古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その18

 大変遅くなりましたが…

あけましておめでとうございます。

2018年最初の、酒丸ブログです。

 

皆さん、年始はどうしてますか?

当方の会社の近所では、もう紅梅が咲き始めており。

例年よりちょっと早い。

今年は意外と、春が来るのが早い予感。

 

そしてそんな初春をイメージさせるような、

素晴らしい逸品が入荷したのでご案内をば。

本日紹介する商品は…企画から何年もかかってやっと完成したモノ。

思い入れも歴史的背景も、ものすごく深い。

なので今日は、長い長い歴史物語をお楽しみください(長文注意報)

 

 

 

 まずはこの地図を見てもらいたい。

北アメリカ大陸。

中央の赤いマークは、言わずと知れたワシントンD.C.。

その近辺は、いわゆるアメリカ東海岸。

1493年にコロンブスがアメリカ大陸を発見して以降、多くのヨーロッパ人が入植した地域。

地図の右端には入植してきたイギリスが辛うじて入り込んでる。

そのすぐ下にはコロンブスの故郷(正確には違うんだけど)である、

スペインやポルトガル。

当時最強の船団を持っていた大航海時代の覇者、スペインとポルトガル。

そして地図上の左側にはアメリカ西海岸ロサンゼルスがあり、

そこをずっと左に行くと日本があり中国がある。

まずはこの「地理的な距離感」を覚えてから、次の物語を読み始めてくださいまし。

 

 

 

 

 コロンブスの新大陸発見から約200年後の17世紀、

このワシントンD.C.があった辺りのポトマック川周辺には、

アメリカンネイティヴ(いわゆるインディアン)が生活していた。

ここに住んでいた部族はセナコモコという国を作っていた。

その中の大酋長の一人が、ポウハタン。

ポウハタンは数十の村を統括し、約14,000人もの住民を束ねていた。

そしてそのポウハタンの娘には、かの有名なポカホンタスもいた。

(ちなみにこの絵は、映画「ポカホンタス」の原型となった物語で、史実とは違う)

 

 一方この頃、

このポトマック川が注ぐチェサピーク湾にイギリスから入植してきたのは、

ジョン・スミス。

このジョン・スミスという人物は…

諸説あるが「非常に胡散臭くてずる賢い貿易商人」であった。

そんな人物がイギリス本国の巨大商社である「ヴァージニア社」に、

植民地視察の提督として雇われ入植した。

この地の名前であり本国本社の名前がついたこの商品が売り出されるのは、

それから400年以上後の話。

 

 彼らヴァージニア社の一団はイギリス本国の女王からの命令を受け、

このチェサピーク湾を入り、

ヨーク川を越えてポトマック川周辺に駐留。

ここに基地を作り、次の航海を目指そうと考えていた。

次の航海とは、ズバリ「中国」。

 

実はアメリカ大陸には数年前に「史上最強の海賊」として名を馳せた、

イギリスのサー・フランシス・ドレイクが立ち寄っていた。

そしてヴァージニア社とイギリス女王は、

ドレイクから直接「ある儲け話」を聞いていた。

チェサピーク湾に入ってポトマック川を遡り、

4日から10日もあれば反対側の海である太平洋に出られる。

そこから中国大陸まではもうすぐだ」と。

この地図は、当時のドレイクが話した事をイメージとして描いた地図。

 

 イギリス女王は、中国との貿易を熱望していた。

当時、世界で一番裕福な国は他を圧倒して中国であり、

中国で生産された陶磁器や絹織物、香辛料さえ手に入れば莫大な利益が見込める。

そうすれば、この大航海時代にスペインの一人勝ちを終わらせ、

イギリスも植民地を持つことができると考えた。

そこでその貿易を行うよう女王から命令を受けたのが、ヴァージニア社だったのだ。

女王からの支援を受けたヴァージニア社は、

ジョン・スミスという無頼の貿易商人を使ってチェサピーク湾に入り、

ポトマック川を遡上して中国へ進出する計画を立てていたのだった。

 

 そして実際はどうなったのか。

皆さんが知っているジョン・スミスとポカホンタスのラブストーリーなんて、

起こらなかった。

なぜならば…

原住民とスミス一団は最初こそ表面上友好関係にあったが、

双方の騙し合いから略奪合戦になり、最終的には殺戮の大戦争になった。

ポカホンタスはジョン・スミスに拉致監禁されるも、

ポウハタンを裏切って情報をリーク、イギリスに連れて行かれる騒動にまで発展。

かくしてポウハタン率いる原住民側の大半は虐殺され、

残りの人たちもイギリスから持ち込まれたマラリアでほぼ全滅してしまった。

一方のジョン・スミス一団も…

原住民に家を焼かれ、出てきたところを殴り殺された。

残った者たちも原住民から食料がもらえなくなってしまったので餓死、

もしくはマラリアで衰弱死してしまった。

 

 それまで、アメリカ新大陸にはマラリアという病気そのものがなかった。

ところが、16世紀後半から急激に「謎の高熱」を出す入植者が相次ぎ、

それは蚊が媒介する伝染病だと判明するのに100年以上かかってしまった。

ヨーロッパのごく一部の湿地帯にだけ生息していた蚊の一部が、

マラリア原虫を持っていたのだ。

その蚊に刺された入植者が、

チェサピーク湾やポトマック川など湿地帯に基地を設けたことが原因だと言われている。

この辺りは当時、蚊が好みそうな広大な湿地帯だった。

それはなぜか?

