古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その24

 7月も後半に突入。

前回のブログで「今年は例年に比べ、季節の移り変わりが早い。」と書いた。

そして「この調子だと例年なら『海の日前後』の梅雨明けも、7月上旬にズレそう。」とも書いた。

結果として大正解、関東地方の梅雨明けは観測史上最速の6月29日!

そりゃあ、いつもはうだるような暑さの8月が前倒しで7月後半に来ちゃうよね。

 

 

と言う訳で、今回は夏の季語とも言える「浴衣」について。

ドライボーンズで浴衣を作り始めたのは、もうかれこれ十数年前の話。

ドライボーンズ大阪店に、飛び込みで営業に来た大手素材メーカーさんとの繋がりが最初だった。

1反のミニマムでオリジナルが作れる、

インクジェットなので版代が発生しない、

新素材なので自宅での洗濯が可能、

等々の営業トークだった。

それまでも和装的なものに興味を持ってはいたが、

いざやろうと思うとゼロから生産背景を開拓しなくちゃいけないので

躊躇していた部分があった。

でもその営業トークの面白さに乗って「じゃあやってみたい!」と思った。

 

本来の浴衣とはもちろん綿素材が圧倒的に多く、高級品だと麻素材。

私自身和装も好きで、ずいぶん前に麻で浴衣を誂えたことがあった。

グレーベージュ地にレインボウカラーのネップ糸が縦横無尽に走っている、

まるでフィフティーズの生地かと間違えてしまうような麻素材。

生地に惚れて浴衣を作ってみたのは良いが、恐ろしく高額になってしまった。

しかも年に数回、夏場に着るだけなのに…

着る度にクリーニングに出さなきゃいけない素材。

貴重な素材なので洗濯は手洗いなのだが、着丈が長いので自宅では無理。

直射日光だと麻は退色してしまうので当然、干すところさえない。

毎回数千円のクリーニング代を払っていた。

 

ところが、ドライボーンズで使う新素材は「セオアルファ」という大手素材メーカーが開発した新素材、自宅で丸洗い出来るという。

しかも、私が描いた柄で!

 

これは面白いと一所懸命に柄を描いて配置し、量産にこぎつけた。

あれから数十年。

途中何度かのブランクはあったけれど、

おそらく十数柄を世の中に提案してきたと思う。

 

そこで今年の新作をご紹介。

今年は初めて「パネルプリント」を製作

パネルプリントとは「服の特定箇所にだけ任意の柄が差し込まれる配置」のことを言う。

今回は裾周りにドクロが踊っている図を入れてみた。

名付けて「浴衣 髑髏の舞」

まずは海松茶(みるちゃ)。

海松茶とは、江戸時代に広く愛用された黄緑色が褐色化したような渋い茶色。

全体的に紬(つむぎ)のような見え方をするプリントも配置。

 

そしてもう一色は、鉄紺(てつこん)。

鉄紺とは平安時代から日本にあった伝統的な色で、わずかに緑がかった紺色のことを言う。

本来、藍で染めた紺は若干紫色が入る。

鉄紺は紫色ではなく若干緑がかった暗い紺色のことを指し、

江戸時代では最も多く庶民が着ていた色。

裾周りのアップ。

この柄は私が長年コレクションしてきた髑髏着物の中から元ネタをいただいたもの。

その着物を取材していただいたのが、現在書店で売られているクラッチマガジン。

どちらの色も、江戸時代に庶民に愛された普遍的な色。

裾周りにだけ入る髑髏はシャレが効いていて、気づかないと見えない。

更に、下前にあたる部分には「行灯」がぼやっと描かれており、裾が翻らないと見えない仕組み。

これぞ和装の粋

 

 

そして今年は初めて、男物の角帯にも挑戦。

今まで作ってみたかったアイテムの一つであったが、なかなか難しかった。

今回初めて大手素材メーカーさんも乗ってくれたので、トライ。

なんとリバーシブルで、超お買い得。

名付けて「角帯 石垣と蜘蛛の巣」。

表はぱっと見「博多献上帯」に見える転写プリント。

博多献上帯とはその名の通り、

幕府への献上品として有名になった博多の地場産業のひとつ。

本来はシルクで、1本4~5万円、高級品だと10万円以上する。

上下の柄には「独鈷」と「華皿」という意匠が入り、

子孫繁栄・家内安全を意味している。

そしてリバーシブルの裏面。

この柄は、歌舞伎役者「尾上菊五郎」が愛用したと言われる「菊五郎縞」をアレンジ。

尾上菊五郎とは歌舞伎役者。

江戸時代中期には鶴屋南北と組んで「四谷怪談」等多くの怪談劇を完成させた名優。

現代も七代目が襲名されている。

この人の有名な柄が、

「片仮名のキ」と「漢字の呂」を描きつつ四本の筋と5本の筋が入った縞模様。

4+5で9、つまり「く」と読ませ、

「キ」「く」「5」「呂」で菊五郎縞という判じ絵のような意匠柄を流行らせた。

その後は「キ」と「呂」さえ入っていれば何でも菊五郎縞としてウケたため、

膨大な量の亜種が作られていった。

これが私の所有する「菊五郎縞」の石垣&蜘蛛の巣バージョン。

元ネタは大正時代の襦袢。

 

 

日本は明治後半から大正時代、昭和初期にかけて「非常に不安定な時代」を過ごした。

日清・日露と続く大きな戦争があり、関東大震災や大恐慌を経験。

官憲の取り締まりが厳しくなっていく中、満州事変から二・二六事件、太平洋戦争へと繋がっていく。

政府が決めた無茶な外交や無能な采配に、庶民が振り回されていったのだ。

その不安感が、着るものの柄にも落とし込まれていく

髑髏や骸骨、妖怪や地獄が描かれた。

また、逆に蜘蛛の巣などの「(幸福を)捕える」縁起柄や、石垣など「堅牢な土台」をイメージする柄も増えた。

この明治後半~昭和初期とは、西暦でいうと1900~1940年年代。

アメリカで言えば狂騒の20年代を中心とした太平洋戦争突入までの時代。

 

 

平成の世の中になって、911や311をはじめとしたテロや大災害など不穏な事柄が多い。

服で世相を反映させつつ、「着る」を「切る」と洒落てみてはいかが?

「不安を切る」ことを、ファッションで表現できるブランドは数少ないと思うぞ。

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その23

 六月も後半。

今年は例年に比べ、季節の移り変わりが早い。

思い返せば…桜の開花がいつもより早かったので、花見を一週間ほど前倒しした。

その後、藤棚を観に行くつもりが例年より早く散ってしまってタイミングが合わず。

菖蒲を見に行こうと思ったらもう咲きすぎていて…

紫陽花が各地域で咲き誇っている。

例年よりも、一週間から二週間くらい、季節の移り変わりが早い。

この調子だと例年なら「海の日前後」の梅雨明けも、

七月上旬にズレそう(というか、早く夏になってほしい)。

ということは、今月が梅雨の真っ盛り。

私は梅雨時期に、一番映画を数多く観ている。

今年の六月も、早10本以上の録画を捌いた。

そんな速度で映画を消化するので、必然的に企画としての業務も映画ネタが増えてくる。

なので今回の「古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋げる」は、映画について

 

 

 まずはこのポスターをご紹介!

