古きを訪ねて新しきを作り、次世代に繋ぐ。その29

師走の酒丸でございます。

忙しい…(汗)

 

が、世間はすっかりクリスマス

11月から12月にかけて、直営4店舗のメンバーとそれぞれ忘年会を行った。

そんな中、新人スタッフから商品の事で色々と質問を受けたので…

それについて、改めてこのブログ内でちゃんと説明しておこうと思う。

 

 

 今回は「スポーツジャケットの成り立ち」について。

 

この事を知るためには、

まず「アメリカ」という国の成り立ちについて理解する必要がある。

 

1492年、クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸(正確にはカリブ海のエスパニョーラ島だけど)を発見した事から、アメリカの歴史が始まる。

それまでのアメリカ大陸には、

氷河期時代に陸続きをなっていたアリューシャン列島を、

歩いて渡ってきたモンゴロイドを祖先とする先住民族が、

狩猟や放牧をしながら生活していた。

 

その後氷河期が終わり、

歩いて渡れなくなったアメリカ大陸は、

ヨーロッパや中国などの文明国から忘れ去られた存在になっていた。

 

 コロンブスがアメリカ大陸に上陸したのち、

大航海時代に入っていたヨーロッパの人たちが「我先に」とアメリカ大陸へ進出。

先住民族を駆逐(虐殺)しながら大陸を制覇していった。

 

スペインやポルトガルから遅れをとったイギリスは、

その後の巻き返しで「大英帝国」となり、

結果として北アメリカを植民地化。

一部のフランス人やドイツ人も誘って、

東海岸一帯を制覇し、アメリカ合衆国として独立。

この話にはヨーロッパで起こった「反カソリック、科学への信仰」なども絡んでくる。そういった「新しい考え」を持つ者達を統合させたのは、フリーメイソンやイルミナティなどの秘密結社だった。詳しくは酒丸責任編集の雑誌バンドワゴンの中の「1ドル紙幣に隠された秘密」にて)

これが1776年(1ドル紙幣の裏に書かれている1776とは、この年号)。

 

そしてその後、西へ西へと進出していくことになった。

最初に制覇した東海岸を13の州に分け、それぞれ州として独立。

基本的に州の長には、イギリス人やフランス人の「最初の入植者達&その子息達」が付いた。

彼らは最初からの入植者という事で、

高等な教育を与えられる権限を最初から持っており、

後にWASP(ワスプ/ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)と呼ばれるようになった。

 

そしてそのWASP達が学ぶべき高等教育の場こそ、

アイビーリーグと呼ばれるアメリカ8大学だった。

(アイビーリーグ8大学のうち、7つは1776年の独立よりも前に存在している)

ちなみにアイビーリーグの「アイビー」とは、「蔦(ツタ)」のこと。

ツタで校舎が覆い尽くされているほど古くからある伝統校、という意味なのだ

(初代の入植者達は「伝統」と付ける事で、その後の入植者達との差別化を図った)。

元々ヨーロッパから移住してきた人たちは、

まず先住民との戦いがあり、その後は食料の確保が急務だった。

なので、勉強なんてしている暇はなかった。

が、WASPには特権として「大学に通って勉強し、体を鍛える為にスポーツをする事」が許されたのだ。

居並ぶWASPの人たち。

この写真は8大学の一つ、

イェール大学内に存在していたクラブで「スカル&ボーンズ」という。

このグループは秘密結社化して卒業後もアメリカ合衆国の政治に深く関わりを持っており、

現在でも存続している。

 

1920年代。

第一次世界大戦が終結し、

戦場とならずに戦勝国となったアメリカは、

史上空前の好景気に沸く事になった。

いわゆる「ロワーリング・トゥエンティーズ」というやつ。

この時期、戦火を嫌った他のヨーロッパから多くの移民がやってきた。

アイルランド、イタリア、そしてユダヤ人。

また、収入を当てにした中国人も多く渡った。

職業として下の方に当たる労働者はそういった後発移民達が受け持つ事になり、

より「先の移民(イギリスやフランス、ドイツ)」は生活が楽になっていった。

 

そこで流行したのが、

WASPが体を鍛えるために大学時代に行っていた「スポーツ」だった。

球技はもちろん、

ハンティングやフィッシング、スキー、ライディングなども流行。

その流行に合わせて、スポーツ別の「上着」も進化していった。

 

腕を上や前に出す動き多いスポーツのために、背中の肩甲骨が動きやすくなるような「裁断と縫製」が開発された。

例えば、こういったスポーツジャケット

ハンティングの際、前身頃には赤を使って視認性を良くし、森の中でも誤射がないようにしつつ…

後ろ身頃には「朝日が昇るようなプリーツやダーツ」が施された、

肩甲骨が動かしやすい作り。

 

わざと明るい色のウールを使ってのスポーツジャケットも。

胸部分には、ハンドウォームポケットも付いたり。

こういった背中のプリーツ&ダーツは「サニングデール(SUNNING-DALE)」と呼ばれ、

当時の裕福な白人たちのシンボルとなっていった。

ちょっとした映画のワンシーンからも、見つけることができる。

その後、背中両端に大きく切り替えを入れてエラスティックテープで留める「アクションプリーツ」が開発され、

この形状は軍でも正式採用されるようになっていった(G-1などが典型的な例)。

 

それがまた民間レベルにまで降りてきて、スポーツジャケットとして転用されていった。

肘部分にはレザーが貼られ、上着としての耐久性も格段に上昇。

腕周りのアクションプリーツに、サニングデールのプリーツがちょっと残っているデザイン。

こういったデザインは、1930~40年代に多く見られる。

 

 このように、第二次世界大戦前までは「背中で男の職業や遊び具合がわかるくらいに」アウターデザインが細分化されていった。

 

 その後学生たちの間ではもっとシンプルに、

首や袖、裾からの冷たい空気の侵入を防ぐようなウール素材のアウターとして、

こういったスポーツジャケットが一般的になっていった。

そして更に、こういったジャケットの胸や腕にクラブのシニールやナンバーを貼り付けたジャケットが、

アワードジャケット=和製英語で「スタジャン」となっていったのある。

 

 

ああ、この続きが面白いんでもうちょっと書きたいなぁ。

 

来週か再来週、どこかのタイミングでこの続きを書きたいと思います!

乞うご期待!

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