に再現。

ブルーシャンブレーには、生成り色のナットボタンを使用。

ボタン色に合わせてステッチも生成り色に。

そしてネイビーシャンブレーには、金茶色のステッチに合わせてボタンもライトブラウンに。

もちろんどちらの色も、大ぶりなチンストラップ付き。

ドラマ「ボードウォークエンパイア」は、シーズン5を持ってエンディングを迎えた。

が、実はこのドラマには原作があって…

1800年代初頭から1970年代までの、実に150年間にも及ぶアトランティックスティの歴史が書かれている。

ドラマ化されたのは、そのうちの「違法行為がはびこった禁酒法時代の」1920年代のみ。

このドラマにハマった人は、原作必読。

ではまた。

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その14

 9月7日になりました。酒丸です。

今日は二十四節気の「白露」、処暑と秋分の間。

日中はそれなりに暑くても、朝晩には露が降りて涼しく感じる頃、という意味。

確かに、もう朝晩はかなり涼しいですな。

都内に関して言えば、今年は8月からけっこう涼しい日が断続的に続いており…。

実は我々アパレルメーカーとは因果なもので、季節を先に先に取っていく商売。

6月くらいから秋冬物がどんどん入荷してくるんです。

なので、気温や天気を見計らいながら商品を店頭に出していくんですが。

今年は8月から涼しい日が続いたので、例年より早めにアウター類を出し始めており…

東京店を中心にどんどん売れ始めてちゃっていて、早くもサイズ欠けや完売が出てきております。

皆さん、お早めに。

マジで。

お目当てのものが、きっと今年は早く無くなると思います。

 

 

 そして先日の9月2日、古くからの友人であるDJコブラのイベントがありました。

なんとDJを始めて30周年!

おめでとうございます~!

ドライボーンズとしても会場であるクラブ・チッタで出店させていただきました。

 

更に更に。

当日の司会進行はティア・ドロップスの柳川くん。

ワタクシ、彼とも長い付き合いで、早30年近い。

そして彼はアコースティックでミュージシャンとしても参加。

その際の衣装協力もさせていただきました。

アコースティックメンバーを引き連れた柳川くん。

光って見えない(汗)

アップで…

やっぱり光ってるけど…なんとか柄は判明。

ドライボーンズのカウチンセーターでステージに立ってくれました。

こんな背中の柄、今年のカウチンセーターはパイレーツ!

フロントはこういったデザインになります。

この柄は、1950年代に実在していたもの。

当時も今も「海賊アイテム」は大人気。

そして今入った情報ですが…

なんとこのカウチンセーターの黒は、シーズン前だというのに完売してしまいました…。

だから「お早めに」って言ってるじゃーん…。

ちなみに…柳川くんが着てくれたのは。オフホワイト。

 

そしてその後、全員が羽織っていたセーターを脱いでステージ上では第2幕。

やっぱり光って見えない(汗)

ちなみにオーディエンス側最前線の彼も、ドライボーンズ謹製ボーリングシャツですね(偶然)!

アップにしてみたけどやっぱり見えない(汗)

実際に着てもらったのは、最近入荷したヒッコリーストライプのオーバーオール

バックスタイルは尾錠がクラシックな、1920年代スタイル!

柳川くん、そして新生ティアドロップスの皆さん、ありがとうございました~!

 

 

 

この日の主役のDJ、コブラ。

彼とはもうかれこれ33年以上の付き合い。

本人は覚えていないかもしれないけど、私が18歳で原宿に出てきた時、声をかけられた。

ギャンブラーズというグループに属する友人と、原宿の裏通りで話していたら…

コブラが急に現れた。

「なに、どうしたの?(そして私を指差し)君、ギャンブラーズ?」

これがファーストコンタクト。

その日の晩新宿のツバキハウスで再会し、今に至るという訳だ。

それからもう33年…。

お互いに色々とあったけれど…相変わらずフラットな関係性が嬉しいぞ。

コブラへ。

最近ご無沙汰しちゃっているけれど、近々独りでぶらりと飲みに行くつもり。

共通の某友人から、古い古い写真が送られてきたので先に見せておくね。

1986年9月25日。31年前。

オイラは左端で、コブラボーカル&某友人ウッドベースのバンドを見てるぞ。

お互いに、当時とファッションが変わってないのが凄い。

体型や風貌は、かなり変わっちゃったけど(汗)

ではまた来月!