「世紀の謎 空飛ぶ円盤地球を襲撃す」

アメリカ公開時(1956年)のタイトルは「EARTH vs. FLYING SAUCERS」、

1950年代を代表するB級のSF映画。

このポスターデザインはその後、

数多くのデザイナーやイラストレイターによってアップデートされ、

21世紀の今でもカルト的な人気がある。

なのでドライボーンズとしても、是非乗っかっておきたいということで…

コットン素材のボーリングシャツで登場させてみた。

ボーリングシャツなので、正統派として2トーン、ピンボタン使用。

オープンカラーシャツのディテールも、美しく。

バックは1950年代末期から流行し始めた、フロッキープリント。

コットン素材と相まって、ガンガン洗濯機で水洗いできる

起毛のプリントが若干剥げてきたくらいで、ほぼヴィンテージに見えてくるはず。

宇宙人も喜んでくれるに違いない。

 

 

そしてお次は、かの名作から。

皆さんご存知、ゴッドファーザー。

 

ただし今回はちょっと趣向を凝らして…

敢えて一番好きな「パート2」から抜粋してみた。

ゴッドファーザー パート2は、主人公であるドン・ヴィトー・コルリオーネの若かりし頃を描いた作品。

第1作目ではマーロン・ブランドがドン・ヴィトー・コルリオーネ役を演じたが…

第2作目ではヤング・ヴィトーとしてロバート・デ・ニーロが演じる。

時は1917年。

シシリア島から移民としてニューヨークに渡ってきたヤング・ヴィトーは結婚して食品雑貨店で働いていたが、

地元のヤクザであるファヌッチ一味に職を奪われてしまう。

その後、ファヌッチを亡き者にしたヤング・ヴィトーは地元の有力者としてのし上がっていく。

地元でブイブイ言わせ始めた頃、

厄介事を持ち込んできた男と床屋の前で交渉するシーンがある。

その床屋のウィンドウ右下には、こんなマークが貼り出されており…。

ブラックアイ スペシャリスト

当時の床屋は医療機関の代替えみたいな側面も持っており、

喧嘩などで目が充血したりしてしまった人に対してのケアなども、行っていた。

なので、その当時の人の制服っぽく製作。

プリントTシャツ「ブラックアイ・スペシャリスト」

アップ。

秘密結社のマークみたいで、格好いい。

ずっと作ってみたかったデザインの一つ。

 

 更に、ドン・ヴィトー・コルリオーネの三男マイケルが、紆余曲折の結果ゴッドファーザーの後を継ぐきっかけとなった事件。

海軍の英雄であったマイケルは、家族のために汚職警官と対立組織のボスを暗殺する。

その暗殺現場は、

「外部から人が出入りできるトイレがあるレストラン」としてイタリア人が多く利用していた、

ルイズレストランだった。

オレンジとピンクのネオン管が、妖しい。

そこのお土産物、というていで製作。

プリントTシャツ「ルイズ」。

デザインのアップ。

更にアップ。

わざと周りをぼかして、ネオンサインの光のように見せてみた。

是非イタリアンレストランに行く時に着ていってほしい。

 

 そして1914年のヤング・ヴィトーの話に戻る。

食品雑貨店で働くスタイルのデ・ニーロが、恐ろしく格好いい。

とあるお客様からの進言もあり、このジャケットを製作中。

デッドストックの生地なので、生産数わずか。

早めの予約をお勧めしておきます。

 

 さて、最後に紹介するのは映画ではなく、ドラマ。

アメリカでは1980年代頃から、映画監督がテレビドラマにも進出。

当時一世を風靡したデヴィッドリンチ監督の「ツイン・ピークス」も、そのひとつ。

個人的には、登場人物の一人シェリーの大ファン。

そしてそのシェリーが働いている店が、ダブル・アール・ダイナー。

その店の公式ユニフォームがあったら、という設定で製作。

ボーリングシャツ「ダブル・アール・ダイナー」

刺繍のアップ。

フロント。

襟部分のアップ。

こちらは1950年代マニアのデヴィッド・リンチに敬意を表して、レーヨン素材

襟にはボーリングマンも刺繍。

背刺繍はチェーンステッチで看板をそのまま模写。

なんと、アメリカ人のツインピークスマニアが色違いで通販してくれた。

世界のツインピークスファンは、みんな繋がっている。

無意識の世界に行けば、この「レッドルーム」で会えそうな気がする。

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その22

 五月も後半になり、暑くなる日が増えてきた。

今年も相変わらず「大正時代を意識したハワイアンシャツ」を作ったので、今日は改めてその時代背景と柄の説明をしてみようと思う。

 

 まずは大正という時代をざっくりおさらい。

大正時代とは1912年から1926年までの約14年間。

非常に短いが激動の時代だった。

江戸幕府から大政奉還、明治新政府が樹立したのは1860年代末期。

つまり大正時代が始まるほんの50年ほど前。

その明治時代に開国し、日清・日露戦争を経験。

大正時代に入ってからすぐに第一次世界大戦に参戦。

関東大震災が起こって大正時代が終わり、昭和へ。

昭和に入ってすぐに満州事変、太平洋戦争へと流れていく。

戦争に次ぐ戦争、そして天変地異と激動の時代なのだ。

 

 この時代をよく知る為には、当時の資料を読み返してみるのも重要。

私は「大正時代を意識したハワイアンシャツ」を、もう十年近く続けているが…

最初に当時のことを勉強するために読み込んだのがコレ。

滑稽新聞。

宮武外骨という当時のジャーナリストが出版していたいわゆる「週刊誌」的なもの。

この内容が、反政府・反官僚であるにもかかわらずエロ・グロ満載でかなり面白い。

こういった当時のリアルな空気感を勉強することで、商品に文化的な厚みを出したかったのだ。

 

 この時代のファッションは「モボ・モガ」に代表されるように、和装から一気に西洋化した。

この写真、戦前の自動車と相まって、かなりかっこいい。

モボ・モガの時代とはいえ、女性は着物と洋装が半々くらいだったらしい。

男性はというと…

やはり着物と洋装が半々くらい。

しかも洋装といってもジャケット・スラックス。

山高帽とロイドメガネが象徴とされてはいたが、履物は下駄や草履がメイン。

ハワイアンシャツなんて、まだまだ未来の話。

 

 

 では当時のペット状況を見てみよう。

江戸時代から犬や猫は自宅で家族同然に飼われていた。

また「食の西洋化」もあり、一時的にウサギがペットとして大流行したこともあったそうな。

そして1900年ごろ、世界的に流行した事がこれ。

テレビ番組の「逃走中」などでも出てくる、怪しいマスク。

これは実はペストを防ぐマスクとして開発され、ヨーロッパで大流行したアイテム。

ペストの原因は…

そう、ネズミ。

そして大正時代は「ネズミ駆除」の名目でネコの飼育が奨励され、爆発的に「ペットのネコ」が増えたのだった。

 

 そういった流行は、たちまち「モボ・モガ」の流行にも落とし込まれていく。

半分しか洋装しなかった女性達。

残り半分は和装なのだが、「柄に洋装の流行」が落とし込まれ、ネコ柄の襦袢などが多く作られた。

こうして「大正時代のネコ柄着物生地」を手に入れた私は、さっそくそれを1950年代調のハワイアンシャツに落とし込んでみた。

それがこのハワイアンシャツ“CAT”

仔猫がネズミを捉えて遊んでいるの図。

接写。

グリーン地には黒猫と白猫、

ブラック地には白猫と茶猫、

ホワイト地には黒猫と茶猫。

みんな、ネズミを追いかけている。

そしてこれが、大正時代の着物生地(子供用ねんねこ)。

赤地はいかにも子供っぽかったので作ることを避けた。

この写真では黒猫しかいないように見えるのだが…

上部の黒猫の隣に、ぼやっとアルファベットの「Y」みたいな柄が見える。

この生地を発見した時には気づかなかったのだが、どうやらこれは「首輪」のよう。

なので虫メガネでよーくよーく観察してみると…

「白猫の首輪」だと判明。

最初に赤でシルクを染め、その上から黒と白の「顔料」でプリントしていたのだ。

それがこの約100年の歳月で白の顔料だけが剥がれ落ちてしまい、痕跡だけが残ったのだった。

ある意味では、奇跡の発見からの「仔猫柄ハワイアンシャツ」誕生となった。

ちなみに長袖バージョンはこちら

 

 

