師走ギリギリの酒丸でございます。
今年最後の「大きな骨董市」に行ってきた。
そうしたら…とんでもない逸品を発見!

何と歌川国芳画の「相馬の古内裏」を発見!
もちろん版画だし、
当時のものでは無いにしても複数枚数が過去に何度も作られてきたアイテムではある。
が、しかし、私がこの版画を骨董市で見つけたのは25年前の1回だけ、
つまり今までにたったの2回しか見たことがないのだ。
当然1回目に見つけた時も購入(その後、その絵を元に太田美術館に問い合わせて版権など法律的な問題が無いことを確認し、シャツやシルバーバングルを企画生産していった)、2回目の今回もゲット。
そして1回目の絵と比べてみた。
色彩が全く違う!
今回手に入れた絵の方が、断然「絵として美しい」!
一応、ドライボーンズ東京店にて販売しております。
1月後半には、私の友人で昔からこの絵を探している人がいるので、
声を掛けようと思っております。
もし購入希望の方がいましたら、お早めに東京店まで。
そして各直営店での取り寄せも可能です。
そして前回は…
『このように、第二次世界大戦前までは「背中で男の職業や遊び具合がわかるくらいに」アウターデザインが細分化されていった。
また、学生たちの間ではもっとシンプルに、首や袖、裾からの冷たい空気の侵入を防ぐようなウール素材のアウターとして、こういったスポーツジャケットが一般的になっていった。

そして更に、こういったジャケットの胸や腕にクラブのシニールやナンバーを貼り付けたジャケットが、アワードジャケット、和製英語で「スタジャン」となっていったのある。
ああ、この続きが面白いんでもうちょっと書きたいなぁ。
来週か再来週、どこかのタイミングでこの続きを書きたいと思います!
乞うご期待!』
なんて文章で、最後を締めくくった。
なので年末の本日は続きを急遽、書いてみようと思う。
さて、では前回からの続き。
1950年代になると、スポーツジャケットを取り巻く環境の方が大きく変わり始めた。
1920年代にWASPの学生から派生してきたスポーツジャケット、
当時はほんの一部の人達だけの特権階級のアイテムだった。
その後、1930年代に背面の切り替えがアクションプリーツ等に変化していき、
1940年代にはそういった造形が第二次世界大戦でも有効利用されていった。
そして戦後の1950年代を迎える。
学生たちの間では首や袖口・裾からの冷たい空気の侵入を防ぐウール素材のアウターとしてシニールジャケットやアワードジャケットが流行、
日本でもそのデザインを輸入したVANの影響で、
スタジャンという名前で流行していった。
また、戦争が終わって兵役から戻ってきた若者が爆発的に増えた。
そういった人達は若い年齢も多く、
家族や家庭がある者なら職も復帰しやすかったりしたのだが…
「そうではない、ちょっとヤサグレちゃった若者達」も、多く存在していた。
そういった若者達を熱中させた遊び、それは「スピード」だった。
第二次世界大戦で活躍したのは、いうまでもなく空中戦。
つまり戦闘機に乗った若者達だったのだ。
スピードに取り憑かれてしまい、
尚且つ帰国後に社会の受け皿から溢れてしまった若者が熱中したモノ、
それがバイクや自動車だったのだ。
バイクにハマっていった人達は、
映画「THE WILD ONE(乱暴者)」で見る事が出来る。

トライアンフやインディアン、ハーレーに乗って疾走し、徒党を組んで暴力を振るう。
それが後にヘルズ・エンジェルスへと繋がっていく。

一方、自動車にハマっていった若者達は…
やはり金を持っていなかったので、
1950年代当時「中古で安く買える1920~30年代のポンコツ自動車」を手に入れ、
改造して速く走らせる事に熱中し始めた。

そんな1シーンを切り取った写真。
自動車はフォードのモデルTをはじめとした戦前の大衆車、
それを改造してスピードに酔い痴れ、
さらに改造を重ねて公道レースを行ったりした。
ボンネットを一旦切り落として窓を小さくして軽量化したり、
ボディの一部を外して軽量化したり、
エンジンの出力を上げたり、大排気量に載せ替えたり。
そういった改造は「ホットロッド」と呼ばれ、
1950年代当時の若者を中心に大流行していった。
ちなみにホットロッドという言葉は…
「熱いロードスター」が訛った言葉とか、
「熱いプッシュロッド」を省略してできた言葉とか言われている。
また、ロッドという言葉は、
隠語で「男性器」という意味もあり、
「男を熱くさせるモノ」みたいな意味合いもあるのだ。
そしてそのように改造された自動車は…スピードも出るので、寒い。
外やガレージでの作業も寒い。
よって「着丈が長いスポーツジャケット」が、若者中心に流行し始めていった。
ここで、オイラの「着丈の長いスポーツジャケットコレクション」を、
ちょっとだけ見せびらかしてみる。

胸にV字の切り替えがついたメルトンのロング丈ジャケット。
カフス部分がウエスタンカットになっているのも、当時の不良っぽくてかっこいい。

ボーダーのスパニッシュカラーが特徴的な、真っ赤なロング丈ジャケット。
ラグランスリーヴに白黒ツートーンのパイピングが目立ってお洒落。

オフホワイトに大きなチェック、
襟ボアやハンドウォームポケットまで付いた完全防寒仕様のジャケット。
こんな感じで…
ホットロッドに夢中になった若者達が着ていた「着丈の長いウールのスポーツジャケット」は、
いつからか「カー・コート」「カー・ジャケット」と呼ばれるようになっのだ。
それが一躍有名になった映画がある。
それがこれ。