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その13

またしても約1ヶ月ぶりのブログアップとなりました、酒丸でございます。

先月のブログにもちょっと書いたように、私は最近ラジオ出演しております。

そしてつい先日は私がゲストを連れていかねばならない順番になりまして…。

ご存知のようにラジオとは「音」を楽しむモノ。

なので「誰かミュージシャンを連れてきてください」と言われ。

私にミュージシャンの友達なんていたっけな~?と考えていたところ…

「ああ、有名人がいた!」と思い立ち急遽連絡、本人快諾。

みなさんご存知、ギターウルフのセイジ氏!

真夏の、ジェットな収録となりました。

相変わらずなテンションで急な収録でも独壇場、素晴らしい。

実はギターウルフのセイジ氏とは、もうかれこれ30年以上のお付き合い。

そんな話を、愉快なエピソードを添えて楽しくしゃべりました。

放送は8月の14日と21日の二日間。

月曜22時半からのエフエム世田谷「スタッガーリー&コーのパイレーツラヂヲ」をお楽しみに!

 

 

さて。

8月に入って7日の立秋が過ぎました

今の日本では8月は暑い盛りですが、暦の上ではもう秋

洋服屋としては、ドカドカと秋冬物が入荷してきます。

まだ暑い、と思っている方が大半でしょうが…

実はもう、秋冬物の予約がどんどん入ってきております。

なので本日はそれをちょっとだけ紹介しておきます。

まずはこれ。

数日前のブログにも登場していたのでご存知の方も多いかもしれません。

今年のカウチンセーターは、パイレーツ柄。

実はこの柄、ドライボーンズとしては約20年ぶりの生産。

当時のものを持っている方もいるかもしれませんが、その間私がヴィンテージで見たのは1回だけ。

恐るべきレアアイテムです。

この機会、お見逃しなく。

 

そして2番目。

このセーターも最近のブログで出ていましたね。

俗に言う「タートルジップセーター」。

プルオーバータイプで、ジッパーが襟先まで付いているので上まで上げれば完全防寒。

主にバイカーのユニフォームとして昔は活躍。

当時、胸にはハーレーやトライアンフ等のバイクブランドや、サンディエゴやオックスナード等の地名が多く描かれました。

また、AMA(アメリカンモーターサイクルアソシエーション)などの団体名も記されており。

なので今回は「SS」つまりスーパースポーツとバイクの種類を記してみました。

これ、イタリア読みだとスーペルスポルトとなり、ドゥカティやモト・グッチにも存在しております。

また、ストリートスクランブラーとも表現できるので、様々なバイク乗りに対応するかと。

 

そして今度は角度を変えて、被り物。

初めて作ってみたマウンテンハット。

以前から興味はあったんですが、なかなかキッカケがなく…。

やっと今回、発表に漕ぎ着けられました。

今しばらくお待ちを。

 

そしてウールのアウターも。

前身頃にクラシックなチェックをあしらったスポーツジャケット。

背中の切り替えも素晴らしいんですが…詳しくは店頭にて。

 

更にデニムジャケットの新作も。

カラーレスエンジニアジャケット。

おそらくこのデザインも、十数年ぶりに制作。

最近ヴィンテージではとんと見かけなくなってしまったので作ってみました。

それなりに面白いディテールを突っ込んでます。

 

こんなブリティッシュなアウターも。

戦前のロイヤルネイビーのダッフルジャケットをイメージした、ショート丈。

明るい色目なので寒くなってきてからも重宝しそう。

 

こんなアイテムももうじきに。

一部しか見せれず申し訳ありませんが、トートバッグ。

ドライボーンズとしては初めての厚さにトライ。

ものすごく頑丈で、トートバッグ誕生当時の「水や氷を運ぶためのバッグ」になり得るはず。

 

そして真打ち。

今年のスカジャンは、DEER柄!

しっかりとリバーシブルで、裏はピンクのサテンに日本地図!

 

更に更に…

B-15Aをドライボーンズらしく遊んでみました!