 その次には、明治から大正にかけての激動について。

明治27年(1894年)、日本が清に宣戦布告し、日清戦争が勃発。

明治37年(1904年)、日本がロシアに宣戦布告し、日露戦争勃発。

大正3年(1914年)、オーストリアがセルビアに宣戦布告。第一次世界大戦勃発。

同じ年の8月に日本がドイツに宣戦布告、第一次世界大戦に参戦。

この第一次世界大戦は…実は今までの戦争とは全く違うものになった。

産業革命後初のヨーロッパを主戦場とした大規模な戦争で、武器や重火器が飛躍的に進化したのだ。

戦車や飛行船という、全く新しい殺戮兵器の登場により数百万人が犠牲になっていった。

そして大正9年(1920年)、株価の暴落により戦後恐慌が始まり…

大正12年(1923年)、関東大震災。

昭和3年(1928年)張作霖爆破事件。

昭和4年(1929年)ニューヨーク株の大暴落による世界大恐慌。

昭和6年(1931年)満州事変勃発。

昭和11年(1936年)2・26事件。

昭和12年(1937年)盧溝橋事件。

昭和14年(1939年)ドイツがポーランドに進撃、第二次世界大戦勃発。

昭和16年(1941年)日本軍がハワイ真珠湾を攻撃、太平洋戦争勃発。

約半世紀の間に、一気に日本が、世界が戦争と災害に飲み込まれていった。

そんな世相を写し取るかのように、洋装の陰に隠れた和装用生地にも「不安感」が柄に反映してくる。

この50年間に、日本の着物に多くの「ドクロ」や「地獄」「妖怪」が描かれるようになっていったのだ。

 

 そんな柄の一つを、今年も制作。

題してハワイアンシャツ“一休説法”

柄のアップ。

室町時代の僧侶である「一休」は毎年正月になると…

杖の先にドクロを括り付け「人は死ねばみんなドクロになる。ご用心ご用心。」と練り歩いたという。

そういった退廃的な「言い伝え」を、大正時代の人たちは羽織の裏や長襦袢など「着物を着た時に見えなくなる部分」に付け、魔除けとしたのだ。

これが本物の、大正時代の布。

まだ着物に縫製される前の、シルクの羽二重。

杖やドクロ、経文や三度笠も柄に落とし込まれた。

一休が描かれていなくとも、当時の人は一休の教えだと理解したのだ。

ちなみに長袖バージョンはこちら

 

 

 

 

 

 ミサイル攻撃によるアラートや官僚の横暴など、世相が大正時代に似てきている今の日本。

護身用にドクロを身につけるべき、と発想するのはむしろ自然な流れなのかも。

 

 

 

 そしてここで一大発表が!

6/3日曜日に、名古屋店は13周年を迎えて「振舞い酒イベント」を開催

が、その日は忙しく行かれないという方のために…

今週末から名古屋店店内に置いて「酒丸のドクロ柄着物コレクション展示即売」を開催!

私の大正~昭和初期のドクロ柄着物コレクションを、まとめて見られるビッグイベント!

この週末は名古屋店に急げ!!

 

尚、このイベントは7~8月にかけて福岡店・大阪店にも移動します!

お楽しみに!

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その21

4月13日の金曜日。

毎年3回ほどあると言われる「13日の金曜日」に、酒丸ブログとなった。

なんだかちょっとラッキー❤️

13日の金曜日は、欧米では「イエス・キリストが殺害された日だから不吉」という迷信がある。

これ、実はその後1400年代に作られた陰謀だと言われており。

なぜならば…

本当は「13日の金曜日」に殺されたのは、別の人物だから。

その人物とは、テンプル騎士団総長のジャック・ド・モレー。

当時のフランス国王フィリップ4世とカソリック総本山から裏切られ、処刑されたのが1307年10月13日の金曜日。

この事実を覆い隠すための「イエス・キリストが殺害された」というデマを流した。

これ以上詳しい事は…

ドライボーンズ責任編集「バンドワゴン」の、Vol.12で執筆しております。

そっちを読んでくださいまし。

 

 

さて、毎月恒例の「古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ」話

今月はドライボーンズのヘビーユーザーが大好きな、フィフティーズなシャツの話。

 

1950年代は、第二次世界大戦が終わってアメリカが空前の好景気に沸いた時代

戦地に出向いていた帰還兵もたくさん戻ってきて、それなりに戦時手当も支給され、国民の多くが豊かさを享受した。

また、産業革命後の機械化により就業時間の短縮も可能になり、余暇という概念が生まれた。

それまで一部の特権階級しか楽しめなかった「スポーツで汗を流す」「リゾートで遊ぶ」という余暇の過ごし方が、一般家庭にまで浸透していった時代

 

よって当時のアメリカアパレル産業も、そういった時代背景に合わせて「大量のスポーツウェア」を生産、販売していった。

ちなみに1955年のシアーズローバックのワンカットを紹介。

ミントグリーンやピンクなど発色の良い生地をブラックで切り替えしている。

こういう切り替えデザインの多様さが、当時のスポーツウェアの真骨頂。

イタリアンカラーでプルオーバー、しかもピンク&ブラック。

ポイントなのは、モデルとして描かれている人はみんな大人の白人

素材はヴィスコースレーヨンと表記されている。

ラヴェンダーにブラックの、縦ストライプで切り替え。

その下のイラストは、やはりピンクとミントグリーンにブラックの切り替え。

当時、スポーツやリゾートを楽しむ時はこういった「切り替えが多用されたレーヨン素材のシャツ」を着こなす事が、嗜みだった。

 

次に紹介するのは、私が現物として持っているヴィンテージ50sシャツたち。

レモンイエロー地に、見返しと襟裏だけライトグレーで切り替え。

 

濃いグリーンのレーヨンギャバディーンを、U字型に身頃を切り替えたプルオーバー。

 

これは身頃を大胆にV字型に切り替えたプルオーバー。

 

更に…

ポケットを身頃とは違う4色もの色を使って切り替えにしたプルオーバー。

ポケットと同色の刺繍が、襟に入っているところにも注目。

 

 

そして王道のピンク&ブラック。

しかもピンク地には絣糸を使った高級品。

 

これもピンク&ブラックながら、ポケット以外に前立てパーツも切り替え。

しかもその前立てパーツには刺繍を入れるという手の込みよう。

 

そして私のお気に入り!

グレー地のピンクの切り替え、通称グレピン!

しかもポケットパーツに、更にもう一回り小さいインポケット!

500円玉くらいしか入らない、無駄デザインの極致!

(今回撮影したヴィンテージシャツは、ドライボーンズ東京店にて販売予定
チョット時間が無くてまだ店頭出し出来ていないけれど、近々行いますので店頭にてチェックを。
全て1点物なので、売り切れごめんでございます)

 

 この様に1940年代後期から1950年代にかけて、スポーツウェアと言う名目で様々な切り替えが施されたシャツが大人向けに大量に企画生産されていった。

 

ここに注目したのが、当時のティーンエイジャーだった。

エルヴィスがデビュー後、様々な切り替えシャツをスポーツシーンだけではなく「ロックンロールという音楽」に結びつけて着用する様になったのだ!

 

そんな時代背景を考慮しつつ、満を持しての登場「V字ポケット切り替えオープンシャツ」!

胸のポケットをV字に切り替えつつ、前身頃とその他の色を切り替えたフィフティーズ独特なロックンロールシャツ!

襟先を敢えて「小丸」にして、1950年代後期をイメージ。

素材はオリジナルレーヨンブロード、春から秋までスリーシーズン対応、

もちろんステージ衣装などでも活躍!

配色は当時大流行したピンク&ブラックと、クールなホワイト&ブラック!
もう本社に在庫がほとんどないほどスピーディに動いております。

ゴールデンウィーク突入前にサイズ欠け・色欠けになりそうなので、お早めに。

 

 

そして!

ゴールデンウィークの1週間前から始まる、恒例のガラガラポン!

アレが欲しい、コレが欲しい等あるとは思いますが…

ご存知の様にゴールデンウィークとは「連休が連なる時」でもあります。

ここ数年の運送業界の問題から、後半には商品が補給しづらい状況になる可能性も充分に考えられます!
是非お早めに!難しい様ならば「予約」や「取り置き」をお願いいたします!
ちなみにもう「福引補助券」は毎日発行中!

時間がある人は、今日にでも動きましょう!

そして更にフィフティーズ好きな人向けに…

これからも続々と納品予定!

お楽しみに(こっそり)

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その20

三月。

酒丸でございます。

啓蟄を過ぎ、三寒四温な日々。

そして暖かかった先週末、私は大阪に出張。

一番の目的は盟友ケニーが営むマッドトイズ20周年イベント。

珍しく昼間は時間があったので、

以前から行ってみたかった「大阪民俗学博物館」へ行ってきた。

予備知識無く行ったのだが…

その博物館は万博の跡地に建設されていた。

駅を降りて博物館に行く途中、初めて見た「太陽の塔」に感激!!