そう、アメリカングラフィティ!
映画の中の登場人物であるジョンは、
黄色いデュース・クーペに乗っており、
あれこそ正に「ホットロッド!」と言われる自動車。
この映画の設定は…時は1962年、場所はカリフォルニア州モデスト。
1962年で高校生のジョン(留年してる設定だけど)が車に乗っている。
と言う事は18歳だったとしても1944年生まれ、つまり第二次世界大戦中。
と言う事は、
モデストという田舎町(オイラも行った事がある)は戦争を経験した父親が、
子供にまで不良文化を繋いでいった街なのだ、ということもわかる。
また、この映画の中には
「社会の受け皿からあふれまくって徒党を組んでしまった良くない集団」も登場する。
主人公のカートに、難癖をつけ始める「良くない集団」=ファラオズ。

彼等「ファラオズ」がお揃いで着ていたジャケットこそ、
後年の日本で「ファラオ・ジャケット」「ファラオ・コート」と呼ばれるようになった「カー・コート」の一つなのだ。
なので、正確に言えば「ファラオ団が着ていた着丈の長いスポーツジャケット」=「ファラオ・コート」なので、
背中に「PHARAOHS(ファラオズ)」と入っていなければ、
ファラオ・コートではない、と思っている。

1950年代から脈々と受け継がれてきた「改造自動車で楽しむ不良文化」を表現するジャケットこそ、
カー・コートだと言えるのだと思う。
ドライボーンズとしても、実はほぼ毎年カーコートは作っていて…
今年はちょっと趣向を凝らした感じにしてみた(毎年作っているので、一般的なデザインだと飽きてきちゃうので:汗)
今年は、ツイードのナイスな生地がデッドストックで中途半端な長さで発見できたので…
クレイジーパターンのカーコートを作ってみた。

5色の色違いツイードを使って、クレイジーなホットロッドを作りそうな感じ。
そしてもう1つは、大きなチェックを使ってのカーコート。

大き目なチェックは、アメリカではチェックとは言わず「プレイド」という。
先ほどヴィンテージでアップした襟ボア付きのモノをイメージ。
チャコール地とブラウン地なので合わせ易く、単品でも存在感あり。
ホットロッドの本場カリフォルニアならば、
白無地のTシャツの上から羽織るだけで存在感あり。
色味に合わせたシニールやパッチでデコってもカッコいい。
今年のドライボーンズのカーコートは、この2種。
残りわずか、お早目に。
そうそう、先日店で若いお客様から…
この襟元に付いているタブは何のために付いているんですか?という質問を受けたので、ここで改めて説明。

このタブは…下に居るジッパーが降りてこないようにするためのパーツ。
下記の説明文を見て貰えば分かりやすい。

ジッパーとは、ご覧の様に様々なロック機能がある。
今の主流であり、
ドライボーンズオリジナル引き手のジッパーはAのオートマチックロック。
ところが、1950年代頃まではオートマチックロックジッパーは高級品で、
スポーツジャケット等の廉価なアイテムにはピンロックやノッチロックが主流だった。
中にはノンロックジッパーを使っている安物も存在。
スポーツジャケットと言う名の「大きな動きが求められるジャケット」には、
チープなジッパーなら本来不向きなのだ。
だから、ジッパーが降りてこない様に、
また、降りてきても上着としての機能を失わない様に、
襟元にタブで留められるようにしていたと考えられる。
1950年代の洋服メーカーの、ささやかな知恵だったのだ。
ちなみにドライボーンズのオートマチックロックジッパーなら、
勝手に降りてきてしまうことはない。

しかもボタンは当時と同様、尿素ボタン。
そして4つ穴ボタンをしっかりとクロス掛け。
当時物っぽく見せつつ、現時点で出来る最高クオリティをご提供しております。
今年も1年間、本当にありがとうございました。
来年もたくさんの「面白いアイテム」や「ドキドキする製品」を用意して、年始から皆様のご来店をお待ちしております。
あ、そうそう、書き忘れてました。
実は来年2019年は、ドライボーンズが学芸大学駅に1号店を開店させてから30年。

このハガキは、1989年当時の開店記念に友人や顧客さんに送ったもの。
当時はまだオリジナルは作っておらず、ヴィンテージや家具・雑貨の店だった。
名前もドライボーンズではなく、ラズルダズルだったし。
それから早、30年。
あっという間の、30年。
せっかくの30周年なので、
年始から色んな事をイベント的に仕掛けていこうと思っております。
まずは第1弾!

ドライボーンズ直営店としては初の試み!
昔からの遊び仲間だった川村カオリが興したロイヤルプッシーを、
ドライボーンズ大阪店でのみ展開します(他の店舗は諸事情により扱えないので)!
現在ロイヤルプッシーのプレスとしても八面六臂の活躍をしている美和ロック嬢(じょう、と打ち込んだら最初に「錠」が出てきてウケる)も、
不定期に大阪店店頭に姿を表す予定!
ドライボーンズ責任編集の雑誌「バンドワゴン」では「中綴じっぽい(エロい)ページ」で艶やかな肢体を毎回披露してくれている彼女、
バンドワゴン持参でサインをねだるも良し(良いのか?)!
記念すべき30周年、これから決まり次第ドンドン告知していきます!
お楽しみに!