全て、店頭にてサンプル写真が見られます。

あえてわざとブログ用写真は加工したので、店頭で見るのを楽しみにしておいてくださいまし。

また、ワタクシ酒丸は、こういったアイテムの詳細写真をインスタにてアップしております。

db_bwg (ドライボーンズとバンドワゴン、の意)

をフォローしてみてください。

そしていつものことなんですが…

どれも実に少量生産なので、ちゃんと自分のサイズを確保したい場合は早めの予約をお勧めします

入荷した頃には完売、ということも最近多く発生しております。

 

そして最後に、ギターウルフのセイジ氏よりお知らせ!

ギターウルフが中心となって行うシマネジェットフェス「ヤマタノオロチライジング」!

2017年10月7日(土)開催決定!

古墳でロック!電車でロック!

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その12

約ひと月ぶりのごぶさたでした、酒丸です。

今日は7月13日の木曜日。

チッ、惜しい。1日違い(笑)。

 

実はワタクシ、最近不定期にラジオ番組に出演しております。

ラジオ局は世田谷エフエム。

ひょんなご縁で出演することになったのですが、意外と楽しい。

こんな感じのスタディオで、和気藹々とやっております。

ちなみに6月の出演時には、バンドワゴンの制作秘話的な内容を話しました。

上記はこのラジオ番組のインスタ文章。

waruda_staggerlee

をフォローしてみてくださいまし。

 

さて。

そんなラジオネタからの、企画の話。

ラジオという機器は、実に昔っぽくてノスタルジック。

私がまだ若い頃は、一生懸命ラジオを聴いていた時代がありました。

今のようにユーチューブやSNSもない時代、貴重な情報はラジオから流れてくることも多かったのです。

そして当時から古い物が好きだった私は、ラジオの造形そのものにも感動して集めたりしていました。

特にアメリカの1950年代以前のラジオには素晴らしい造形のものが多く、未だに憧れを持っております。

古いモノは素材もベークライトを使っているモノが多く、今となっては非常に希少価値があるモノも多いのです。

そんなラジオ達をリスペクトして、今季はラジオモティーフのプリントT-Sを作ったりしました。

まずはご紹介。

これはアメリカの「FADA」というメーカーの「ストリームライナー」という名のラジオ。

1940年代の製品、つまり第二次世界大戦時のモノです。

素材はもちろん、色や造形も素晴らしい!

名前の通りアール・デコを見事に昇華させたデザインにホレボレしますな。

なのでその「アール・デコ感」をデザインに投影したプリントを施してみました。

PT-752 プリントT-S “ART DECO”

色味も、ベークライトをちょっとだけイメージした「杢調」の柔らかな素材。

 

そして次はこれ。

エマーソンというメーカーの「パトリオット」と「アリストクラフト」というラジオ。

1940年の商品。

これも素材はベークライト、素材感と配色、デザインが秀逸。

またエマーソンはメーカーのデザインがト音記号を使っており、それがまたかっこいい。

なのでそのト音記号をデザイン化してみたプリントT-S。

PT-752 プリントT-S “G CLEF”

ちょっとフィフティーズっぽい。

 

更に、これ。

クロスレイというメーカーの「カラディオ」というラジオ。

1951年。

自動車のデザインを彷彿させるサイドの出っ張りやつまみ部分。

さすが1950年代!

なのでT-Sには、キャディラックのエンブレム然としたデザインをプリント。

PT-753 プリントT-S “COLORADIO”

敢えて古臭く見えるように…

ひび割れた感じのプリントにしてみました。

ああ、ノスタルジー。

 

ドライボーンズ責任編集のバンドワゴン、Vol.12は購入してもらったでしょうか?

51ページには、こんな広告が掲載中。

冒頭に説明した、エフエム世田谷のラジオ番組「スタッガーリー&コー」のコマーシャル。

「エフエム世田谷」とは言っても、時代はもうインターネットの時代。

世田谷在住でなくとも、全世界どこにいてもインターネットで聴くことができます!

なので聴き方を書いておきます。

まずはネット上で「エフエム世田谷」を検索。

すると…

こんな画面になります。

この画面の、右上の青く丸をした部分をクリック。

そう、この部分です。

ここをクリックすると、こんな別ページが立ち上がります。

このページの、ピンクで丸をつけた部分をクリックすれば、すぐに聞こえてきます!

次回の、私が出演する放送は8月14日!

某芸能人が同級生ということもあり、一緒に収録に臨みます!

お楽しみに!