物凄い迫力!

岡本太郎、天才!

そして本命の民俗学博物館へ。

いや~、ここ、凄い…。

博物館の中は地域ごとに区分けされ、

アメリカ大陸~ヨーロッパ~オセアニアという感じで各地域の「民俗学」を観ていく。

圧倒的な物量、ここの学芸員の人たち、変態(もちろん、良い意味で)

ワタクシ、途中の東南アジア辺り(全体の7割くらい)で休憩を入れないと立ち上がれなくなってしまうくらい、へばってしまった。

この博物館、オススメ。

できる事なら、ここに住みたい。と本気で思ってしまった。

 

個人的にお気に入りをちょっとだけ「チラ見せ」。

アフリカ北部の、呪詛の道具。

手のひらに万物の目…。

 

そして日本の神社に奉納された…

絵馬。

目。しかもナンバー13…。

 

 

 

さて。

本日は最近店頭で人気の「ブラックスーツ」を紹介。

私がこのスーツを作りたかったのは…

もちろん冠婚葬祭に着ていけるようなブラックスーツが欲しいという声に応えた部分もあるのだが…

ブラックスーツが持つポテンシャルを広げてみたいなと思った事が一番の理由。

その根底にあるのは、実はこの映画。

そう、みんな大好き「レザボア・ドッグス」

この映画はクエンティン・タランティーノの監督デビュー作品。

公開の1992年当時「心臓の悪い方は鑑賞を控えてください」と警告が出たほど、

残酷な暴力描写が話題になった映画。

けれど、個人的にはそれほど暴力シーンは気にならなかった。

というよりも、他の部分があまりに優れていたから消されてしまったんだと思う。

その優れている部分とは、キャスティングであり挿入音楽であり演出であり。

そして何より「低予算」でもこれだけ面白い映画が作れるんだと思わせたところだろう。

そしてその低予算を裏付けるシーンが、コチラ。

ストーリーはネタバレになるので書かないでおくが、

いわゆる「大人の不良の勘繰り合い」。

その大人の不良たちが集まって、宝石店強盗を働く事が話の主軸になってくるのだ。

その強盗に行く時、全員がブラックスーツに着替えていくのである!

ところが、ブラックスーツに着替える前はそれぞれが私服なのだが…

1980~90年代のカリフォルニアン・カジュアルなので、恐ろしくダサい。

これ、全て低予算ならではの「全員ガチの私服」らしい。

一番右の「ナイスガイ・エディ・キャボット」役のクリス・ペン、ナイロンのランニングジャージ。

ダサい。死ぬほどダサい。

ところが、ブラックスーツになった途端かっこいいのである。

 

同様に左端の「ミスター・ブルー」役のエドワード・バンカー(本物の不良)。

ブラックスーツに白無地ワイドスプレッドシャツとブラックタイ。

カッコイイ。

 

中央の「ミスター・ピンク」という役名に成り下がっているスティーヴ・ブシェミ(ミスター・ボードウォークエンパイア)ですら、ブラックスーツでカッコイイ。

ホワイトボタンダウンシャツにブラックタイが極まってる。

 

この映画の演出の一環なのだと思うが…

80年代末期のカリフォルニアの大人の不良は、ほとんど全員私服が死ぬほどダサい。

ところが、宝石強盗という「一世一代の仕事」をヤる際には「一張羅のブラックスーツ」で全員が心を一つにして成功させる、的な背景がある中で、裏切り者が出る。

このギャップが音楽センスなどにも影響しあって、スタイリッシュに魅せるのである。

 

 

ならば…という事で、ドライボーンズ謹製ブラックスーツのご紹介。

ブラックのウーステッド素材、ジャケット・ベスト・トラウザーズの三つ揃え。

まずはジャケット。

外見は極めて普通の、3つボタン上2つ掛けナチュラルショルダーノッチドラペル。

これは裏側をボディに着せてみた写真。

内ポケットはお台場仕立てで、しかもオールパイピング始末。

更にコームポケットやカードポケットが付き、脇当てもつく。

袖口には本開きの重ね3つボタン、つまり丁寧な手仕事。

そしてトラウザーズ。

これも外見は極めて普通の、ノータックテーパードトラウザーズ。

内側は…

「カラス天狗」と呼ばれる特殊な持ち出しと打ち合わせ。

ベルト裏にはストライプスレーキを使ったラッセル付きマーベルト。

隠れたところの色使いが、オシャレ。

ベストの写真。

3つボタンジャケットを上に着た時に、わずかにVゾーンに覗くボタン位置。

6つボタンなので、一番下のボタンは是非外すように(大人の身だしなみ)。

 

映画「レザボア・ドッグス」では全員がブラックスーツにブラックタイ

なので当然、ドライボーンズでも取り扱っております。

無地のように見えて実は細かい畝(うね)が入っており、シルク100%。

畝に出る光沢が、美しい

こういった「小技」が、スタイリッシュに見えるコツ。

個人的には…

ブラックスーツにはこんな小紋柄が似合う。

大人の夜遊びに、お供させたい柄。

 

他にも今はネクタイが大充実!

こちらのページで吟味されたし。

 

そしてこんなアクセサリーも。

大ぶりなラインストーンカフス

本開きのジャケットの袖からチラリとのぞくエロティックなカフスが不良っぽさを演出。

更には…

朗報の今週入荷、カラーバー。

なんと3型2色、計6パターンから選べる(ネットショップへのアップは、もう少しお待ちを)

いまどき、カラーバーを6パターンも置いてるメンズショップはそうそうない

 

 

そしてここからがドライボーンズの底力。

ブラックスーツに合わせるインナーの豊富さでは、他の追従を許さない。

 

例えばこんなリバティプリント

葬式帰りでも、このシャツに着替えればすぐに街に繰り出せる。そしてモテモテ

 

例えば襟が切り返し

オープンカラーなので、是非襟をジャケットの上に出して欲しい

ブラックの上着に鮮やかなグリーンが映える筈。

 

そして王道のロカビリー。

ヒョウ柄

しかも大ぶりのイタリアンカラーなので、ジャケットの襟が隠れるくらい。

ミュージシャンっぽく見える

 

個人的には…

ホワイト無地のオープンカラーシャツがかっこいい。

第二ボタンまで開けてタンクトップがチラ見すれば、昭和30年代のヤクザ映画みたいだ。

ブラックスーツのポテンシャル、是非ご堪能を。

 

 

 

大阪出張のこぼれ話。

民俗学博物館の物量に翻弄され、帰り道はもうクッタクタ。

足元だけを見つめながら駅へと向かった。

そうしたら…足元にも発見。

砂型で作った「太陽の塔」柄マンホール

恐るべし、万博記念公園。

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その19

約ひと月のご無沙汰、酒丸の「古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ」ブログです。

 

つい先週から、ドライボーンズの代官山の店でヴィンテージウエアを並べるようにしてみました。

実は数年前からやろうやろうと思っていたんですが、ストックルームが片付かず(汗)

とりあえずやっと数十点を並べてみました。

今後、減ってくるたびに少しづつ補充していく予定。

お楽しみに。

 

そして今回のブログは、そんなヴィンテージも大いに関係してくる「ウエスタンファッション」について語ってみようかと。

前回のビーバーハットとも関係してくる、長い長い歴史物語をお楽しみください(長文警報)。

 

 

 皆さんは「ウエスタン」と聞いてどんな感じを想像する?

