二日連続でこんにちは。酒丸です。
先週、この社接で書いたライトニングの連載「傾奇物 その四十四:柄の由来」の続編を続けてみます。
(先週分はコチラ:「稲妻掲載。」)
先週書いた内容は「アメリカンフィフティーズ時代の、アメリカ人におけるカーテンへの考え方」であった。
要約すると...
当時の一般的なアメリカ人はカーテンの柄に「対外的欲求」を求めた、ということだ。
では、日本はどうか?
アメリカンフィフティーズとよく比較される日本の年代は、ズバリ「江戸元禄」時代。
17世紀終わり頃から18世紀初頭にかけて、元禄時代(1688~1707)を中心として、主に京都・大坂などの上方を中心に発展した文化である。
上方中心、ということは商人中心の文化であり、
それはとりもなおさず鎖国による「平和」だったことから商人が力を持ってきたのである。
その文化はやがて武士中心の江戸にも広まり、爆発的な普及をしてゆく。
松尾芭蕉、井原西鶴、近松門左衛門、尾形光琳、俵屋宗達、菱川師宣...etc.
◯◯の祖、といわれる人物はほとんどこの時代の出身だ。
この時代の国学推奨がのちの尊王攘夷運動に繋がり、倒幕・開国となっていくのである。
(これはアメリカが太平洋戦争に勝ち、朝鮮戦争への出陣を経て黄金期を迎え、ベトナム戦争や中東戦争で疲弊してゆくこととダブる)
連載でも書いたが、開国後でも日本人は着物をきていた。
ただ、幕府の締め付けがなくなったので個人が思い思いの「オーダーメイド」をし始めたのである。
大正から昭和にかけて、かなりの種類の髑髏柄着物が作られたのだ。
そこには、鎖国中だった平和な元禄時代とは違う、絶えず列強と張り合う緊張と不安の中から生まれたのであろう。
日清戦争、日英同盟、日露戦争...そして太平洋戦争。
私がコレクションしている着物を、それを復刻させたシャツと一緒に並べてみる。
まずは今月号のライトニングにも掲載されたモノ。
奥の羽織は古着。手前はシルクで作ったシャツ。

続いては、「野晒図」。手前はシルク、京友禅技法で作られたシャツ。

顔のアップ。
髑髏なのに眼球が描かれている所が意味深。

そして「大津絵髑髏図」。手前はヘリンボーン織のシルクシャツ。

柄のアップ。
大津絵とは、今の滋賀県大津で旅人に配られた絵のこと。
写真は登場人物のひとつ、「雷様」。

最後に「大首図」。古着は紛失中...。

アップ。
不気味に笑う、表情のない大首。

注:商品ページに飛べないものもありますが、在庫はあります。詳しくはお近くの直営店まで。
つまり、大正から昭和初期にかけての “髑髏柄” の流行は世間の不安の裏返し、とも言えるだろう。
やはり昭和初期の着物で、こんな柄もある。

拡大。

この笠をかぶって竹の棒の先に髑髏を付けた人は...一休和尚だと言われている。
このスタイルで諸行無常を説いて歩いたのであろう。
この着物に描いた者、着ていた者は、どんな想いだったのであろう?
イギリスが大不況に陥った1970年代。
パンクという思想(ファッション?)とともにSKULL柄は大流行。
平成の昨今。
日本でもドクロ柄は大流行。
小学生の女の子の、通学用のスエットシャツにも描かれていたり。
テレビ番組の雛壇芸人も海賊ドクロ柄のTシャツを着ていたり。
邦画では「オシオキだべぇ〜!」とドクロ柄の煙が上がったり。
全世界を巻き込んでの「経済戦争」真っただ中であった。
(髑髏なのか、SKULLなのか、ドクロなのか、の違いはあるけれど)
今月号のライトニング連載「傾奇物:その四十四 柄の由来」第2部の続編はこの辺で。
来週、第3部の続編を書きたいと思います。