 

ちなみに…

ワタクシ、自宅ではこんなラジオを飾っております。

東芝の輸出用壁掛けラジオ、1960年代。

そろそろこういった「和物ジャンク」も店頭に並べていこうと思っております。

お楽しみに!

 

「古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。」その11

またしても約1ヶ月のご無沙汰、酒丸です。

先日はちょっと郊外の神社に出かけ、御朱印収集をしてきました。

都内の府中に鎮座する「大國魂神社」。

ちょっと政治色が強くて辟易しましたが…(汗)
神社や境内は素晴らしい。

たくさんの神社が合祀されていて、かなり広い。

祭礼用の大太鼓にも感激。

直径2メートル以上ある太鼓なのに、使われている皮が1枚皮。

かなり大きな動物(もちろん牛なんだけど)。

ああいった「古代から育まれてきた文化」には驚かされますね。

 

 

 

さて。

そんな訳で(どんな訳だろう)、バンドワゴンVol.12がやっと出版されました。

既に読み始めた人も多いかもしれませんが…

手前味噌ながら「中身が濃い!濃過ぎる!」と素敵な評判がちらほら。

今回もドン引きするほどの内容になっているので、是非読んでみてください。

そして今回の表紙に起用されたのはTIKI柄のボーリングシャツ。

ここでまず、そのシャツのご紹介を。

このTIKI柄ボーリングシャツはブラックとピンクの2色展開。

当然、当時のボーリングシャツと同様…

ぐりぐりに入れたチェーン刺繍!

そしてフロントデザイン。

細かい部分をクローズアップしてみると…

オリジナルで作成したボーリングピン型のボタン。

艶やか!

そして…

襟先にはボーリングボーイ。

ヴィンテージに忠実に。

胸には「ラパヌイ」、つまりイースター島のモアイのこと。

こういった事柄も「古来から育まれてきた文化」であり、

1950年代のアメリカは、これをロウブロウアートに引き込んで行ったのだ。

これはアリゾナに現存するTIKI MOTEL。

夕暮れの薄暮に映える、怪しげな「ラパヌイ」。

 

そうそう、もうひと型、TIKIモティーフがありましたよ!

右前に大きくTIKIを刺繍した、ショート丈のシャツ

こちらの刺繍は平刺繍、肌理細やかな表情が出せる。

詳しいTIKI文化については、コチラもどーぞ!

 

そういえば、この連載の時に撮影したTIKIのラック、現在では店で使用していないので…

もし欲しい人がいたら、取りに来てくれれば売りますよ〜!

モノが大きいので、送るとなると数万円はかかっちゃうので…

取りに来てくれる人限定でお願いします。

詳しくは東京店までご連絡をくださいまし!

「古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。」その10

約1ヶ月のご無沙汰でした、酒丸です。

皆さんゴールデンウィークは楽しめましたか?

私はというと…

前半は神戸に行きました。

以前、ドライボーンズ大阪店で店長をしていた女性の結婚式に出席するためです。

もう退社してから何年も経つのに律儀に呼んでいただき、嬉しい事です。

そしてゴールデンウィーク後半は…

ちょっと御朱印収集で1日使いましたが、基本的には仕事、仕事。

が、夜は以外と空く日が多かったので、HDDに撮り溜めていた映画を観倒しました。

なので今日は、映画の話からスタート。

 

 

皆さんはこの映画をご存知でしょうか?

若き日のトム・ハンクス主演の「スプラッシュ」。

私がこれを見たのは、確かまだ十代。

東京に出てきて初めて映画館で観た映画です。

あらすじを書くなんて野暮な事は無し、DVDなりを借りて楽しんで欲しいのですが…

まずは設定が面白くてファンタジック。

1960年代中旬に幼いトム・ハンクスは船から落ちてあわや溺死!という場面。

そこに水の中をスイスイ泳ぐ「何者か」に助けられてから、ストーリーが展開していきます。

なぜ1960年代だと言えるのか?

この船の上で生バンドの演奏が行われており、その曲が「Wooly Bully(ウーリー・ブリー)」、

Sam The Sham and The Pharaohsの1965年の大ヒット曲!