概ね、こんな感じだと思う。

 

 私は二十代の頃にアメリカに行ってヴィンテージを仕入れ、日本で売るという商売をしていた。

その頃は1980~2000年代末期。

私自身1950年代が大好きだったので、必然的に仕入れるヴィンテージもこの年代のものが多かった。

そしてドライボーンズというブランドを興してからも、主に1950年代のアイテムを中心に「新しきを作って」きた訳だ。

例えばレーヨン素材のウエスタン・ギャバディーン・ジャケット

 

例えば派手な装飾が入ったウエスタンシャツ

 

例えば1950年代に大流行したテレビドラマの影響で作られたウエスタンシューズ

 

例えば1950年代のロックシーンを作った有名ミュージシャンが嵌めていた様なリング

 

 

 そして。

こういった文化を自分に植え付けて行ったのはなんだろう?と考えてみた。

もちろん、1980年代のアメリカ仕入れが一番大きいんだけど…

実はもっと根底に別のものがあることに気づいた。

それは、幼い頃に見た「西部劇」という数々の映画。

昔、午後2時頃から東京12チャンネルで流していた、アメリカ映画の再放送。

「アラモ」「昼下がりの決闘」「明日に向かって撃て」「砂漠の流れ者」「荒野のストレンジャー」エトセトラ、エトセトラ。

どこまでを「西部劇」という括りにしたらいいかわからないが、とにかく小さい頃からたくさん見ていた記憶がある。

そういったことが、自分でヴィンテージを仕入れに行く事にも影響していたような気がした。

日本を出発して一番西側にあるのは、アメリカ西海岸。

 

ところが。

ところが、である。

2013年から「1ドル紙幣に隠された秘密」というタイトルのブログを書くようになってから、「ウエスタン」や「西部劇」にもなんだか「違和感」のようなものを覚え始めていた。

つまり「陰謀」めいた感じを受け始めてきたのだ。

最初にアップした「皆がウエスタンっぽいとイメージする画像」とは…

白人が自分たちを美化している「西部開拓史の中のカウボーイという文化」なだけではないだろうか?と。

 

 そこで、ここ数年改めて「カウボーイ」ではなく、「西部開拓史としてのウエスタン」を勉強してきた。

 

 なので改めてここで勉強の成果の一部(ほんの触りだけ)を書き記しておこうと思う。

先月のブログ「古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その18」でも書いたように、ヨーロッパ人のコロンブスがアメリカ新大陸を見つけた事から「アメリカの文化」はスタートしている。

まぁ本当は、それ以前の数万年前から先住民であるアメリカンインディアンはその地で生活してきたんだけど。

それはともかくとして。

そのヨーロッパ人のアメリカ大陸開拓(というか占領)を、年代別に地図でわかりやすく見てみよう。

 

まずは独立宣言直後のアメリカ(前回ブログのビーバーハットの頃から100年後くらい)。

独立宣言は1776年、この地図は1789年当時。

まだ東側に13の州しかない(これが「LUCKY13」の由来だったりもする)。

それよりも西に注目。

今でいうミシガン州やイリノイ州の辺りは「Unorganaized territory」と書かれている。

これは「まだ組織化されていない地域」ということ。

その脇はスペインの植民地であるルイジアナ、西海岸はスペインの総督が統治する地域、とある。

その上の、今でいうオレゴン州の辺りは「Unclaimed territory」、つまり「持ち主不明の地域」。

 

そして約100年後の1845年。

東海岸に到達した人たちは、資源や食料を求めてどんどん西へ進んでいった。

その結果、多くの州が出来てきた。

それでもまだまだ「Unorganaized territory(組織化されていない地域)」は広い。

この縦に広いUnorganaized territoryプラステキサス州の事を「西部」というのだ。

テキサス州から上に順番に、オクラホマ、カンザス、ネブラスカ、サウスダコタ、ノースダコタ。

そしてこれらの州より西には、巨大なロッキー山脈。

この6つの州辺りの先住民を蹴散らしやっつけ、自分たちのモノにし、さらに後から来た者達と争奪戦を繰り返した歴史の事を「西部開拓史」というのだ。

 

その頃のリアルな写真。

これらを見れば一目瞭然。

先ほど出てきた綺麗なウエスタンジャケットや派手なウエスタンシャツなんて、一切出てこない。

つまり、テレビが普及し始めた1950年代からの一方的な文化(陰謀)とも言える。

それはそれでカッコイイんだけど。

 

 そういった背景を理解した上で、このところ「西部開拓史時代のウエスタンファッション」も、提案してみている。

先ほどのモノクロ写真の中の「OK牧場の決闘」の中のワンシーンでも使われているリボンタイ

 

馬に乗って荒野を進む際に必要だった、撥水加工された立ち襟のロングコート

 

 

強烈な日差しを遮るのに必要だった、東海岸生まれの素材ビ-バーハット

 

そして何より、17~19世紀の西部開拓史に残る人たちは、みんなベストを含めたクロージングスタイルスーツ)。

 

 

そしてこの春、コットン素材でもクロージングスタイルを展開予定。

その生地がこれ。

先に出来上がってきたキャスケット(ネットショップ掲載は、しばしお待ちを)。

ウォバッシュ素材

もうすぐジャケットやトラウザースも入荷予定。

デッドストック生地のため、生産量が少ないのでお早めに。

 

 

 そして更にもうひとつ。

自分の中では「異端のウエスタン物語」という位置にあるのが、このドラマ。

そう、ツイン・ピークス。

この町の保安官であるハリー・トルーマンは真面目な西部の田舎者

その演出としての衣装は、バリバリのフィフティーズ(この写真でも、ネップのウールハーフコート)。

そしてこのドラマの登場人物の一人である「ビッグ・エド」は、正装時にいつもループタイ(個人的に、このエドの役回りが好き)。

なので最近、ループタイも作っており。

 

 アメリカという国は、この「西部開拓史」なくして語れない。

ここに奴隷制度や南北戦争、ゴールドラッシュやロックンロール誕生などが影響してくるからだ。

 

 なのでまだまだ研究を続ける所存。

面白そうなアイテムが発見されたら、随時作っていくつもり。

 

 

 西部開拓史の資料を漁っていたら…

こんなカッコイイ女性を発見。

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その18

 大変遅くなりましたが…

あけましておめでとうございます。

2018年最初の、酒丸ブログです。

 

皆さん、年始はどうしてますか?

当方の会社の近所では、もう紅梅が咲き始めており。

例年よりちょっと早い。

今年は意外と、春が来るのが早い予感。

 

そしてそんな初春をイメージさせるような、

素晴らしい逸品が入荷したのでご案内をば。

本日紹介する商品は…企画から何年もかかってやっと完成したモノ。

思い入れも歴史的背景も、ものすごく深い。

なので今日は、長い長い歴史物語をお楽しみください(長文注意報)

 

 

 

 まずはこの地図を見てもらいたい。

北アメリカ大陸。

中央の赤いマークは、言わずと知れたワシントンD.C.。

その近辺は、いわゆるアメリカ東海岸。

1493年にコロンブスがアメリカ大陸を発見して以降、多くのヨーロッパ人が入植した地域。

地図の右端には入植してきたイギリスが辛うじて入り込んでる。

そのすぐ下にはコロンブスの故郷(正確には違うんだけど)である、

スペインやポルトガル。

当時最強の船団を持っていた大航海時代の覇者、スペインとポルトガル。

そして地図上の左側にはアメリカ西海岸ロサンゼルスがあり、

そこをずっと左に行くと日本があり中国がある。

まずはこの「地理的な距離感」を覚えてから、次の物語を読み始めてくださいまし。

 

 

 

 

 コロンブスの新大陸発見から約200年後の17世紀、

このワシントンD.C.があった辺りのポトマック川周辺には、

アメリカンネイティヴ(いわゆるインディアン)が生活していた。

ここに住んでいた部族はセナコモコという国を作っていた。

その中の大酋長の一人が、ポウハタン。

ポウハタンは数十の村を統括し、約14,000人もの住民を束ねていた。

そしてそのポウハタンの娘には、かの有名なポカホンタスもいた。

(ちなみにこの絵は、映画「ポカホンタス」の原型となった物語で、史実とは違う)

 

 一方この頃、

このポトマック川が注ぐチェサピーク湾にイギリスから入植してきたのは、

ジョン・スミス。

このジョン・スミスという人物は…

諸説あるが「非常に胡散臭くてずる賢い貿易商人」であった。

そんな人物がイギリス本国の巨大商社である「ヴァージニア社」に、

植民地視察の提督として雇われ入植した。

この地の名前であり本国本社の名前がついたこの商品が売り出されるのは、

それから400年以上後の話。

 