実はアメリカ大陸固有のこの動物が、

川をせき止めてダムを作ることで広大な湿地を作っていたのだった。

アメリカビーバー。

このビーバーの大群がこの地域を繁殖地としており、

川や湾にダムを作って水を堰き止め、湿地帯に変えていたのだ。

 また…ドレイクの地図を信じたイギリス女王もいけなかった。

更には、そこに付け込んで大儲けしようとしたヴァージニア社も悪徳すぎた。

 

 結果としてジョン・スミス以降も次々と入植者を送り込んだヴァージニア社。

そして次々に死んでいった。

約15年の間に7,000人もの人を入植させ、

約9割である6,000人以上が伝染病や原住民との戦いで亡くなった。

ヴァージニア社は大損害。

早く中国との貿易を始めないと、女王の手前マズい。

そこでポトマック川を一気に遡上しようとした。

ところが…全く川を上がることができなかった。

なぜならば、ビーバーが川を堰き止めて巣を作っていたからだ。

怒ったヴァージニア社の一団は一帯に住んでいたビーバーの大半を虐殺、

大赤字に陥っていたこともあって

「皮や毛も売り物になるかもしれない」

と考えて船に積んだ(もちろん、肉は食料になった)。

 

どんどん川を遡上するも、全く中国に着かない。

というより、太平洋にすら出られない。

結果として、今でいうウエストヴァージニア州の森の中で川は終わっていた。

 ヴァージニア社はチェサピーク湾・ポトマック川・ヨーク川のほとりを開墾し、

タバコの葉を栽培し始め、

それがなんとか軌道に乗って商社としての体裁を保つことができた。

そしてそういった事柄からこの地域をヴァージニア州と名付け、

遡上したポトマック川上流をウエストヴァージニア州と名付けた。

また、ヴァージニア社がタバコ産業で回復する際の「原資」は、

実はポトマック川で大量虐殺したビーバーの原皮だと噂された。

 

 かくしてアメリカビーバーの原皮はイギリスに持ち込まれ、加工された。

その頃の時代は、もう19世紀の初めになっていた。

ビーバーの原皮は、外側の固い毛を刈り取ると内側の「ふわふわな内毛」が出てくる。

蒸気で圧力をかけるなどの工程を経る事によって縮絨が起こり、

最高級のフェルト地が出来る。

このフェルト地で出来た「紳士用ハット」は、

瞬く間に全ヨーロッパで大流行した。

その流行は少し遅れてアメリカ大陸にも上陸、

ロアリング・トゥエンティーズと言われた「狂騒の1920年代」に大流行、

その流行はハットを被らない初めての大統領であるケネディの時代まで続いた。

つまり、1920~1950年代末期まで続いたのである。

 

そのヴィンテージハットの流行が21世紀の今に復活。

仕掛け人の一人はこの人。

元々ヴィンテージに造詣が深い彼は、

街中を歩いていてたまたま

「ボロボロだけど、

素晴らしく格好良くて古いビーバーハットを被ったホームレス」に遭遇。

拝み倒してそのハットを譲り受けたらしい。

そのハットは1940年代のロイヤルステットソン。

今や帽子マニア憧れの逸品。

 

 ならばドライボーンズでトライしてみよう。

せっかくなのでジョン・スミスや海賊ドレイクに謂れのあるネーミングにしたい。

赤く丸をつけたヨーク・ポトマック・チェサピークにしよう。

 

先ずは一昨年からラインナップが始まったセルビアウールハット「ヨーク」が入荷。

 

そして年末にやっとスペインで素材を手配していたポトマックが、チェサピークが!

これが最高級ビーバーハットの「ポトマック」。

この色のみ、58と60の2サイズ展開。

 

こちらも最高級ビーバーハットの「チェサピーク」

この色のみ、58と60の2サイズ展開。

 

レザーのスベリにも、金文字で箔押し。

「BEAVER 100X」とはビーバーの内毛100%の最高品質、という意味。

その脇には「OUR SPECIAL CUSTOMER」と印字してみた。

「最高品質を解ってくれる、

ドライボーンズのスペシャルなお客様に向けて作っています」という意味。

 

そしてビーバーハットの2種類には、専用ボックスが付く。

ハットのトップはオープンクラウンの状態。

自分で形を整えてお好みの形状に。

 

 

 19世紀初めにヨーロッパで流行したハットの形は、実は山高帽と呼ばれる形。

今でこそ「シルクハット」という名前になっているが、

それはビーバーが絶滅しかけてしまったために

「中国からの輸入品」であるシルクで作り直したからだ。

その後イギリスはアメリカ大陸の北側に、

もっとたくさんのビーバーが生息している地域を発見。

いち早くその広大な地を植民地化し、

「アメリカ合衆国とは違う国家」として独立させた。

それがカナダの設立である。

カナダの国獣はビーバー。

 

 

当方のビーバーハット、実は2017年12月29日に納品された。

もう年の瀬も押し迫っていたのでネットショップ用の撮影もできず、

取り急ぎ各店舗に発送するだけして年始を迎えた。

この年末年始に

「最高品質を解ってくれるドライボーンズのスペシャルなお客様」が数人来店、

すでに各店舗でサイズ欠け・色欠けが始まっています。

お早目に。

 

信じるか信じないかは、あなた次第。

 

2018年度も、皆様の琴線を「スラッピン・ウッドベースのように震わせる」

品々を数多くラインナップしていく所存。

 

本年も宜しくお願い致します。

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