この軽快なガレージR&Bに乗って、映画が始まるのです。

元々妖怪やエキゾティックな物事に興味がある私は、このオープニング音楽も相まってドップリはまってしまい。

その後、多くの人魚グッズを集めることになっていきました。

これは1950年代の、陶器製の壁掛けオーナメント。

アメリカでデッドストックを発見、自宅にコレクションとして飾られております。

 

これはオキュパイド・ジャパンの豆皿。

1947~52年の間にだけ生産された輸出用のもので、妖怪柄全10種類を収集。

そのうちの1つが、なんと人魚。

 

そしてこうした人魚熱の延長線は、ドライボーンズ商品にも反映されております。

まずは1950年代調のマーメイド柄パッチ、つまりワッペン。

裏には当時と同じく寒冷紗を貼り、それを押さえるために周りの糸かがりも当時のものに近づけております。

実は当時のバイカー達にも愛された、マーメイド柄のパッチ。

 

更にはこんなゴージャスなマーメイドウォレットチェーンも。

素材はブラス、三連のチェーンは水中からの泡をイメージ。

 

そして今期、真打とも呼べる素敵なハワイアンシャツが!

ロッキンジェリービーン画伯が描いた「レイ&マーメイド」ハワイアンシャツ!(長袖はコチラ!)

ネタ元となったヴィンテージハワイアンシャツのレイの柄に、ジェリビン画伯が上手に人魚を描き足してさらにアレンジ。

これがブラウン地、前身頃の柄合わせも完璧。

こちらはブラック地、ハイビスカスと髪の色がマッチングしております。

皆様の家庭にも、こんな素敵なスプラッシュをお届けできたら、幸いです。

 

そうそう、実は最近、こんなヴィンテージも手に入れました。

おそらく戦前頃の羽織。

羽裏にはなんと、1体の人魚が!

こんな羽織を着ていた人は、ものすごく粋な人だったんでしょうね!

 

さて。

今月中にはこれも納品される予定!

しばしお待ちを!

「古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。」その9

またしても約1ヶ月のご無沙汰でした、酒丸でございます。

実は3月末に、久しぶりに赤坂を訪問。

その名も「リトル スカーフェイス フェスタ2017」!

数十年のお付き合いもあるのでお祝いの花なんぞ出してみました…。

会場ではたくさんの古い友人とも遭遇、非常に濃密な数時間でした。

ザ・コルツの皆さん、そしてザ・モッズの皆さん、ありがとうございました!

 

そしてスカーフェイスといえば…

アメリカで話題になっていた1920年代のアトランティックシティを舞台にしたドラマ、

ボードウォークエンパイアが遂にファイナルですな。

リアル・スカーフェイスことアル・カポネにもじわじわとヤバい雰囲気になってきており…

次の放送で最終回、かなりドキドキしております。

シーズン1から、次回が最終回のシーズン5まで全部録画したので、

近々一気にまとめて鑑賞してみたいと企んでおります。

 

さて、そんなこんなで世の中は一気に桜のシーズン。

都内は、もうこの土日が花見の最終日といった感じ。

そして桜のシーズンが終われば、もう数週間後には…

皆さん待ちに待った「ゴールデンウィーク」ですね!

 

そこで本日は、ゴールデンウィーク前に完売しそうな商品をご紹介。

まずはこのハワイアンシャツ。

今季の新作、ハワイアンシャツ「モンキー」。

長袖半袖がありますが、どちらもすでに完売間近。

もう無くなってしまったサイズもあるようです。

 

このシャツ、非常にオススメな点が多いのです。

特に秀逸なのは、この完璧な柄合わせ

前身頃とポケットが、かなり正確に柄合わせできています。

ドライボーンズの商品を昔から購入してくれているヘビーユーザーの方達は、

もしかしたら「柄合わせが当たり前」くらいに思っているかもしれません。

ところが、これを裁断して縫製する事って、ものすごく大変なことなのです。

ただでさえツルツルとよく滑るレーヨン素材、縫製が大変なのはもちろんなのですが、

もっと大変なのは裁断。

最初に右前身頃を裁断し、

その右側と柄が合う場所を生地上で探して、ミリ単位で合わせて左前身を裁断します。

今度はその左前身の胸ポケット部分と同じ柄の部分を探し出し、

やはりミリ単位で裁断して縫製していくのです。

なので当然、すべて手作業。

シャツの裁断は本来、延反機という機械を使って何十着分も重ねて一気に縫製します。

そうでないとコストが全く合わない。

でも、ドライボーンズの工場さんは、すべて手作業で行ってくれる。

頭が上がりません。本当に素晴らしい。

おそらく、世界屈指の技術です。

それを購入できる可能性がある皆様、世界的にも幸運です。

 