 彼らヴァージニア社の一団はイギリス本国の女王からの命令を受け、

このチェサピーク湾を入り、

ヨーク川を越えてポトマック川周辺に駐留。

ここに基地を作り、次の航海を目指そうと考えていた。

次の航海とは、ズバリ「中国」。

 

実はアメリカ大陸には数年前に「史上最強の海賊」として名を馳せた、

イギリスのサー・フランシス・ドレイクが立ち寄っていた。

そしてヴァージニア社とイギリス女王は、

ドレイクから直接「ある儲け話」を聞いていた。

チェサピーク湾に入ってポトマック川を遡り、

4日から10日もあれば反対側の海である太平洋に出られる。

そこから中国大陸まではもうすぐだ」と。

この地図は、当時のドレイクが話した事をイメージとして描いた地図。

 

 イギリス女王は、中国との貿易を熱望していた。

当時、世界で一番裕福な国は他を圧倒して中国であり、

中国で生産された陶磁器や絹織物、香辛料さえ手に入れば莫大な利益が見込める。

そうすれば、この大航海時代にスペインの一人勝ちを終わらせ、

イギリスも植民地を持つことができると考えた。

そこでその貿易を行うよう女王から命令を受けたのが、ヴァージニア社だったのだ。

女王からの支援を受けたヴァージニア社は、

ジョン・スミスという無頼の貿易商人を使ってチェサピーク湾に入り、

ポトマック川を遡上して中国へ進出する計画を立てていたのだった。

 

 そして実際はどうなったのか。

皆さんが知っているジョン・スミスとポカホンタスのラブストーリーなんて、

起こらなかった。

なぜならば…

原住民とスミス一団は最初こそ表面上友好関係にあったが、

双方の騙し合いから略奪合戦になり、最終的には殺戮の大戦争になった。

ポカホンタスはジョン・スミスに拉致監禁されるも、

ポウハタンを裏切って情報をリーク、イギリスに連れて行かれる騒動にまで発展。

かくしてポウハタン率いる原住民側の大半は虐殺され、

残りの人たちもイギリスから持ち込まれたマラリアでほぼ全滅してしまった。

一方のジョン・スミス一団も…

原住民に家を焼かれ、出てきたところを殴り殺された。

残った者たちも原住民から食料がもらえなくなってしまったので餓死、

もしくはマラリアで衰弱死してしまった。

 

 それまで、アメリカ新大陸にはマラリアという病気そのものがなかった。

ところが、16世紀後半から急激に「謎の高熱」を出す入植者が相次ぎ、

それは蚊が媒介する伝染病だと判明するのに100年以上かかってしまった。

ヨーロッパのごく一部の湿地帯にだけ生息していた蚊の一部が、

マラリア原虫を持っていたのだ。

その蚊に刺された入植者が、

チェサピーク湾やポトマック川など湿地帯に基地を設けたことが原因だと言われている。

この辺りは当時、蚊が好みそうな広大な湿地帯だった。

それはなぜか?

実はアメリカ大陸固有のこの動物が、

川をせき止めてダムを作ることで広大な湿地を作っていたのだった。

アメリカビーバー。

このビーバーの大群がこの地域を繁殖地としており、

川や湾にダムを作って水を堰き止め、湿地帯に変えていたのだ。

 また…ドレイクの地図を信じたイギリス女王もいけなかった。

更には、そこに付け込んで大儲けしようとしたヴァージニア社も悪徳すぎた。

 

 結果としてジョン・スミス以降も次々と入植者を送り込んだヴァージニア社。

そして次々に死んでいった。

約15年の間に7,000人もの人を入植させ、

約9割である6,000人以上が伝染病や原住民との戦いで亡くなった。

ヴァージニア社は大損害。

早く中国との貿易を始めないと、女王の手前マズい。

そこでポトマック川を一気に遡上しようとした。

ところが…全く川を上がることができなかった。

なぜならば、ビーバーが川を堰き止めて巣を作っていたからだ。

怒ったヴァージニア社の一団は一帯に住んでいたビーバーの大半を虐殺、

大赤字に陥っていたこともあって

「皮や毛も売り物になるかもしれない」

と考えて船に積んだ(もちろん、肉は食料になった)。

 

どんどん川を遡上するも、全く中国に着かない。

というより、太平洋にすら出られない。

結果として、今でいうウエストヴァージニア州の森の中で川は終わっていた。

 ヴァージニア社はチェサピーク湾・ポトマック川・ヨーク川のほとりを開墾し、

タバコの葉を栽培し始め、

それがなんとか軌道に乗って商社としての体裁を保つことができた。

そしてそういった事柄からこの地域をヴァージニア州と名付け、

遡上したポトマック川上流をウエストヴァージニア州と名付けた。

また、ヴァージニア社がタバコ産業で回復する際の「原資」は、

実はポトマック川で大量虐殺したビーバーの原皮だと噂された。

 

 かくしてアメリカビーバーの原皮はイギリスに持ち込まれ、加工された。

その頃の時代は、もう19世紀の初めになっていた。

ビーバーの原皮は、外側の固い毛を刈り取ると内側の「ふわふわな内毛」が出てくる。

蒸気で圧力をかけるなどの工程を経る事によって縮絨が起こり、

最高級のフェルト地が出来る。

このフェルト地で出来た「紳士用ハット」は、

瞬く間に全ヨーロッパで大流行した。

その流行は少し遅れてアメリカ大陸にも上陸、

ロアリング・トゥエンティーズと言われた「狂騒の1920年代」に大流行、

その流行はハットを被らない初めての大統領であるケネディの時代まで続いた。

つまり、1920~1950年代末期まで続いたのである。

 

そのヴィンテージハットの流行が21世紀の今に復活。

仕掛け人の一人はこの人。

元々ヴィンテージに造詣が深い彼は、

街中を歩いていてたまたま

「ボロボロだけど、

素晴らしく格好良くて古いビーバーハットを被ったホームレス」に遭遇。

拝み倒してそのハットを譲り受けたらしい。

そのハットは1940年代のロイヤルステットソン。

今や帽子マニア憧れの逸品。

 

 ならばドライボーンズでトライしてみよう。

せっかくなのでジョン・スミスや海賊ドレイクに謂れのあるネーミングにしたい。

赤く丸をつけたヨーク・ポトマック・チェサピークにしよう。

 

先ずは一昨年からラインナップが始まったセルビアウールハット「ヨーク」が入荷。

 

そして年末にやっとスペインで素材を手配していたポトマックが、チェサピークが!

これが最高級ビーバーハットの「ポトマック」。

この色のみ、58と60の2サイズ展開。

 

こちらも最高級ビーバーハットの「チェサピーク」

この色のみ、58と60の2サイズ展開。

 

レザーのスベリにも、金文字で箔押し。

「BEAVER 100X」とはビーバーの内毛100%の最高品質、という意味。

その脇には「OUR SPECIAL CUSTOMER」と印字してみた。

「最高品質を解ってくれる、

ドライボーンズのスペシャルなお客様に向けて作っています」という意味。

 

そしてビーバーハットの2種類には、専用ボックスが付く。

ハットのトップはオープンクラウンの状態。

自分で形を整えてお好みの形状に。

 

 

 19世紀初めにヨーロッパで流行したハットの形は、実は山高帽と呼ばれる形。

今でこそ「シルクハット」という名前になっているが、

それはビーバーが絶滅しかけてしまったために

「中国からの輸入品」であるシルクで作り直したからだ。

その後イギリスはアメリカ大陸の北側に、

もっとたくさんのビーバーが生息している地域を発見。

いち早くその広大な地を植民地化し、

「アメリカ合衆国とは違う国家」として独立させた。

それがカナダの設立である。

カナダの国獣はビーバー。

 

 

当方のビーバーハット、実は2017年12月29日に納品された。

もう年の瀬も押し迫っていたのでネットショップ用の撮影もできず、

取り急ぎ各店舗に発送するだけして年始を迎えた。

この年末年始に

「最高品質を解ってくれるドライボーンズのスペシャルなお客様」が数人来店、

すでに各店舗でサイズ欠け・色欠けが始まっています。

お早目に。

 

信じるか信じないかは、あなた次第。

 

2018年度も、皆様の琴線を「スラッピン・ウッドベースのように震わせる」

品々を数多くラインナップしていく所存。

 

本年も宜しくお願い致します。

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その17

 

年内最後の、酒丸の出番となりました。

今年の冬は早くて寒い!

気がつけば12月7日には二十四節気のひとつ「大雪」を過ぎており。

が、アパレル業界の企画としては、もう夏本番。

夏物の仕込みに大わらわ。

 

 

さて。

今日の「古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ」は、

今までとはちょっと視点を変えて縫製側のことについてちょっと書いてみたい。

先日、2018年度の春物第1弾が縫製工場から上がってきた。

ちょっと早い完成ではあるが、

実は不安な部分もあってずっと気にしていたし、

期待の部分も大きくて待ちに待っていた。

なぜならば「全く新しい試み」だから。

ドライボーンズというブランドを始めて、早28年。

大抵のモノは作ってきたという自負を持ってる。

が、今回のモノは全く初めて。

それで期待と不安が入り混じった、ドキドキした気持ちになっていたのだ。

 

それがこれ!

美しく刺繍が施された、ウエスタンシャツ。

白地はこんな感じ。

ピンク地はこれ。

ちなみに元ネタは、このヴィンテージ。

「ドライボーンズはこんな感じのウエスタンシャツ、

過去にもたくさん作ってきたじゃーん!」という声が聞こえてきそう。

そう、確かに今までこんな感じのシャツはたくさん作ってきた。

でも、今回のモノは縫製が全く違うのだ。

 

 基本的にシャツの縫製は、直線縫いが多い。

というより、ほとんどの箇所が直線縫い。

ある1箇所を除いては。

その1箇所とは…アームホール。

この写真の右端に、赤い線で描いてみた。

 

このアームホールの縫製だけは、

円…というより『山なり』に裁断したパーツを縫い合わせねばならず、

縫製職人の腕の見せ所。

 

この部分だけはパートの人にはやらせず、工場長が担当する場合も多い。

それだけ責任重大だし、難しい箇所。

 

ドライボーンズのシャツは、

オープン系のシャツならばこの部分はダブルの環縫い。

ボタンダウンやその他のドレッシーなシャツならば、

12ミリ幅のシングル折り伏せ縫いを採用。

かなり高度なテクニックを必要とする縫製で、

シャツ工場さんに頑張ってもらっているのだ。

 

この部分がなぜ難しいのか?というと…

それは「生地とは斜め方向が伸びるから」という理由に尽きる。

(もうひとつは裏側から縫わねばならないため、目視できない)

基本的に布帛生地は縦や横方向には伸びない。

ところが、斜め方向(いわゆるバイアス)には伸びる性質を持っている。

アームホールの縫製は…

「横方向の裁断から始まり、

斜めにカーヴしながら登って頂上で縦方向になり、

また斜めに下って横方向の裁断で終わる」

袖というパーツを、身頃に縫い付ける作業なのだ。

 

カーヴをキープしながら縫うだけでも大変なのに、

途中で2回もバイアス部分が出てくる。

つまり、上手にミシンの調子を見ながら斜めが変に伸びないように注意しつつ、

綺麗に頂上を出して縫い始めと縫い終わりをバッチリ合わせる、

という非常に難しいミッションの連続なのだ。

 

故に、ドライボーンズの通常のシャツは、

袖山(さっきの赤い部分の麓から頂上まで)の高さは、

だいたい12センチくらいまで。

(本音を言うと)ダッサい安物のシャツは、この袖山が10センチ未満の場合がある。

ところが、今回のウエスタンシャツは、この袖山が15センチ近くあるのだ。

15センチもあると、当然バイヤス部分も長くなるし頂上が狭くなってしまう。

よって「巻き縫い」や「折り伏せ縫い」は不可能。

 

 私はこのヴィンテージが「なぜ1950年代にこんな作り方をしているのか?」を考えた。

このシャツは、

一般的なウエスタンシャツ(つまり牧場で作業用に着るワークシャツ)ではなく、

パレード用。

つまり「綺麗に着るべきシャツ」であった。

 

また、パレード用ウエスタンシャツということは…当然、馬に乗っている。

よって、姿勢は腕は手綱を持ちながら自然体で下に降りている感じ。

この姿勢をキープするためのアームホールになっていなければならない。

ということは、一体何に近いのか?

それこそ、皆さんもご存知「背広のアームホール」と、ほとんど同じなのだ。

つまり、このパレード用ウエスタンシャツは

「ジャケットと同じアームホールの縫製仕様で作られたシャツ」

のだ!

 

シャツとジャケットでは、工賃が3倍以上違う。

ただし、比較的厚手の生地も縫えるし、アームホール以外の部分にカーヴも付けられる(ジャケット縫製工場は、比較的カーヴを得意とするところが多い:それは生地が厚くなってミシンに抵抗がかかり伸び止めになるという理由もある)。

 

なので、今回初めて「ジャケット工場と同じクオリティでシャツを縫う」ということをしてみた。

だから、様々な箇所にカーヴを使用してみた。

例えば後ろヨークの縫い合わせ。

しかも、パイピング付き。

そしてカフス部分には恐るべき急カーヴを描くパーツが。

更に、胸の切り替えもカーヴだし、ポケットも弓形にカーヴ(しかも両玉縁取り)。

常識的に考えて、これはシャツ工場の仕事ではない。

もう「衣装」のレベル。

こんな衣装レベルの縫製を、1950年代は大量生産していたのだ。

恐るべし、1950年代。

 

細かなことを言えば、袖の作り方も独特。

普通、筒状になっている袖の縫い合わせ部分は脇の下に来るのだが…

このシャツは後ろの二枚袖用のハギ部分が合わせになっている(一枚なのに)。

さらのその部分を裏返してみると…

なんと「割縫い」!!

更にその割ってある部分をコバステッチで折りにしているのだ!!!

 

刺繍も凄い。

この白と黒の糸を使った唐草模様の刺繍、実はチェーンステッチ。

もちろんヴィンテージもチェーンステッチ。

 

ところがヴィンテージのチェーンステッチ部分に使われている糸は「染め分け糸」だった。

つまり、ひとつの巻きの糸が2色に染め分けられているのだ。

一気にチェーンステッチで刺繍しても途中で色が次々に変わるから、

立体感が出る。

 

ところが、21世紀の日本にはそんな糸は存在していない。

もし作るとなれば、10,000メートルくらい作らなきゃいけない。

そこでうちの刺繍工場さんが、頑張ってくれた。

なんと、2色の染め分け糸を使って刺繍しているように見せるために、

1色縫っては糸を切って色替えをし、

また次の色を縫っては糸を切って糸替えをし…を繰り返し、

当時のヴィンテージと同じような立体感を出したのである!

 

このアームホールの件やカーヴの縫い、

更にはチェーンステッチの染め分け糸など、

やはりヴィンテージから学ぶことは多い。

 

そしてそれを叩き台に、

改めて商品化して世の中に出していくという行為に、

意義を感じている。

 

 この年末、早くも続々と春物も入荷中。

皆様のご来店を、お待ちしております!