では証拠に、私の自慢のヴィンテージハワイアンシャツコレクションを見てみましょう。

以下、すべて1940〜50年代のヴィンテージ。

とりあえず6着ほど撮影してみました。

見てもらえれば分かるように、ポケットの柄合わせは出来ていても、

前身頃がばっちり合っているシャツはありません。

更に言えば、今回のこのモンキー柄は、実はヴィンテージ(というよりアンティーク)の着物からデザインをいただきました。

それがこれ。

大正時代頃の、羽織の裏地なのです。

ドライボーンズが目指す「古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ」という意味の一端が見えるでしょ?

 

なので、もうひとつの完売間近なハワイアンシャツも紹介。

こっちは逆に、企画段階の話からしてみようと思います。

まずは…十数年前に、こんな端切れを骨董屋で見つけました。

絹で出来た縮緬素材の、ドクロ柄。

生地幅は約37センチ、ちょうど12寸。

女性の長襦袢用に作られた生地の端切れだと思います。

いつかシャツにしたいと思い、企画を温めておりました。

そして昨年6月頃、やっと企画を開始。

まずは生地屋さんと柄の打ち合わせに入ります。

端切れは37センチ幅だったけれど、現存している112センチ幅のレーヨン縮緬に染めていくので、配置を考えねばなりません。

そして完成した「仮の配置図」がこれ。

上下がかなり緻密にデコボコしております。

これはハンドプリント用の版の下書き。

上のデコボコと下のデコボコが、実はぴったり一致するように描かれています。

しかも端切れのドクロが一方方向の柄だったのに対し、

シャツにするための柄の配置は上下逆になっているものが交互にくるように描きます。

そうでないと、後々の柄合わせが出来なくなってしまうのです。

今年の4月に売るべきシャツの柄を、昨年の6〜7月には決定しなければならないこの怖さ。

そして染工所は昔ながらの場所が多いので…

ここに書かれているように、版の大きさも「寸」で表示。

今回のこの柄は24寸で進行することになりました。

その後、型彫りという作業があって製版され、まずは「マス見本」と呼ばれる色サンプルを上げます。

これで版の確認とともに、色の確認もします。

今回は地色+薄い色1色なのであまり問題が起こる可能性はなかったのですが…

たまに地色より濃い差し色を使っていたりすると、色によっては滲みが出たりしてしまいます。

そういったミスを防ぐための、最終確認。

これが昨年の9月頃。

そしてその後、量産用の生地が作られて、裁断工場に運ばれます。

モンキー柄と同じように1着づつ手作業で裁断したのち、縫製工場へ。

そこでパーフェクトに縫われてから、ドライボーンズの本社に納品されます。

ハワイアンシャツ「プレイング スケルトン」!

これも長袖半袖があります。

というか、ありました…(大汗)

既に完売したサイズが出てきている模様、お早めに。

一応ちゃんとアップで見せておくと…

やっぱり完璧な柄合わせ。

 

私はヴィンテージとか骨董とか古物とか、大好きです。

大好きだからこそ、そういった文化を繋げていきたい。

古い物は数が少ないから高く売れる、という考え方よりも…

「古い物の方が使う相手のことを考えて手間をかけたモノが多い」という意味で感動することが多いから。

例えば…

羽織裏になぜデフォルメされたモンキーが乱れ飛ぶ柄を作ったのか?

もしかしたら申年生まれの人が誰かにプレゼントされたのかもしれない。

もしかしたら時代的に「南方」に仕事で派遣された人だったのかもしれない。

なぜ長襦袢に髑髏を描かねばならなかったのだろう?

大正から昭和初期といえば、第一次世界大戦が終わって次の対戦に向かう時期。

もしかしたら旦那や子供を軍に取られた母親の長襦袢だったのかもしれない。

そういった暗い時代を風刺した下着を身につけることでウケを狙った花魁がいたのかもしれない。

そんな時代に想いを馳せて、日々モノづくりをして次の世代に引き継いでいきたい。

Learn from Old,Craft New Things,Take Over to Next.

と新しいブランドネームに謳いました。

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋げる。

ファッションやスタイルを通して、文化を繋げていきましょう。

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