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その16

 立冬を過ぎて初めての、酒丸です。

ご無沙汰。

今年は例年よりも「立冬」らしい11月になってきましたね。

いつもより2週間以上早く「寒い!」と感じる日が早く来ました。

はやくもウールや中綿の重装類がサイズ欠けを始めています。

そしてやっと今期のアウターの最終便が入荷。

なので今日のブログはそのアウターの歴史を、ご紹介。

そのアウターとは、これ。

ドライボーンズとして初の企画となった、B-15A。

なぜ「初の企画」なのか?というと…

実はフライトジャケットの中で、私が一番好きな形だから。

一番好きな形なので、一番納得出来るように作りたかった。

ほとんどのフライトジャケットの「祖」と言えるデザインだから、ちゃんと作りたかったのだ。

フライトジャケットと呼ばれる形はたくさんあるけれど…

おそらく一番人気なのはこれ。

ご存知、MA-1。

1986年公開の映画「トップガン」の影響でミリタリーファッションが流行した際、一番売れたデザインなので記憶している人も多いかと。

実際には1953年頃から製造され、1970年代後半まで微修正を繰り返しながら続いた。

ちなみにこれは私物のヴィンテージ。

そしてこのMA-1の元のデザインになったモノが、これ。

B-15D MOD.と呼ばれるジャケット。

ぱっと見はMA-1とほとんど変わらない。

写真を見比べてもらえばわかるが、大きな違いはジッパーのムシのデザインやラベルが白い事くらい。

ジッパーは名門クラウンジッパー。

ラベルが白いのは、B-15Dという品番のジャケットを改造してますよ、という意味の刻印がされているから。

ちなみに、B-15Dが生産されたのも1953年。

このようにモデファイされたのは、1965~67年頃ではないか?と言われている。

この頃のアメリカはベトナム戦争に本格的に参入し始めた頃。

おそらく兵の増強に伴う既存フライトジャケットの改造、というような意味合いがあったのだろう。

ちなみにこれも私物のヴィンテージ。

そしてそのB-15Dの前には…

このB-15Cというジャケットがあった。

このジャケットの製造は1951~52年頃。

つまり、朝鮮戦争の時だ。

この後の1953年、北朝鮮と韓国は休戦協定を結ぶが、韓国内にはアメリカ軍が駐留し続けた。

その駐留軍に1954年に慰問に訪れたのがマリリン・モンローで、その際は「慰問の際の即興的な衣装として」このB-15Cを羽織っている。

ちなみにこれも私物のヴィンテージ。

そのB-15Cの前には当然…

B-15Bという品番が存在する。

このB-15Bは、実はフライトジャケットとして歴史的な転換となったジャケット。

なぜならばそれまでコットンやレザー素材だったアウターシェルに、初めて「ナイロン」という素材を纏った品番なのだ。

これは、戦闘機がそれまでのプロペラ機からジェット機に進化したことが大きい。

速度や高度が大幅に変化したために、パイロットの装備も大幅に変更することが求められたのだ。

ちなみにこれも私物のヴィンテージ。

そしてそのB-15Bの前には当然、B-15Aという品番のジャケットがあった。

これが今回のドライボーンズの新作の元ネタとなった、本物のB-15A。

前出したように、コットン素材最後のフライトジャケットである。

このジャケットが製造されたのは1944~45年。

つまり第二次世界大戦末期に作られたわけだ。

この戦争で、戦闘機も大幅に進化したのだが、それはプロペラ機からジェット機に変わっただけではなかった。

コックピット周りの装備も大幅に変更したのだ。

酸素ボンベが付き、そのボンベから伸びるホースがあり。

更には基地からの交信を行えるような無線も装備され、その無線機からヘルメットに伸びるコードもあった。

そういった細かな操縦席の変更をジャケットで受け止められるように、ホースを固定するための三角形のレザータブがついた。

また、通信用ケーブルをまとめるためのスナップボタン付きタブも、装備された。

更にジェット機内コックピットがより小さくなったために、肘を曲げた状態での操縦を余儀なくされた。

そのため…

裏地であるボアの、肘の内側にあたる部分はホームベース型に削ぎ落とされ、すべりの良い裏地がつくようになったのだ。

ものすごい手間である。

このように、第二次世界大戦から朝鮮戦争を経てベトナム戦争に至るまでのアメリカ軍の進化は、そのままフライトジャケットにも踏襲されているのだ。

ちなみにこれも私物のヴィンテージ。

そんな歴史背景を認識しつつ、ドライボーンズとしては「フライトジャケットっぽいデザインの平和的利用」という名目で毎回フライトジャケットコレクションを増やしていった。

今季はB-15Aが元ネタの、このジャケット!

この写真だと分かりづらいかもしれないので、ぜひ店頭で現物を見て欲しい。

襟ボアは本物のムートンを使用。

例年より一足早くやってくる冬将軍にも対応。

が、ジッパー押さえのテープや袖のペンシルポケットは敢えて淡い色を配置し、2トーンにしてみた。

三角形のレザータブや、スナップボタン付きタブもきっちり再現。

そして「私、脱いだらすごいんです」的な、妖艶な裏地!

鮮やかなレオパード柄は保温性抜群!

しかもヴィンテージに忠実に、袖の肘内側のボアは削って裏地を配置。

妖艶なのにちゃんとしてる。

理想的。

このジャケット、先週入荷。

が、11月最初の3連休でいきなりバババッと売れちゃった。

欲しい方は、急ぎましょう。マジで。

そして更に朗報!

半年間の沈黙を破り、ついにバンドワゴンVol.13が出版!

記念すべき「13号」なので、表紙のデザインも一部変えてみた。

嘘くさい報道ばかりが目立つ今のマス・メディアに対抗すべく、コア・メディア(本当の、事実の、みたいな意味合いがある)と名乗ってみた。

真実の情報は、この雑誌の中に。

ではまた来月!

古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その15

 十月、神無月に入りました。酒丸です。

もう今年も残すところ後3ヶ月。

早い。

 実は先月、新しいマシーンを購入してしまいました!

ツーストロークの軽快な音を奏でる、コイツ!

草刈機!

排気量21ccの、軽量かつ仕事早い系の頼もしいマシーン。

どれだけ仕事ができるかというと…

ここ、実家の物置裏。

ひと夏を終えて、ほぼ密林状態。

それが…

こんなに綺麗に!(驚)

こんなに仕事ができるヤツなら、もっと早くに購入していればよかった…。

というわけで、草刈機は重要です。

御用命はコチラ!

佐々木商会まで(詳しくはバンドワゴン51ページをチェック)!

 

 

さて。

そんな身内の紹介はここまでにしておいて…(汗)

今日はドライボーンズ「こだわりのシャツ」をご紹介。

ドライボーンズは、実は1年間で一番多く作っているのがシャツ。

そんな中で、特に最近オイラのお気に入りヘビーローテーションになっているのがこの形。

ボタンダウン シャンブレーワークシャツ「オーウェン」。

まあ、いわゆるシャンブレー素材のワークテイストを残しつつ、ボタンダウンにしてみたもの。

ネーミングで使われている「オーウェン」とは、人の名前。

これは誰の事なのかというと、この人。

英国出身の俳優、チャーリー・コックス演じる「オーウェン・スレイター」。

禁酒法時代のアトランティックシティを舞台にしたアメリカの連続ドラマ「ボードウォーク・エンパイア」で、ナッキーの用心棒として登場。

ファニーフェイスながらやる事が残忍で、物語の中でもかなり好きな登場人物の一人。

そのオーウェンが、いつも着ていたのがボタンダウンタイプのワークシャツだった。

オーウェンは表向きはナッキーの運転手だが、実は用心棒。

アイルランドから渡ってきた革命戦士でもある。

あくまで表向きは運転手として小綺麗な格好(ノーフォークジャケットにボタンダウンシャツ、そしてタイドアップ)をしてはいるものの、実はかなりエグい汚れ仕事(殺人や暗殺=ワークシャツにハンティングジャケット)も請け負う移民として登場。

ここでもマーティン・スコセッシの「衣装で配役の性格付けをする」抜群のセンスが、光っているのだ。

そしてこのシャツ、1920年代の禁酒法時代に実在していたもの。

シャンブレー素材にナットボタン、そして大きなチンストラップ付き。

当時はハードワークながら小綺麗さを求められた職業の人に、人気があったデザインらしい(このヴィンテージシャツは、U.S.メール(アメリカ郵便公社)のユニフォーム。

なので当時のものを忠実に再現。

ブルーシャンブレーには、生成り色のナットボタンを使用。

ボタン色に合わせてステッチも生成り色に。

そしてネイビーシャンブレーには、金茶色のステッチに合わせてボタンもライトブラウンに。

もちろんどちらの色も、大ぶりなチンストラップ付き。

ドラマ「ボードウォークエンパイア」は、シーズン5を持ってエンディングを迎えた。

が、実はこのドラマには原作があって…

1800年代初頭から1970年代までの、実に150年間にも及ぶアトランティックスティの歴史が書かれている。

ドラマ化されたのは、そのうちの「違法行為がはびこった禁酒法時代の」1920年代のみ。

このドラマにハマった人は、原作必読。

ではまた。

1 2 3 4 22